細川ガラシャの墓
崇禅寺(そうぜんじ)
天正10年(1582年)6月、父(明智 光秀)が織田 信長を本能寺で討って(本能寺の変)、自らも滅んだため玉は「逆臣の娘」となる。
細川ガラシャといえば、細川忠興の正室にして、明智光秀の娘(三女)です。 洗礼名の「ガラシャ」の由来は、ラテン語で恩寵・神の恵みを意味する「Gratia(グラツィア)」からきてます。 スペイン語で「ありがとう」を意味する「Gracias(グラシアス)」の語源ですね。
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スポット情報:細川ガラシャの墓
2021年8月16日