みんなでつくる旅行ガイドブック
サント老船長
豊臣秀頼・淀君最期の場所 豊臣秀吉の息子、秀頼は通説では、大坂の陣で大坂城で切腹したとされています。 母である淀殿と共に慶長20年(1615)5月8日、燃え上がる天守閣の北・山里丸の蔵の中で自害しています。 しかし、その激しい炎のため、真っ黒となった遺体は男女の区別さえできない状態だったと言われています。 #サント船長の写真 #歴史的人物の終焉地 #大阪
スポット情報:豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地の碑
2021年2月19日
共有する
【トラベルライターインタビューVol.3】一人旅を応援する記事を多数執筆!Emmyさんならではの人気記事執筆のコツやその原動力に迫ります