大徳寺 金毛閣
天正17年、天下第一の茶匠・千利休によって大徳寺の三門は、楼閣・金毛閣に造替されました。
利休モデルの木像を楼上に安置させて下さいと、敬意をこめて寺から提案があったので、利休は戸惑いながらも受け入れたのです。
ところが、参詣するために誰もがくぐる三門の上に、雪駄履きの像を立てるとはなにごとかと、そこはわしも通るのだぞと、秀吉が激怒します。
これが自刃の理由で、利休は切腹を命じられることになるのですが、不思議なことに秀吉が怒りだしたのは、造替から2年もたった天正19年のことなんですね。
実は他に説があります、それは利休の娘を側室に差し出せと言う物で、利休は断ります、果たして真実は。
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スポット情報:大徳寺
2021年6月4日