世界自然遺産の知床や阿寒、大雪山の3つの国立公園に囲まれ、網走国定公園の中心に位置する北海道網走市。自然あふれる網走市で、北海道開拓の歴史を学ぶことができるのが「博物館 網走監獄」です。「網走監獄」は、明治時代から実際に網走刑務所で使用されてきた建物を保存し、公開している野外歴史博物館。日本一の最恐刑務所と言われた「網走監獄」で、北海道開拓の歴史を学んでみませんか?
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「博物館 網走監獄」とは
「博物館 網走監獄」は、明治以降、網走市の発展と大きく関わりを持っていた網走刑務所の旧建造物を保存公開している野外歴史博物館です。
博物館内の建築物は、明治時代に実際に刑務所として使用されており、最も古い建物は今から109年前に建てられたものです。現在と違って、木を製材するのも機械を使わずに手作業で行っていました。そのため、太い梁や柱には、囚人たちが削った後が荒く残っているのです。
公開されている展示施設には、多数の重要文化財や登録文化財があります。それでは、日本一の最恐刑務所と言われた「網走監獄」を覗いてみましょう。
北海道開拓の始まり
1868年(明治元年)、約260年余り続いた徳川幕府が終わりを告げ、天皇を中心とする明治政府が誕生しました。明治政府は、欧米列強に追いつき追い越すため、富国強兵というスローガンを掲げていました。国を豊かにし国力をつけようとしていたのです。
その目標達成のために必要だったのが、当時、手付かずとなっていた蝦夷地(現在の北海道)の開拓。明治政府が誕生した翌年には、蝦夷地を北海道と名付け、開拓使という役所を置いて開拓を進めました。
明治という新しい時代が幕を開けたものの、日本国内では内戦が続き、1877年(明治10年)ごろから戦乱を起こした多くの人々が政治犯として捕まりました。増え続けた囚人は、1885年(明治18年)には8万9千人と過去最高の収容者数となり、全国的に監獄不足となっていました。
そこで政府は監獄則改定を行い、流刑、懲役刑など12年以上の者を拘禁する場所として、北海道を選んだのです。
北海道開拓は、明治政府にとってロシアから北を守る上で重要事項でした。そこで廉価な労働力として、囚人を使役させて北海道の防衛と開拓を進め、彼らが刑を終えた後に住み着いて人口を増やせればという考えのもと、網走監獄が造られたのです。
しかし、囚人を使役させての開拓は決して簡単なものではありませんでした。未開の地であったため、道路から作らなければなりませんでした。1,000人を超える囚人により、昼夜問わず工事が行われました。
逃亡を防ぐために囚人は、2人ずつ鉄の鎖で繋がれ作業を行い、あまりの重労働に、栄養失調やケガで亡くなる者を続出したと言われています。
耐えきれず逃亡しようとした者は、その場で切り殺されるという悲しい結末でした。亡くなった囚人たちはその場で埋葬され、目印に鎖が置かれたと言われており、囚人たちの墓を「鎖塚」と呼ぶようになりました。
今では、追悼碑やお墓が建てられるようになりました。たくさんの犠牲者によって生まれた網走市から道央に位置する北見峠までを結ぶ道路は「囚人道路」と呼ばれています。
今日の北海道の繁栄は、この悲しき歴史の上に成り立っているのです。
展示施設のご紹介
刑務所管理部門の主軸となった「庁舎」
最高責任者の典獄室をはじめ、会議室、総務課、戒護課、教育課、作業課の各課に区切られています。明治45年に建築され、現在展示されているものは、昭和63年に移築復原したものです。
重要文化財に指定されているこの「庁舎」は、至るところに工夫がなされた明治期の官庁建築の典型となっており、当時の網走の人々は、水色とグレーの外観庁舎に電気が灯ると「最果ての不夜城」と呼んでいたと伝えられています。
庁舎の中では接見室が再現され、面会の様子も見ることができます。
通用門と呼ばれた「網走刑務所裏門」
通称「通用門」と呼ばれたのが、「網走刑務所裏門」です。赤煉瓦門塀制作開始の1919年(大正8年)に一番最初に着工した門です。
5年かけて受刑者が煉瓦を積み上げ、1924年(大正13年)に延長1,080mの赤煉瓦を完成させました。以降、1993年(平成5年)9月まで、70年間にわたり網走刑務所裏門としての役割を果たしました。展示されているこの門は、平成7年に移築復原されています。登録文化財にも指定されています。
生活物資を運び入れた「網走刑務所水門」
網走刑務所の前には網走川が流れており、この川を利用して、生活物資や農場への肥料を運んでいました。当時は貴重な水路だったのです。上の写真は、農場へ物資を運ぶ様子を再現した場面です。
自給自足を目指した「味噌醤油蔵」
農園刑務所として自給自足を目指していた網走刑務所は、味噌や醤油などの調味料を製造していました。この蔵に展示してある大きな樽は、五十石という樽で約9,000リットル(一升瓶約5,000本)もの醤油が入る巨大な樽です。
右に映っている筆者が153cm程なので、とても大きいのが分かるかと思います。