淀殿の墓 (大融寺)
太融寺は高野山真言宗の寺院で、秀吉の頃は現在よりはるかに寺域は広かったらしい。
明治10年、太融寺に大阪の鴨野(しぎ)の弁天島にあった淀殿の墓が運ばれた。陸軍の城東練兵場をその地に作るためだ。移転先に四天王寺が候補に挙がったが、家康の本陣だった茶臼山に近いことから淀殿は嫌がるだろうと、北の太融寺にとなった。
太融寺は高野山真言宗の寺院で、秀吉の頃は現在よりはるかに寺域は広かったらしい。
明治10年、太融寺に大阪の鴨野(しぎ)の弁天島にあった淀殿の墓が運ばれた。陸軍の城東練兵場をその地に作るためだ。移転先に四天王寺が候補に挙がったが、家康の本陣だった茶臼山に近いことから淀殿は嫌がるだろうと、北の太融寺にとなった。
又滋賀県は小谷とも交流が有り、小谷城の石が此処に置かれて居ますが、案内は有りませんが、多分「史跡淀殿ノ墓」と書かれた前に置かれた石ではないかと思われます。
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スポット情報:淀殿の墓(太融寺).
2021年8月24日