世界三大運河の一つであるパナマ運河は、地球の大洋における世界の十字路として大変重要な運河です。そして、この重要な運河は一般公開されており、観光客にとっては一大エンターテイメント!今回は、この世界でも唯一無二のパナマ運河で船舶が運河を通過していく様子を歴史も交えながらご紹介します。
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中米パナマ
中米パナマは、南米コロンビアの北西に位置する、細長く曲がりくねった地域です。元々は住人のほとんどいないジャングルだったため、国土の9割以上を森林が占めていました。しかし、人々が入植し開拓がはじまると一気に切り開かれ、2000年には森林面積が39%にまで低下。さすがに危機感を抱いたパナマ政府は、そのうちの23%を様々なタイプの自然保護区に指定し、現在は世界全体でも10位以内に入る自然保護大国です。
また、最近では「パナマ文書」で不本意に世界の注目を浴びましたが、伝統的に金融業が経済の中心にある国です。GDPは中米7か国の中で最も高く、ラテンアメリカを入れてもブラジルに匹敵する経済成長を示す一方、国民の3割は貧困層で、その半数は極貧に属します。
パナマ運河
パナマ運河は、大西洋と太平洋を結ぶ人工の水路です。年間の交通量は、運河が開設された1914年の約1,000隻から2008年には14,702隻に増加し、2012年までに、総計815,000以上の船舶が運河を通過しています。
パナマ運河は雇用を生み、経済を押し上げる重要な施設であるとともに、通行料は国の貴重な収入源です。運河施設がアメリカから返還されたことにくわえ、現在も行われている運河の拡張方針は、今後のパナマ経済の発展にますます大きく寄与すると見られています。
パナマックス
パナマ運河を通過できる船の大きさは「パナマックス」とよばれています。貨物船を設計するときの重要な指標となり、世界の多くの船舶がこの「パナマックス」を基準に設計されています。
パナマックスの制限値ぎりぎりで作られる船舶は、事実上、世界の海を制約無く航行できる最大サイズとなります。世界の貨物船をはじめとした船舶は、まさにここパナマ運河を基準にして作られているのですね!この、世界に類を見ない運河は、どのようにしてできたのでしょうか。
パナマ運河ができるまで
パナマ運河ができる1914年まで、ニューヨークからサンフランシスコへ商品を船で運ぶ唯一の方法は、南米大陸の最南端マゼラン海峡やドレーク海峡をぐるりと回る25,000Kmの遠回りルートでした。その航海では、輸送におよそ60日かかっていました。
欧米から太平洋地域への輸送に関して、この課題は経済面、安全面ほか様々なリスクがあり、アメリカやヨーロッパの将来を見据えた多くの指導者は、これを問題視していました。16世紀以降、現パナマの大西洋と太平洋を結ぶ極めて短い距離(現パナマ)がクローズアップされると、このルートが太平洋の北米大陸海岸線、および極東(日本など)との貿易を拡大するために、絶対的な不可欠要因であると考えられるようになりました。
もし、このルートを船で通過することができれば、ニューヨークからサンフランシスコまで約9,000Kmで結ぶことができ、輸送期間は11日に短縮。より早く、より安価に、より安全に簡単に商品を運ぶことができます。
しかし、それには莫大な費用と時間、緻密なる設計が必要とされ、なかなか実現するまでに至りませんでした。そんな中フランスは、既にスエズ運河を開拓した経験のあるフランス人技術者、フェルディナン・ド・レセップスを招きいれ、当時の領地主だったコロンビアから運河建設権を購入。1880年、大西洋と太平洋を結ぶ運河の建設に着手します。
困難を極めた運河建設
満を持して始まったこのプロジェクトは、着工後すぐに数千人の労働者が集まりました。そのほとんどは、現在のカリブ諸島出身の住民とフランス人労働者でした。月に約125US$の給料は、当時にしては破格だったのだとか。
彼らは、蒸気シャベル、掘削機、爆発物を用いて、ジャングルを開拓していきました。
しかし、このプロジェクトは、不十分な設計により、その後の数年間で、深刻な財政難、腐敗、管理ミスをもたらし立ち行かなくなります。なかでも最大の失敗要因は、労働者の死亡数増加でした。1881年から1889年の間に、約22,000人の労働者が正体不明の病気で死亡したのです。雨がうねり、虫がはびこるジャングルでの労働は、想像を遥かに超える厳しいものでした。
当時、蚊を媒介とする感染性について原因が判明されておらず、労働中に蚊に刺され感染する人々はもとより、重労働による軽度の病気を患って入院した者も、病棟の窓が開いていたことで咬傷し、免疫のない労働者が黄熱病やマラリアで次々と亡くなったのです。原因不明の病気で死亡する人が後を絶たず、それを目撃した多くの人々が恐れをなして辞め帰国したため、大量の労働者を失ったこのプロジェクトは、進めていくことが困難となりました。
1893年までに、フランスはこの巨大なプロジェクトを続けることの無益さに気づき、あえなく断念。身売り先を探し始めます。彼らのパナマで行われた12年間の作業の総費用は、
・2億8,700万US$(日本円でおよそ344億円)
と推定されています。
フランスからアメリカへ
一方、その当時アメリカ海軍は、大西洋側から太平洋側へ多くの軍人を迅速に輸送することを目的とし、現在のニカラグアで運河を建設することに関心を持っていました。パナマ運河プロジェクトの引受先を探していると知ったアメリカは、どちらに運河を建設するか迷いますが、1902年、パナマ運河プロジェクトをフランスより4,000万US$で購入します。
この時、アメリカはパナマをコロンビア領から独立させる画策まで講じています。現在、パナマが独立国としてあるのは、この運河のおかげなのですね。
疫病の克服
アメリカ人がパナマ運河のプロジェクトを引き継ぎ、1904年5月にアメリカ人労働者が到着しました。しかし、やはりここでも疫病で死亡する労働者は後を絶たず、5,600人がアメリカの建設年の間に命を落としました。
そこでアメリカは、医療捜査官を現場へ派遣し、多くの人々を死に至らしめた原因は、雌の蚊の特定種が黄熱病を持っていることだと突き止めます。これにより、この病気を根絶するための対策が講じられ、作業現場の状態は著しく改善されました。
1905年、作業は再開され10年の歳月を経て、全長80Km、最大幅200m、最小幅91mのパナマ運河は1914年ついに完成。開通式を迎えたのです。この間にかかった米国の費用は、
・3億5,200万ドル(日本円でおよそ415億円)
1914年時点、フランスとアメリカが注ぎ込んだ総工費は、
・総額6億3,900万US$=759億円
これを現在の価値にすると、およそ14.3ビリオンUS$=1兆5,436億円にもなるそうです。
パナマ運河の運営移管
開通後、しばらくアメリカがこのパナマ運河を運営していましたが、1977年9月7日に、当時のジミーカーター大統領は、アメリカ国家機構の18人の大統領の聴衆の前で、パナマ運河の完全な支配権をパナマに移す2つの条約に署名します。そして1999年12月31日に、パナマ運河はパナマへ完全返還されました。
いざ!貨物船の水路通過を見学!
それでは、実際、貨物船が通り過ぎる様子をご覧いただきます。こちらの見学は、ミラフローレス・ビジターセンターからの様子ですが、センターについては後ほどご紹介します。
貨物船が来た!
大西洋(カリブ海)側から一隻の貨物船がやってきました。用意が整い、合図が出るまで停泊しています。
Goサインが出ました。ゆっくりと近づいてきます。テラスから見学できるここは、パナマ運河の中でも一番水路が狭く、船舶が自力で航行できないため、専用の電動車が船を牽引します。左右に3台ずつ、計6台が引っ張ります。この牽引車は日本の川崎重工が提供しています。
観光客が固唾を飲んで見守る中、貨物船は目の前までやってきました。写真の左側と右側に段差があります。パナマ運河は、人工の湖と水路で構成されており、湖面との標高差を利用してもう一方の湖へ移す方式です。運河内の水位は巨大なロックゲート(幅20m、厚さ2.1m、高さ14〜25mの2つのドア)で構成され、3つの水門によって制御されます。
徐々に開門していきます。
流れ入った水路の水で、船舶は海面から26mの高さまであがります。このように船を上げて、反対側の海面へ移します。
段差がなくなったので、ゆっくりと進みます。
さらに先に、もう一つ水門が見えます。この工程を3回辿り、太平洋や大西洋へ抜けていきます。
船舶が通過するこの間、テラスで見学している子供はもちろんのこと、大人までが歓喜の声をあげ、拍手したり指笛を吹いたり歓声が沸き起こります。大型船舶が通過するたびに、展望テラスはまるでコンサート会場にいるよう!船舶が通過した後も、興奮冷めやらぬ観光客は、だれかれ構わず会話をはじめ、無事の通過を称えあいます。
テラスから船の操縦室はあまりよく見えませんが、これから景色の変わらない退屈な大海原を航海する船長や船員も、ここを通過する時ばかりはヒーローです!
貨物船や観光船は、わりと頻繁に往来しますので、開館中はいつ訪れてもこの航行通過ショーをご覧いただけますよ。
所要時間と通過費用
貨物船が向うの方に見えてから、目の前を通過していく所要時間は、約10分くらいです。
パナマ運河の通航料は、船種や船舶の積載量、全長などに基づきパナマ運河庁が定めており、料金もそれぞれ変わってきます。全長、およそ15mまでは800US$(約86,400円)、段階を経て上がり、30m以上は3,200US$(約345,600円)。コンテナ当たり54US$(約5,800円)で、大体の平均額は54,000US$(約5,870,000円)となるそうです。結構、お高く感じますね。
客船は長さで算定されますが、豪華クルーズ客船で310,000US$(約33,480,000円)も払った船があったそうですよ。どういった基準なのか不明ですが年々上がってきているのだとか。
このように、パナマという国にとってパナマ運河で得られる通行料は、かなり貴重な収入源となっています。