1537年斎藤正義によって築城されたお城
出典:tripnote.jp
標高276mの古城山の山頂に1537年、尾張侵略のために斎藤正義が築城し「鳥峰城」と名付けられたのが始まりです。
その後、1565年に織田信長の家臣であった森可成が城主となり「兼山城」と改名しました。可成が近江宇佐山の戦いで戦死すると、次男の森長可が城主となりますが、長可が信濃国川中島に転封となり、弟の森成利(幼名:森蘭丸)が入城します。ですが、織田信長とともに本能寺の変で討ち死にし、再び長可の領地となりました。
その後、1600年に森氏が川中島に再度転封され、建物は解体されたと伝わっており、現在は城跡として石垣などが残されています。
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美濃金山城跡の写真
美濃金山城跡の基本情報
- アクセスその他:
東海環状自動車道「可児御嵩IC」から約10分 - 住所岐阜県可児市兼山1418-210 [地図]
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※このスポット情報は2020年10月10日に登録(2022年2月7日に一部変更)した時点の情報です。
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