岩手県平泉町には、奥州藤原氏が栄えていた平安時代後期の遺跡が多く残っています。その中の5つの遺跡が、2011年に「平泉-仏国土[浄土]を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の名で世界遺産に登録されました。全てが平泉駅を最寄りとしているのでアクセスも良し!奥州藤原氏の繁栄と仏教文化を深く知ることができる5つの登録遺産を紹介します。
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平泉と奥州藤原氏
平泉の遺跡群を語る上で欠かせないのが、この地を11世紀末から12世紀にかけて約90年間拠点とした奥州藤原氏です。初代清衡(きよひら)、その子基衡(もとひら)、孫の秀衡(ひでひら)の3代が築いた文化は平泉文化と呼ばれ、都であった京都の影響も強く受けながら仏教思想に基づいた平和の理想郷が表現されました。
平泉のまわり方
世界遺産に登録された5つの遺跡は全てJR平泉駅からアクセスできます。町内の主要地を周る巡回バス「るんるん」を利用したり、駅前でレンタサイクルを借りてサイクリングを楽しみながら遺跡巡りも。
また、駅から一番離れている中尊寺でも1.6キロほどの距離なので、のんびり当時の町並を想像しながら歩いてまわるのもオススメです。
自分にあったアクセス方法が決まったら、遺跡巡りに出発です。
1.中尊寺(ちゅうそんじ)
中尊寺は850年、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開かれ、その後12世紀に初代清衡によって大規模な造営がなされました。中尊寺建立の目的は、当時東北地方で起こっていた戦乱で亡くなった方を、敵味方区別なく弔うためでした。
月見坂
入口を入ってまず目の前に現れるのが月見坂と呼ばれる急な坂道。これらの両側には、立派な杉の木が並び荘厳な雰囲気を早速感じることができます。
本堂
本堂は明治42年に再建されました。堂内には比叡山延暦寺より分火され、1,200年の間受け継がれているという「不滅の法灯」が灯されています。
鐘楼
当初の鐘楼が1339年の火災で焼失したため、現存するものは1343年に鋳造された鐘です。保護の観点から現在ではほとんど撞かれることはありませんが、近年では2度、2001年9月11日(米同時多発テロ)、2011年3月11日(東日本大震災)の後、鎮魂の意味を込めて鐘が撞かれたそうです。
金色堂
中尊寺といえば金色堂。日本史の教科書で、皆さん一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。外から見えるのは金色堂を覆っているコンクリート造りの覆堂。この中にすっぽりと黄金のお堂が収まっています。
1124年建立。多くの堂塔が焼失した中、唯一創建当時の姿のまま残っている遺構です。全体を金箔で覆われた姿は圧巻の一言。そして中央の須弥壇には、奥州藤原4代(清衡、基衡、秀衡、泰衡)の亡骸が今も安置されています。
金色堂は撮影禁止なので、ぜひご自身の目で、この世にある極楽浄土の世界を見てみてください。
- 中尊寺
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- 住所:岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202地図で見る
- 電話:0191-46-2211
- Web:http://www.chusonji.or.jp/
2.毛越寺(もうつうじ)
中尊寺と同様、850年に慈覚大師円仁によって開かれたと言われています。2代基衡が造営し、3代秀衡の時代に完成。最盛期は中尊寺を凌ぐ規模であったと言われています。
当時の堂塔は全て焼失してしまいましたが、毛越寺の見どころである庭園をはじめ遺跡は良好な状態で残されており、修復整備された今日、素晴らしい浄土の世界を見ることができます。
浄土庭園大泉が池
庭園の中心となる大泉が池は、東西約180メートル、南北90メートルあり海を表現しています。池の中央部には勾玉型の中島があります。当時は南大門跡から中島に橋が架けられていました。
池に水を取り入れるための水路である遣水は、平安時代から残る唯一の遺構です。遣水の遺構は大変珍しく貴重な存在でもあります。
- 毛越寺
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- 電話:0191-46-2331
- Web:http://www.motsuji.or.jp/