韓国・ソウルにある五大古宮の一つ「昌慶宮」。朝鮮王朝500年の歴史の中で、政権を揺るがした様々な事件が起きた場所として知られています。今回、この記事では、世界遺産である「昌徳宮」に隣接する「昌慶宮」が歩んだ歴史と見どころをご紹介します。
この記事の目次表示
「昌慶宮」の特徴について
五大古宮の一つである「昌慶宮(チャンギョングン)」には、他の古宮にはない特徴があります。それは、正門にあたる「弘化門(ホンファムン)」などが東向きに建てられているということ。
古宮建築において門や殿などは南向きに建てられるのが原則でした。しかし「昌慶宮」は王妃たちの生活の場であることから主宮ではないこと、自然が持つエネルギーが運気に大きな影響を及ぼすことから南向きは不吉だったことなど、東向きに建てられた理由は諸説あるとされています。
「昌慶宮」が歩んだ歴史
始まりは第4代国王・世宗と「寿康宮」
第4代国王・世宗はこんな人物!
まずは、この世宗(セジョン)という国王について少し解説します。第4代国王・世宗は、朝鮮王朝最高の聖君(名君)と言われるほどとても有名です。彼がこのように評価される理由は2つ。
- 儒教の理想とする王道政治を展開したこと
- 韓国で最も知られる功績、韓国語の基礎であるハングル(訓民正音)を創製したこと
以上の理由から“尊敬される”という意味の世宗大王(セジョンデワン)とも言われています。このように、国民的英雄であることから、韓国内には数ヶ所銅像があります。
また、韓国内で使われている10,000ウォン紙幣には世宗の肖像画が描かれています。
世宗に関する歴史ドラマも過去には放送されていますので、興味を持たれた方は是非下記のドラマをチェックしてみてくださいね。
・2008年韓国のテレビ局「KBS」にて放送『大王世宗』
・2011年韓国のテレビ局「SBS」にて放送『根の深い木』
後世を送る場所としての「寿康宮」
「昌慶宮」は、上記で紹介をした、朝鮮王朝第4代国王・世宗が1418年に建てた「寿康宮(スガングン)」が始まりです。
世宗の父で第3代国王・太宗(テジョン)に後世を穏やかに送ってほしいという思いから「寿康宮」が建てられました。太宗が崩御した後は、第8代国王・睿宗(イェジョン)の時代まで、荒れ果てたままとなります。
第9代国王・成宗の時代に「寿康宮」から「昌慶宮」へ
「寿康宮」が現在の「昌慶宮」へ変わったのは、1483年の第9代国王・成宗(ソンジョン)の時代に入ってからです。「昌慶宮」へと変わったのは、3人の夫人たちのため。その3人は以下です。
- 王の祖母・貞熹王后(チョンヒワンフ/第7代国王・世祖の妃)
- 王の生母・昭恵王后(ソヘワンフ)
- 王の養母・安順王后(アンスンワンフ/第8代国王・睿宗の継妃)
上記3人の夫人たちの住まいとして「寿康宮」を改築、拡張し「昌慶宮」として新たに生まれ変わりました。元々、先王の夫人である大妃は王宮内の王の寝殿近くの裏で北東側に住むことが原則でした。
しかし、夫人たちが王宮内で王と共に生活することを気兼ねし、王宮の外で生活することを望んだため、新たに宮殿を建築することになったわけです。
第13代国王・光海君の時代から王朝の舞台へ
創建当時の「昌慶宮」は、現在とは比べものにならないくらいの大きさを誇っていましたが、創建当時の建築物は豊臣秀吉による文禄・慶長の役(韓国では壬辰倭乱/イムジンウェラン:1592年〜1598年)で焼失しています。
1616年、第13代国王・光海君(クァンヘグン)の時代に再建されると正宮であった「景福宮(キョンボックン)」がなかなか再建されなかったため、隣接する世界遺産「昌徳宮(チャンドックン)」と共に王朝の中心舞台となりました。
王朝の中心舞台となってからは、政権を揺るがす様々な事件がここ「昌慶宮」で起きました。その代表的な事件は2つ。
- 朝鮮王朝三大悪女の一人で第19代国王・粛宗(スクチョン)の側室、やがて王妃の地位まで上り詰めた張禧嬪(チャンヒビン)とその一族が処刑される
- 第21代国王・英祖(ヨンジョ)が自身の息子である思悼世子(サドセジャ)を米櫃に閉じ込め死へと追い込む
この2つの事件は、朝鮮王朝の歴史の中でとても有名且つ何度もドラマ化されていますので、興味を持った方がいれば下記ドラマをチェックをしてみてください。ドラマによってこれらの人物が様々な角度から描かれているため、大変興味深いです。またドラマでは、王朝時代の策略や陰謀など、ドロドロの王宮内を見ることができますよ(笑)。
・2002年~2003年韓国のテレビ局「KBS」にて放送『チャン・ヒビン』
・2010年韓国のテレビ局「MBC」にて放送『トンイ』
・2013年韓国のテレビ局「SBS」にて放送『チャン・オクチョン-張禧嬪-』
▼思悼世子を知るならこのドラマ!
・1998年韓国のテレビ局「MBC」にて放送『大王の道』
・2007年~2008年韓国のテレビ局「MBC」にて放送『イ・サン』
日本の統治時代、戦後、そして現代に蘇る
日本の統治時代が始まる頃の1909年に「昌慶宮」の殿閣は破壊され、王宮内に動物園や植物園が、1911年には博物館がオープンしました。「昌慶宮」という名称も「昌慶苑」となり、王宮として扱われることがなくなりました。
戦後も長い間、市民憩いの場である「公園」として知れ渡っていましたが、1983年12月より約3年間にも及ぶ昌慶宮復元工事が行われました。動物園などは郊外へ移動し、ついに1986年8月「古宮」として現代に蘇ったのです。
定番の観光スポット「景福宮」に比べると人も少ないですが、のんびり歴史散策をしたい方にはおすすめですよ♩