中米グアテマラにある「ティカル」は、かつて、古代マヤ文明において最も強力な王国の一つでした。現在遺っている「ティカル遺跡」はジャングルの中に点在しており、解明されていないことも多く、遺跡好きにはたまらない古代浪漫のあふれる遺跡です。今回は、そんなマヤ文明遺跡「ティカル遺跡」を有する世界複合遺産のティカル国立公園を中心に、その周辺地域も併せてご紹介します。
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中米グアテマラ
グアテマラは中央アメリカに位置し、「薪になる木の豊かな場所」という意味の国名を持つ国です。
人口はおよそ1,540万人(2017年)の多民族、多文化国家で、先住民族マヤ人が60%を占めています。全部で30種あるといわれるマヤ語のうち、20種はここグアテマラにあり、相対的に文字が少ないため、学術分析を行うことが困難なマヤ文明の解明に一役かっています。
先史時代のグアテマラは、メキシコ南部あたりから中米ホンジュラスまで、現在の五か国にまたがって栄えた古代マヤ文明の発祥の地でした。グアテマラには3,000以上の考古遺跡が点在していますが、政府によって保護されているものは一部で、多くが盗掘や農業用地として破壊されてしまっています。
グアテマラの国旗中央には、「ケツァル」という鳥が描かれています。ケツァルは中米に生息する鳥で、フェニックス、鳳凰とも呼ばれています。体長は30cmほどですが、オスは尻尾の長い羽根が特長で、全長はおよそ1mにもなるのだとか。
マヤ文明でケツァルは「神」として崇拝されており、グアテマラの国鳥であるとともに、通貨の単位にも用いられています。マヤ文明を誇りとするグアテマラ人の思いが伝わりますね。また、日本でお馴染み、手塚治虫の『火の鳥』のモデルともなっています。
ティカル国立公園(世界遺産)
ティカル国立公園は、マヤ文明の文化遺産「ティカル遺跡」と、生物多様性を保持した自然も含めた熱帯雨林保護区である「マヤ生物圏保護区」を有する、数少ない世界複合遺産として1979年に登録されました。
約550k㎡の広大な面積のティカル国立公園には、多種多様な植物が生息しています。特に珍しいのは、ジャングル内の「セイバ」と呼ばれる木で、高さ50mまで大きくなることもある世界三大花木の一つです。
世界でも、中米のこの周辺のみに生息し、特にマヤ文明の遺跡近くにはよく生えており、天界に続く「聖なる木」とされていました。花が沢山咲くと雨が多い年となり、少ないと雨も少なかったそう。マヤの人々はプロポーズなど大事な儀式を、この木の下で決めたりしたのだとか。
そして、そんな広大な土地にひっそりと佇んでいるように見える遺跡は、グアテマラにある遺跡の中でも最も保存状態が良く、マヤ文明の重要な保護区とされています。
メキシコの征服者が、ティカルの秘宝を発掘しようと1525年に訪れましたが、ジャングルが深く、絹、綿、杉、マホガニーの木などが寺院を覆い隠していたため、遺跡を見つけることができなかったのだとか。その後、グアテマラ政府が派遣した遠征隊が遺跡を発見したのは1848年のことでした。
ティカル遺跡
ティカル国立公園内にあるティカル遺跡は、グアテマラで最も重要、かつ最も有名なランドマークで、マヤ考古学の中心と言っても過言ではない遺跡です。中米におけるマヤ文明最大の都市遺跡の一つでもあり、グアテマラ北部のジャングル(ティカル国立公園内)に忽然と現れるティカル遺跡は、寺院や宮殿、公共の広場や住居など、ひとたび足を踏み入れると、中心部だけでも3,000にのぼる建造物がある大都市遺跡です。
紀元前800年頃には既に人が住んでいた形跡があり、紀元1世紀には他の都市に先駆けて王朝が成立。都市が形成されてから崩壊するまでの約800年間に33人の王が君臨し、特に最盛期の8世紀には人口は約10万人に達したー大都市でした。
4世紀後半頃から軍事力の強いメキシコのテオティワカンの影響下に入り、テオティワカンが没落する6世紀以降には自らの軍事力も強化されていたため、現ホンジュラスのコパンなどと激しい覇権争いを行い、目まぐるしい栄枯盛哀を繰り返したそうです。
そして他国のマヤと同様に、9世紀ごろ、突如として人々は姿を消しました。高度な文明を捨て、人々はどこへ行ってしまったのでしょうか。
下の写真は、後ほどご紹介する首都グアテマラ・シティにある国立考古学民族学博物館にあるティカル遺跡模型です。ティカル国立公園はとても広大ですが、中心となる遺跡はこのような配置で建造物がまとまっています。
それでは、年間20万人以上の観光客が訪れ、未だに多くの謎を秘めたティカルのマヤ遺跡をご紹介します。
Ⅰ号神殿(大いなるジャガー神殿)
遺跡群の中心となるのが、Ⅰ号神殿とその周辺です。
Ⅰ号神殿は高さ47mのピラミッドで、ティカルのマヤ文明の中で最も活躍したとされるキング(ハサウ・チャン・カウィル)が、下部の墓室に埋葬されていました。翡翠(ヒスイ)の首飾りや、装身具、土器などの副葬品が、この墓室より出土されています。
このピラミッドは、もともとあったピラミッドに覆い被さるように造られており、神殿内部の天井にジャガーの姿が彫刻されていたことから、「大いなるジャガー神殿」とも呼ばれています。
ピラミッドの形が他国のマヤ遺跡と比べても独特ですが、ティカルのピラミッドは、この形を基本としています。ちなみに、ティカルという名称は後付けされたもので、マヤ時代には「ヤシュ・ムタル」と呼ばれていたそうです。
Ⅱ号神殿
Ⅰ号神殿と見た目は変わりませんが、高さが若干低く38m。石碑に王家の女性が彫られていることから、Ⅰ号神殿のキング・ハサウの王后の墓と考えられています。
Ⅰ号神殿に対座して建てられており、こちらはピラミッドの上まで登ることができます。
グラン・プラザ広場
Ⅰ号とⅡ号神殿の間に広がる広場です。およそ800年にわたり、歴代のキングが儀式を行う、神聖な場所だったと考えられています。ちなみにティカルのマヤ王朝は、血統に基づいて父親から長子へ継承されていました。南北に中央アクロポリスと北アクロポリスの建築群が広がります。
グラン・プラザの中央に立って声をあげると、周囲の建造物に反響し、声が上の方から落ちてきます。ここで演説する人の声が、四方八方へよく行き渡るよう工夫されているのです。
中央アクロポリス
グラン・プラザの南側に広がり、多くの建造物が中庭を囲うように建てられています。ティカルの王族や貴族が住んでいた宮殿と考えられています。
Ⅲ号神殿
グラン・プラザの西側に建つ、高さ55mの神殿です。下の写真では右側に横向きに見えているのがⅢ号神殿です。左にある2つの神殿は、向かい合うⅠ号とⅡ号。ジャングルからひょっこり頭を出している様が可愛らしいです。
失われた世界
ティカル遺跡群には、異なる時代の建築物が多くあります。下の写真のピラミッドは発掘当初、あまりにも古いことから調査対象から外されたため、「失われた世界」と名付けられています。メキシコのテオティワカンと似た建築様式ですね。
現在でも放っておかれているような感じで、草や藻が生えた小山のようになっています。
7つの神殿広場
「失われた世界」のすぐ隣にあり、7つの神殿が1つの基壇に建てられています。ここで祭祀儀礼が行われていたとされています。
Ⅳ号神殿
ティカル遺跡の中で、最も高いピラミッドです。高さは65mあり、頂上までのぼることができます。神殿内部には、体が一つ、頭が二つの蛇が刻まれており、「双頭蛇の神殿」とも呼ばれています。
Ⅳ号神殿の頂上から望むティカル公園は、見渡す限りのジャングルです。日の出前や、日の入り前には、多くの地元客や観光客がこのⅣ号神殿に登り、太陽の昇沈を待ち構えています。
ここに立つと機械的な音は皆無で、風にそよぐ木々の音、鳥の鳴き声、虫の羽音、とにかく人間のが作った音は聞こえない、雄大な自然を体験することができます。ここへ来る人々は、何時間もそこへ座り、ただただ形を変えながら去り行く雲を眺め、この自然の織りなすドラマを眼に収めています。マヤの時代を生きた先祖の方々も、私たちが見ているのと同じ風景を見ていたのかと思うと、感慨深いですね。
Ⅴ号神殿
ティカルの中で、2番目に高いピラミッドです。飾り屋根には雨の神様像が彫刻されており、雨乞いの儀式が行われていたとされています。
Ⅵ号神殿
頂部の飾り屋根に、神聖文字が彫刻されている神殿です。「碑銘の神殿」とも名付けられており、神様の寝殿として祀られていたようです。
コンプレッホ(複合神殿群)
コンプレッホは、ピラミッドと石碑、祭壇などからなる複合体で、4つの建物が一組になっている様式です。ティカル独特の建物群で、マヤ歴のカトゥンを祝ったといわれています。
神殿の前に9つの石碑が建っておりますが、これらは何かの儀式があるたびにその旨をマヤ語で刻み、記念碑として建てられたと云われています。