ドイツの古都として知られる【ハイデルベルク】。大きな2つの戦争で崩壊したにも関わらず、【ハイデルベルク城】はロマン派の芸術家や詩人を魅了し、今では観光客で賑わっています。この古城がここまで多くの人たちに与える魅力とは?!
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古城と旧市街からなる【ハイデルベルク】はまさに中世ヨーロッパ
【Heidelberg ハイデルベルク】はヨーロッパのハブ都市でもあるフランクフルトから車で約1時間ほど。この街に入るとまず目に入ってくるのが、赤い屋根が素敵な旧市街、ゆったりと流れる Neckar ネッカー川 、そして山の中腹にそびえる古城【Heidelberger Schloss ハイデルベルク城】です。
旧市街はまるでおとぎの国のような街並みで、見上げればすぐに古城が見え、古城から見下ろす光景もまた忘れられることができない素晴らしい景色です。
ハイデルベルク自体はそこまで大きい都市ではなく、観光スポットも旧市街地に集まっているので、1日もあれば歩いて十分に観光できるのも魅力の1つ。今回はハイデルベルク城、そしてその城下町である旧市街の観光ポイントをご紹介いたします。
一時は廃墟になった【ハイデルベルク城】
“ドイツといえば” は色々ありますが、中でも古城は一度は訪れてみたいところ!今回ご紹介する【ハイデルベルク城】は、ノイシュバンシュタイン城、ホーエンツォレルン城と並んで 三大名城 と言われています。
しかし、“三大名城” というと聞こえは良いですが、【ハイデルベルク城】はよく “廃城” と表現されます。逆に言うと “廃城だからこそ風情がある” とも。19世紀以前から多くの詩人や画家、作家も魅了され、特にロマン主義のアーティストがたくさんここに訪れていたそうです。
でもそれは何故なのでしょう?こんな廃城に何故多くの人が魅了されてきたのでしょう?それは、ハイデルベルク城と城下町の景観だけではなく、悲惨たる歴史も関係があると思います。
少し歴史の事前知識を…【神聖ローマ帝国】とは?【プファルツ】とは?
ハイデルベルクを訪れると、よく「Pfalz(プファルツ)」や「Heiliges Römisches Reich(神聖ローマ帝国)」という言葉を耳にすると思います。この2つのことを少しだけ知っておくと、よりハイデルベルク散策も楽しくなると思います。
ドイツの中世時代といえば【神聖ローマ帝国】をなくして語れません。いわゆる「ローマ帝国」とは全く異なります。ローマ帝国は衰退に伴い「東ローマ帝国」と「西ローマ帝国」に分裂、西ローマ帝国は476年に滅びますが、800年にフランク王国のカール1世が「西ローマ帝国の後継」としてローマ皇帝に戴冠されたのが「神聖ローマ帝国(800年〜1806年)」の発祥と言われています。
そして【プファルツ】、現在では地名の1つですが【神聖ローマ帝国】時代においては【プファルツ選帝侯領】のことを指します。神聖ローマ帝国では、皇帝は選挙で選ばれていたので “選挙に立候補してもいいよと認められていた領土” のことを、「選帝侯領」と呼ばれていたのですね。特にプファルツはその 選帝侯領の中でも筆頭 で、13世紀初期にハイデルベルク城の建設が始まりました。
しかし昔から「領土」というと何かと宗教がらみの小競り合いが起こるもの…。
2つの戦争【三十年戦争】と【プファルツ継承戦争】によってとことん破壊された
最初は小さな国同士の「領土の取り合い」や「宗教(プロテスタント vs カトリック)の小競り合い」だったものが、国際戦争にまで発展。1618年から1648年まで続いた【三十年戦争】でハイデルベルク城はまさに戦場となりボロボロになりました。
しかし、終戦後もまだ戦争の火種はくすぶっており、今度は「フランス王 ルイ14世」に目をつけられます。
それが【プファルツ継承戦争】。1689年前後に起こったこの戦争は、戦争というより一方的な破壊。それは酷いものだったそうで “プファルツを荒廃させること” を目的としたフランス軍は、城を破壊するのはもちろん、一般市民の住む街にも焼き討ちをかけ徹底的に燃やした…とにもかくにも、何も残らない戦争だったそうです。
廃城からの再生はアーティストたちのおかげ?!
戦争によって陥落した【ハイデルベルク城】は、まさに“廃城”となり、戦争で生き残った市民が自分の家を建て直すための “石切場” になり果てていました。それを救ったのが画家や詩人といったアーティストだったそうです。
「この城は復元すべきだ!!」と立ち上がったアーティストたちによって動かされた政府が修復計画を立てたのが1890年前後。それから現在まで120年以上も経ちますが、まだまだ修復は続いています。
長年かけて建て増しされて行った【ハイデルベルク城】
前置きの歴史的背景が長くなってしまいましたが、いよいよ現在のハイデルベルク城をご紹介いたします。修復されたからといって近代的なお城になっているわけではありません。修復自体も100年以上前から始まっているので、周囲の緑豊かな環境もあってとても趣があります。
ハイデルベルク城の面白い点は、建設は1200年初期から始まり、三十年戦争によって砲撃される1600年初期まで…すなわち 400年近くに渡り城主が替わるたびに増設されていった ことです。その間、時代それぞれの背景を写したロマネスク様式、ゴシック様式、ルネサンス様式など、様々な造りが見られます。
ここで写真を撮ると幸せになれる?!【エリザベスの門】
まずお城の中に入る時に目にするのが「Elisabethentor エリザベスの門」です。城主の1人、三十年戦争時代を生きた フリードリッヒ5世 が19歳の時、同い年の妃 エリザベス の誕生日プレゼントとして一晩で建てたとか!
エリザベスは城の庭が好きで毎日散歩をしていたそうですが、翌朝起きたら出来てきていたこの門にとても喜んだ!という、なんとも “おとぎの話” のような幸せな逸話です。
この2人、政略結婚ではありましたがとても仲が良かったそうで、そんな2人にあやかって「この門で写真を撮ると幸せになる」と今ではカップルの撮影スポットになっています。
度重なる戦争に耐えて唯一残った塔【城門塔】
お堀にかかる石橋を渡ると「Torturm 城門塔」があります。廃城になった後も唯一残っていた塔なんだそう。時計があるため「時計塔」とも呼ばれています。
また、門の扉にある鉄輪には傷跡があります。当時の城主が「この鉄輪を噛み切る者に城を与える」と言い、大勢が挑戦するも、もちろんできるわけがありません。そんな中で唯一噛み跡をつけた女性は “魔女だ!” と処刑されてしまった…とか、何人もの悪魔も挑戦したが噛み切る事ができなかった…など様々な言い伝えがあります。
古城最古の居住館【ループレヒト館】
「城門塔」をくぐるとすぐに見えてくるのが「Ruprechtsbau ループレヒト館」。プファルツ選帝侯ループレヒト3世にちなんで名付けられました。“ハイデルベルク城のなかで一番最初に建てられた建物” として、考古学者の間ではとても希少価値が高いんだそう。