井伊家三十五万石の礎として築城された彦根城は、昭和27年に国宝指定された現存天守の美しいお城です。三層白亜の天守も見事ですが、魅力はそれだけにとどまらず、二重のお堀に囲まれた城郭や、大名庭園とも呼ばれる、名園から望む風景も一見の価値があります。また美しさと共に、戦う城としても強固なもので、その工夫が随所に見られます。他にも、建物の多くが移築による建築だったのも愉快なところです。そんなポイントを押さえながら、彦根城をご紹介しましょう。
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国宝指定&現存天守の一つ
近世の城で天守が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城です。このうち、国宝に指定されているのは松本、犬山、彦根、姫路、松江のわずか5城。そのうちの一つである彦根城は、規模こそ小さいけれど、天下の名城とも名高く、琵琶湖八景の1つにも数えられています。
彦根城の歴史
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで戦功が認められた井伊直政は、徳川家より彦根藩の領地を賜ります。2年後、直政は戦傷が元でなくなりますが、井伊家は、14代の直憲まで約260年もの間、徳川家に仕えています。慶長9年(1604年)に築城が開始され、城郭や城下町まですべてが完成したのは、元和8年(1622年)のことです。
彦根城の魅力や見どころ
いろは松や城郭
中堀に沿って続く松並木は、2代藩主・直孝が植樹したものが47本だったことから、47文字にちなんで、いろは松と呼ばれるようになりました。二重の堀に囲まれた城郭は、家老屋敷の長屋門なども残っており、江戸時代の姿をとどめ風情が感じられます。
馬屋
元禄時代に建てられた建物で、場内に残る馬屋は全国でも彦根城にしかない珍しいものです。ここには、藩主らの馬21頭がつながれていました。
天秤櫓と廊下橋
表門と大手門が合流する位置に建つ天秤櫓。廊下橋を中央に天秤のように、左右対称であることから天秤櫓と呼ばれました。これは、長浜城の大手門を移築したとされています。廊下橋は、非常時には、落とし橋となって敵の侵入を防ぐ働きがありました。
石垣
場所によっては、10m以上にも及ぶ高い石垣が築かれており、その傾斜や高さは、美しささえ感じられるほど見事です。胴長の石を重ねた牛蒡(ごぼう)積みは、大変強固なもので、建城当時の積み方です。江戸後期の改修では、石が斜めに重ねられる落とし積みとなっています。
時報鐘
この鐘は、より美しい音色にしようと、鋳造の際に大量の小判が投入されているそうです。江戸の時代から、城下町に時を告げてきた鐘は、現在も日中3時間ごとに鳴らされており、日本の音100選に選ばれています。お時間が合えば、贅をつくした鐘の音をぜひ聞いてみてください。
太鼓門櫓
天守を守る最後の櫓は、場内に合図をするための、太鼓を置いたことから名づけられました。ここは大変稀な構造で、高欄付きの廊下になっており、敵の襲来をいち早く城内に響かせるための造りでした。
天守
天守は、大津城から移築したものですが、入母屋破風に唐破風や切妻破風など他の天守閣にはない、変化に富んだ美しさを見せています。1番上の窓枠も、寺院建築に使われていた美しい曲線でかたどられた花頭窓になっています。
城内
城内には、防戦のための鉄砲狭間や矢狭間が設けられていますが、外からはわからないよう漆喰が塗りこめられています。また城内に侵入した敵を上から突き落せるように階段は62度という急傾斜。上り下りの際はお気を付けください。他にも、破風を使った隠し部屋があったり、様々な展示品も興味深いものが揃っています。
玄宮園 (げんきゅうえん)
お城と合わせて見学したいのが、城下の玄宮園。城の北東にある大名庭園で、四代藩主直興が近江八景を模してつくらせた池泉回遊(ちせんかいゆう)式庭園。庭園に立つと当時の大名たちが、四季折々に庭園を愛で、船遊びなどを楽しんだ様子が容易に想像できます。
- 彦根城
- 滋賀 / 城 / 観光名所 / 花畑(7月) / 花畑(8月) / 桜の名所
- 住所:滋賀県彦根市金亀町1-1地図で見る
- 電話:0749-22-2742(彦根城管理事務所)
- Web:https://hikonecastle.com/
- 玄宮園
- 滋賀 / 紅葉 / 観光名所 / 庭園
- 住所:滋賀県彦根市金亀町3地図で見る
- 電話:0749-22-2742(彦根城管理事務所)
- Web:http://www.hikoneshi.com/jp/sightseeing/articles/g...