生家の離れとして建てられ通称「新座敷」と呼ばれていた建物
この建物は、1922年(大正11年)に太宰の長兄文治の結婚を機に、生家の離れとして建てられ通称「新座敷」と呼ばれていました。
戦況が悪化する1945年7月、東京から家族とともに太宰は故郷へと疎開し、1年4か月の間、この家で過ごしたのだそう。太宰はここで『パンドラの匣』、『庭』、『嘘』などの作品を次々に執筆、発表しました。元々、新座敷は「斜陽館」に隣接していましたが、1947年に現在の地に移設されました。
このスポットが紹介されている記事
津軽の祭りと音楽・文学を巡る青森県五所川原の旅
本州最北端、青森県は東の南部藩、西の津軽藩でその文化は違います。東北を代表す...
2020年2月5日|287 view|熊猫
太宰治疎開の家 旧津島家新座敷の写真
太宰治疎開の家 旧津島家新座敷の基本情報
- アクセス
- 住所青森県五所川原市金木町朝日山317-9 [地図]
- 電話番号0173-52-3063
※お問い合わせの際は「トリップノートを見た」とお伝えいただければ幸いです。 - WEB
- 営業時間9:00~17:00
- 定休日
- 料金
- 予約
- キーワード
- 備考
※このスポット情報は2017年5月8日に登録(2021年11月8日に一部変更)した時点の情報です。
内容については、ご自身の責任のもと安全性・有用性を考慮してご利用いただくようお願い致します。
内容については、ご自身の責任のもと安全性・有用性を考慮してご利用いただくようお願い致します。