徳川家康を恐れさせた英雄として多くの伝説を残す真田幸村(信繁)。近年ではテレビゲームや大河ドラマ『真田丸』で取り上げられ、歴史好きな方以外にもよく知られるようになりました。彼は1615年に大坂夏の陣で家康に敗れてこの世を去りますが、彼が討たれた場所が大阪市の安居神社と言われています。今回はにぎやかな大阪市内でひっそりとたたずむ幸村終焉の地、安居神社を案内します。
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安居神社のアクセスと周辺情報
安居神社の最寄り駅は恵美須町駅です。安居神社は、恵美須町駅2番出口から出て天王寺動物園方向にまっすぐ歩き、交差点「公園北口」で左折してすぐのところにあります。通天閣や天王寺動物園が近くにあるので、予定に組みこみやすいです。
安居神社の祭神について
安居神社は少彦名神と菅原道真を祀っています。いずれも高い知名度を誇りますが、簡単に紹介します。
少彦名神
常世の国(海の彼方にある異世界)から来訪した神様で、蛾あるいはミソサザイ(鳥)の皮の服を着られるほど小さい体をしているとされます。あの大国主命と組んで国造りを行ない、医療・酒造・温泉などの神としても崇められています。
安居神社では古くから少彦名神を祀っていましたが、記録が散逸したため祀り始めた時期は分からなくなっています。大国主命とは仲が良く、祀られる際もペアで扱われることが多いですが、安居神社では少彦名神のみが祀られています。
菅原道真
平安時代中期の学者・政治家です。宇多天皇を始め周囲から多大な信頼を得ていましたが、藤原時平の讒言により太宰府に左遷されそこで亡くなりました。彼はその後神として祀られることとなり、生前の頭の良さから学問の神様として親しまれています。
ちなみに彼は、太宰府に左遷される途中、風が収まるまでこの辺りで滞在していたと言われます。左遷から約40年後の942年に、その縁から菅原道真を祀るようになったとされます。
安居神社自体の創建は不明ですが、菅原道真が祀られる40年以上前からは少なくとも存在して少彦名神を祀っていたことから、少なくとも1,100年以上の歴史があることが分かります。
真田幸村はどのように最期をむかえたのか
1615年に安居神社で討たれたとされる真田幸村。彼はどのようにして、安居神社で最期を迎えたのでしょうか。
1614年の大坂冬の陣の時、豊臣軍の首脳たちが大阪城に籠城する中、真田幸村は大阪城の弱点となる三の丸の南側に出城「真田丸」を築いて戦い、優勢であるはずの徳川軍を撤退させます。
さらに翌年の大阪夏の陣では、徳川軍の本陣まで攻めこむ活躍を見せました。あの家康が自害をしようとして周りから諌められるほどまで追いこんだものの、兵力の差が大きすぎるため、一度安居神社に撤退して体制を立て直すことにします。
ですが、安居神社で西尾宗次(久作)に見つかり、命を落としました。一説には「手柄にせよ」と自ら首を差し出したとも言われます。
そんな安居神社境内には真田幸村の像や真田幸村がここで戦死したことを記す碑が建てられており、今でも多くの花や酒が供えられています。
かつて霊水がわき出していた癇鎮めの井
社務所の脇の細い通路を抜けたところにある、ビルにはさまれた小さな崖の下に井戸の跡があります。ここは癇鎮めの井と呼ばれ、霊水である清水が出ていました。周辺環境の影響により現在は枯れてしまい、立ち入りができなくなっています。都会の真ん中ながら、人間が入れない安全で静かな場所のためか、猫のたまり場になっています。
まだある真田幸村ゆかりのスポット
大坂の陣の舞台となった大阪城周辺には、安居神社以外にも真田幸村ゆかりのスポットがあります。
例えば三光神社は真田丸の築かれた場所であり、真田幸村が作った大阪城への抜け穴と伝わる穴が残っています。また、心眼寺は真田幸村、大助(幸村の子)の冥福を祈り建てられた寺であり、真田丸の範囲内であることを示す石碑が残っています。大坂の陣の中心となった大阪城も合わせて、1日かけてじっくりと回ってみてください。
- 真田山三光神社
- 大阪 / 神社
- 住所:大阪市天王寺区玉造本町14番90号地図で見る
- 電話:06-6761-0372
- Web:http://www.sankoujinja.com/
- 大阪城
- 大阪 / 城 / 観光名所 / パワースポット
- 住所:大阪府大阪市中央区大阪城1-1地図で見る
- 電話:06-6941-3044
- Web:http://www.osakacastle.net/