戦国の世に、信長、秀吉、家康と天下人たちを魅了し何度も戦の舞台となった犬山城。日本有数の大河、木曽川の畔に建つ姿は絵画のように美しく、遠景の素晴らしさ、天守からの眺望、現存天守の希少性と共に、一見の価値あるお城です。
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犬山城の歴史
天文6年(1537年)、織田信長の叔父、織田信康により築かれたといわれています。この一帯は、尾張(愛知県西部)と美濃(岐阜県南部)を結ぶ交通・軍事の要衝として栄えてきたこと、木曽ヒノキ流通の拠点であったことなどから、築城から約80年間、多くの武将たちが奪い合うことになります。
元和3年(1617年)成瀬正成(尾張藩主徳川義直付家老)以降は、代々成瀬家が城主となり、平成16年(2004)、「財団法人 犬山城 白帝文庫」の所有となるまで、全国唯一の個人所有の城として保存されてきました。
国宝の現存天守
松本城、彦根城、姫路城、松江城と並んで、国内に5つしかない国宝指定のお城。しかも、当時のままの姿を保つ現存天守で最古ともいわれることから、その貴重さがうかがえます。
こぢんまりとした規模ながら、木曽のほとりに建つ美しい佇まいは、江戸中期の儒学者、荻生徂徠(おぎゅうそらい)によって白帝城(はくていじょう)とも呼ばれました。波乱の歴史を見守り続けたお城も、今は国宝となり、その美しさは、現代の人々をも魅了し続けています。
犬山城の見どころ
太い梁や石垣にも注目
犬山城は、3層4階、地下2階で、高さ19mのお城です。天守の入り口では、天守を支える石垣や太い梁を見ることができます。当時の大工道具に、まだカンナがなかったので、梁など木材の仕上げが無骨なのですが、上の階に行くとカンナで綺麗に仕上げられ、時代の流れを感じることができます。
構造やしくみ
城主の居間とされた一階は、中央部に畳が敷き詰められた、上段の間や納戸の間が設けられ、その周囲を武者走りと呼ばれる廊下が取り巻いている構造です。ここの北西部分には、敵に石を落とせる石落としの間があり、正面には天守の入り口が敵に破られそうになった時に、側面から攻められる付け櫓もあります。
また上段の間には、木戸の向こう側に城主を守る武士が隠れていた部屋、武者かくしの間があります。二階は武具の間で、やはり中央に設けられた武具の間の周囲を、武者走りが取り巻いています。
三階は、破風の間とよばれる屋根部分で、天井が大変低くなっています。この部屋の東西の造作は入母屋破風ですが、南北は成瀬正成によって増築されたといわれる唐破風になっています。
最上階は、赤い絨毯が印象的な高欄の間です。ここは外側に高欄と廻縁がまわる望楼となっており、これも成瀬氏による増築とされています。
高欄の間には、歴代城主の絵がかけられていますが、9代目からは写真です。成瀬家が代々イケメンなので、必見ですよ。12代城主・成瀬正俊氏の写真は、写真家・篠山紀信さんが撮影されたということです。
天守からの眺め
天守閣から見える景色はまさに絶景!眼下には木曽川、その向こうにはアルプスの山並み、武将たちが戦った濃尾平野も広がり、空気が澄んでいれば、岐阜城まで見えることもあるそうです。
フェンスもなく、心細いほどに低い高欄が当時の面影をより一層際立たせてくれます。信長はじめ、多くの武将たちがこの景色を眺めていたのかと感動してしまいます。
遠景で見る犬山城も美しい
木曽川のほとりに建つ犬山城は、遠くから眺める姿も美しいので、時間があれば川向うの岐阜県側からの後ろ姿や、横からも、ぜひご覧になってください。その美しさに、ついつい、一周してしまうと思います。
最後に
混雑していなければ、お城に一番近い第一駐車場に車を停めた場合、往復約1時間半で見学終了できます。美しい犬山城へぜひお出かけください。
- 犬山城
- 犬山市 / 城
- 住所:愛知県犬山市犬山北古券65-2地図で見る
- 電話:0568-61-1711
- Web:http://inuyama-castle.jp/