宮城県・仙台市の経ケ峯伊達家墓所。戦国大名であり仙台藩初代藩主でもある伊達政宗の霊屋があり、二代藩主・伊達忠宗、三代藩主・伊達綱宗を始めとした子孫も多く眠っています。特に伊達政宗・忠宗・綱宗の3人の霊屋は建築物としても高い価値を誇ります。今回は、戦国時代を生き抜いた型破りな英雄、伊達政宗とその子孫の霊屋を紹介します。
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瑞鳳殿への道中にも見所が
経ケ峯伊達家墓所で一番有名なのは言うまでもなく瑞鳳殿ですが、途中の参道の石段も見逃してはいけません。瑞鳳殿へと続く参道は62段あり、伊達家の石高を表しているとされています。
涅槃門。瑞鳳殿の正面にあり、樹齢数百年の青森檜葉(ヒバ)で焼失する前の通りに再建されています。
涅槃門を通り抜けたあとの石段には片倉小十郎などの重臣が寄進した石灯籠が並んでおり、それぞれ誰が納めたものか書かれているので確認してみましょう。
石段を登り終えたら瑞鳳殿は目の前です。
伊達政宗の眠る絢爛豪華な瑞鳳殿
1636年、伊達政宗は70歳で亡くなります。瑞鳳殿が完成したのは翌年で、1931年には国宝に指定されましたが、1945年に空襲により焼失します。今の建物は1979年に再建されたもので、2001年の改修工事により当時の姿に復元されました。
内部には伊達政宗の木像が安置され、地下には政宗本人が眠っています。
瑞鳳殿の両脇には殉死した20名の家臣の石塔が建てられています。
伊達政宗の子孫のお墓を訪ねる
前述したように、経ケ峯伊達家墓所には伊達政宗の子孫も多く眠っています。感仙殿では、2代藩主の伊達忠宗が眠っています。1945年に空襲により焼失しますが、1985年に再建されました。瑞鳳殿と比べると装飾がひかえめで、落ちついた印象を受けます。
忠宗は政宗の次男にあたります。父とは違いおだやかな性格の持ち主で、仙台藩の基礎固めにつとめ「守成の名君」と評価される一方、武芸にも秀でていたと言われます。
善応殿には3代藩主伊達綱宗が眠っています。感仙殿と同じく1945年に焼失し、1985年に再建されました。
綱宗は忠宗の六男にあたります。忠宗の死去により19歳で跡を継ぎましたが、藩政を顧みることが難しく逼塞隠居を命じられ、江戸品川の屋敷でその後の生涯を過ごしました。芸術面では優れた才能の持ち主であり、和歌・蒔絵・彫刻・茶器を作り、狩野探幽から絵を学び山水画を残すなど文化人として活躍しました。
妙雲界廟には9代藩主伊達周宗、11代藩主斉義とその妻芝姫の墓があります。
9代藩主、周宗の墓。8代藩主である父、斉村の死去により1歳足らずで藩主となるも17歳で天然痘により亡くなりました。
11代藩主斉義の墓。10代藩主斉宗が亡くなった際、斉宗の娘、芝姫と婚約し婿養子として跡を継ぎます。瑞鳳殿の後ろの崖に石垣を築いた人物で、30歳で亡くなりました。
斉義の妻、芝姫の墓。3歳で斉義と婚約するも夫を若くして亡くしました。読書を好む教養人だったとされます。
御子様御廟には5代藩主伊達吉村以降の藩主の公子公女が眠っています。
伊達政宗1人の知名度が圧倒的に高いですが、こうして伊達家の墓所を見学していくと、伊達家とそれを取りまく大勢の人物がかつて確かに生きて存在していたこと、仙台藩を盛り立てるために奮闘してきたことが思い起こされます。
バスで効率良く伊達政宗ゆかりのスポットを訪ねよう
強烈な個性と確かな才能を持ち戦国時代を切り抜けた伊達政宗と、仙台藩を統治した子孫たちが眠る経ケ峯伊達家墓所。
仙台を訪れた際にはぜひ、伊達政宗が築城した仙台城跡や、伊達政宗が豊臣秀吉お抱えの職人たちの手によって造らせた大崎八幡宮もセットで訪れてみてください。
ちなみにセットで訪れる時には、仙台駅から出発する巡回バス「るーぷる仙台」の1日乗車券を購入すると運賃が安くすむ上に、瑞鳳殿では割引も受けられるのでお得ですよ。
協力:公益財団法人瑞鳳殿
- 瑞鳳殿
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- 住所:宮城県仙台市青葉区霊屋下23-2地図で見る
- 電話:022-262-6250
- Web:http://www.zuihoden.com/