京都
京都観光
世界から多くの旅行者が訪れる日本随一の観光都市

京都の旅フォト

京都の安井金毘羅宮に行きました

縁結び縁切り碑をくぐりました
志野が出している大原の野菜を使ったランチがいただけます。
京都 大原
餅と野菜とドレッシングのお店「志野」
大原の赤しそジュース、手作りのお弁当等も売ってます。
庚子堂

此処は八坂の塔の下夢見坂に有ります。


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庚子堂

此処は八坂の塔の下、夢見坂に有ります。


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庚子堂

此処は八坂の塔の下夢見坂に有ります。


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謎の人面石
此処は広沢一号墳の古墳が有り昭和31年の発掘で石室は壊され石棺もバラバラにされた事が判りました。
左手の小屋に人面石が祀られて居ます。

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人面石
実は此の奇妙な石像は壊された石棺に刻まれたものでの、何の為に作られたかは判りません、此の石像は知る人ぞ知る、
謎の多い石像かなです。

#サント船長の写真 #京都 #石像
人面石
京都右京区広沢の池南 堀川高校グランドの隅っこに有りますが、普段は入れません、私は何度も足を運んで生徒が練習中に入れました、
当時は私は若く、仕事が有りましたので中々チャンスは無く何年も掛かりました。

京都には沢山の石仏は有りますが、多分人面石は此処だけと思います。

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八坂神社
📍ROCCA & FRIENDS TRUCK / 八坂

見た目が可愛い映えなドリンク🥤💚
生クリームが多く甘めでした😌

2019.01.14
京都嵐山の竹林の道。世界遺産天龍寺の奥にあります。
朝イチで行くと人も少なくおすすめ。12月にはライトアップされてさらに幻想的になります。
大石内蔵助の遊興の地
実は大石さんは、随分と遊び好きだったそうですね、
人間死を覚悟したら、やり残した事は無いか?
大石さんは、悔いのない人生を、大石さんは、遊んでいながら作戦だったとは?男だったら一度は女遊びををしたいですね😍

#サント船長の写真  #赤穂浪士達の足跡 #京都 #史跡石碑巡り
大石内蔵助の遊興の地

京都・墨染には大石内蔵助が遊興したと伝えられる廓跡がある。 京街道と大津街道の分岐点に近く、古くから芝居小屋や土産物屋が軒を連ねたと言われる場所には左右に「橦木町廓(しゅもくちょうくるわ)入口」「志ゆもく町廓入口」と彫られ大正7年(1918年)に建てられた石柱が残っている。

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大石内蔵助の遊興の地

大石良雄(1659~1703)は,播磨赤穂藩主浅野家家老で通称内蔵助。元禄14(1701)年主君浅野長矩(1665~1701)が吉良義央(1641~1702)に江戸城中で刃傷に及び,切腹を命じられ,領地は没収された。大石良雄は赤穂藩再興をはかったが受け入れられず,山科に閑居し,伏見撞木町で遊興に耽るとみせて吉良邸討ち入りを画策したと伝える。この石標は,伏見撞木町よろづやの跡を示すものである。

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京都の新橋通です

舞妓さんはいませんでした
歌舞伎発祥の地 阿国
四条通川端に南座が見えますね。
今は此の下に京阪電車が走ってます。

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歌舞伎発祥の地 南座

コレは南座の楽屋入り口です、此処に歌舞伎発祥の地の碑が建てられて居ます。

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歌舞伎発祥 阿国

出雲大社のみこであったお国という女性が、慶長のはじめ(1600頃)創始した歌舞伎のこと。 年若い女性が中心で、異風俗や男装の群舞であったらしい。「かぶき」という語は、その当時の異様な風粧という意味の語であったから、このおどりを歌舞伎と名づけた。
此処は鴨川の四条大橋の東詰め南座が有ります。

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阿国
歌舞伎発祥の阿国
コレと同じ物が島根県は出雲にある、どちらが本家かなぁ?

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京都府

金だった金閣寺
京都府

頭良い友達に会いに来た
📍和栗専門 紗織

河原町スイーツ

和栗をふんだんに使った
贅沢なパフェ。
季節のパフェで、今回はいちご🍓

贅沢なスイーツ
店内の雰囲気も上品で
特別な日にピッタリのお店でした。
nonkaron

京都の祇園にある
お洒落なカフェ

見た目の可愛いさだけじゃなく
味も抜群のマカロン ◎

イチオシは、ヌテラ

土曜日の15時ごろに来店して
30分ほど並びました。

テイクアウト可
テイクアウトは、並ばず入れそう!
天橋立
天橋立
京都の清水寺に行きました
坂本龍馬・中岡慎太郎最期の地
日本歴史的三大ミステリーの一つ
近江屋事件(おうみやじけん)の坂本龍馬と中岡慎太郎ですが、慎太郎の住まいが、此処近江屋より南約100m程でつまり斜め向かいです。慎太郎は片腕を切られ、腕がブラブラの状態で逃げますが、3日後死亡して居ます。

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坂本龍馬・中岡慎太郎最期の地
場所は四条蛸薬師下がる近江屋と言う醤油問屋ですね、実は龍馬の住まいは此処より北の三条寄りの酢屋でした。
此の辺りは土佐藩や佐久間象山や後藤象ニ郎・池田屋・お龍さん、いく松さんの幕末の混乱期の舞台ですね。

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坂本龍馬・中岡慎太郎最期の地
日本歴史的三大ミステリーの一つ
近江屋事件(おうみやじけん)は、江戸時代末期(幕末)の慶応3年11月15日(1867年12月10日)に坂本龍馬と中岡慎太郎、龍馬の従僕であった山田藤吉の3人が京都河原町通蛸薬師下ルの近江屋井口新助邸において殺害された事件。実行犯については諸説あるが、江戸幕府の組織である京都見廻組によるものという説が有力であるが、解らん?

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明智光秀の最期の地
明智薮は以前は此処では有りませんでした😰
此処より南約100mで住宅地の中でした。

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明智光秀の最期の地
京都の小栗栖(おぐりす)「明智藪」

此処は観光地でも無く、施設も無く此処へ来ても何の証もなく、タダ此処が明智薮と書いて有るからそうなんだ!と思い想像を膨らますぐらいです♪

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明智光秀の最期の地
本能寺で織田信長を討ち、天下を取りましたが、山崎で秀吉に討たれ光秀が敗走中、落武者狩りに遭ったとされているのが京都の小栗栖(おぐりす)。そこには今も「明智藪」と呼ばれる、光秀最期の地が残っています。観光地化されていないマイナーな場所ながらも、光秀の最期を辿って訪れる人が後を絶ちません。

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鞍馬寺〜貴船神社 道中
伊東 甲子太郎絶命の地
新撰組の参謀として重要なポジションにいた隊士で新撰組との意見の食い違いから、最後は暗殺されてしまいます。

人望の厚かった伊東甲子太郎でしたが、

伊東甲子太郎が絶命した場所「本光寺(ほんこうじ)」になります。
京都の油小路七条に本光寺はあります。

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伊東 甲子太郎絶命の地
伊東 甲子太郎は、新選組の近藤勇他に騙し討ちの様に暗殺されます、
その場所が写真の地です。

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伊東 甲子太郎絶命の地
伊東 甲子太郎は、幕末の新選組参謀及び文学師範、のち御陵衛士盟主。 名前については「きねたろう」とも読めるが、同時代の史料に「樫次郎」と表記されたものがあることから、「かしたろう」が正しいとされる。

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#金閣寺
京都 六角堂
地蔵がいっぱい
京都 御金神社
見るからに金運の神社
京都壬生寺の鳥居です
一夜天神
此の天神様は遠方にいる方をお守りしていただける神さまです。

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祇園 辰巳大明神の鳥居


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伏見稲荷の鳥居
朱塗りの鳥居が二筋の参道に隙間なく立ち並び,トンネル状になっていて、奥の院までが約800基有るそうです。

伏見稲荷の鳥居は、山全体では約1万基と言われて居ますが、数えた方がおられました、3380基だそうですが、毎日3本の取り替えがあるそうです。
因みに誰でも鳥居は奉納出来ますが、何年待ちかなぁ〜。

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伏見稲荷の鳥居
伏見稲荷の千本鳥居とは,境内の後方にある稲荷山(お山)の奥宮から奥社に続く参道に密集して建てられている鳥居です。

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伏見稲荷大社の千本鳥居
伏見稲荷大社は,京都市伏見区深草に位置し,全国に約4万社あるといわれる稲荷神社の総本社です。

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錦天満宮の鳥居
錦天満宮の西10m程進んだ、寺町通りと新京極通りの間(錦小路通)にあります。
鳥居は、昭和10年(1935)に建てられました。
その当時、錦小路通は錦天満宮の参道であったそうで、周辺は錦天満宮の境内だったとのこと。
もともと、鳥居の下には民家があったそうです。
その後、鳥居の両側の土地が売られた際、鳥居の柱の位置だけで道路幅を決め、ビルが建設されました。
測量ミスですが、鳥居を壊す事無く北側のビルは1990年、南側のビルは1988年に建てられたそうです。

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嵯峨 野々宮の黒鳥居

正面に建つ鳥居が「黒木鳥居(くろきのとりい)」といわれ、木の皮を剥がさずに樹皮が付いたままのクヌギの木で組み立てられています。古代の鳥居の形を今に残すもので、野宮神社の周囲を囲む「くろもじ」の小柴垣とともに気品と歴史を物語っています。

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平安神宮大鳥居(へいあんじんぐうおおとりい)は、京都府京都市左京区の平安神宮の応天門から約300メートル南の神宮道に所在する、高さ24m、幅18mの大鳥居である。

柱下部の藁座に扉があって、そこから鳥居内部に入ってメンテナンスが行われてるそうな。

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京都三珍鳥居
「京都三珍鳥居」とは、京都市にある3つの神社の珍しい鳥居のことである。

①京福電鉄嵐山線の「蚕ノ社(かいこのやしろ)」駅の側に石鳥居がある。
車が通る道路だが、そこから続く参道の突き当たりに社の森が見える。

「木島(このしま)神社の三柱鳥居」
として載せているが、珍しい3本足の鳥居が立っている。
「三柱(みはしら)鳥居」と言われている鳥居である。
何故3本の柱なのか詳しい理由は分かっていないそうだ。 

#鳥居 #サント船長の写真 #神社仏閣 #京都
京都三珍鳥居

② 2つ目の珍しい鳥居は「唐破風(からはふ)鳥居」。
京都御苑内にある厳島神社の「唐破風鳥居」は、
上部の横柱が曲線状に反り曲がっている。
平清盛が寄贈した鳥居だとか。 

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京都三珍鳥居
③ 3つ目の珍しい鳥居は「蓮社(れんざ)石鳥居」。

北野天満宮内の末社・伴氏社(ともうじしゃ)の「蓮社石鳥居」は、
柱の台座にハスの花びらの形が刻まれているのが珍しい。
ハス(蓮)は、仏教では極楽に咲く花で、神仏習合を反映している。
なお、伴氏社は菅原道真の母を祀っているそうだ。 

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大豊神社

全国には干支の狛犬が有りますので調べ投稿したいですね。
先ず干支の一番目はネズミです。
此処は京都哲学の道の近くです。2020年はネズミ年で此の神社は賑わったかな?

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大豊神社
京都の神社には珍しい狛犬が有りますのでそれを紹介します。
コレはネズミの狛犬ですね。

#狛犬巡り #サント船長の写真
大豊神社

大豊神社は、市バス停「宮ノ前町」から徒歩約8分、「東天王町」から徒歩約10分、京都を代表する観光地・哲学の道の南端にあります。2匹のねずみが描かれた大きな絵馬が神社の目印。哲学の道を横切って緩やかな坂を登れば、豊かな緑に囲まれた大豊神社へと到着します。

#狛犬巡り #サント船長の写真 #京都
豊臣秀吉の墓 
1599年、4月、秀吉の遺言によりその遺骸は、阿弥陀ヶ峰山頂に秘密裏に埋葬される。墳上には祠廟が、山麓(太閤坦、たいこうだいら)には社殿が造営される。

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豊臣秀吉の墓 
1599年、4月、秀吉の遺言によりその遺骸は、阿弥陀ヶ峰山頂に秘密裏に埋葬される。墳上には祠廟が、山麓(太閤坦、たいこうだいら)には社殿が造営される。

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阿弥陀ヶ峰太閤陵墓


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円山 応挙の墓所
円山応挙の墓 広隆寺のすぐ東側に悟眞寺がある。
コレは偶然でした、此処に円山応挙の墓が有るとは知りませんでした。 入り口に立派な門があるわけでもないので、そのまま入っていくと参道沿いに少し駐車場があり、境内へと続く。非常に綺麗に整備された境内であり、本堂も新築のように綺麗ですね、隣接に幼稚園が有り、此の寺の経営かなぁ?

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円山 応挙の墓所
江戸時代中期~後期の絵師。 近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、写生を重視した親しみやすい画風が特色である。 諸説あるが「足のない幽霊」を描き始めた画家とも言われている。
生年月日:1733年6月12日

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紫式部墓・小野篁墓
堀川通りから此の銘石は見えます。


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紫式部墓・小野篁墓

手前が右手が紫式部で、奥左手が小野篁の墓と言われています。


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紫式部墓・小野篁墓
謎何ですが、紫式部と小野篁の墓が並んで居ます、何でかなぁ?
小野篁の小野小町なら分かりますがね、

小野篁と小野小町は親戚関係と聞いて居ますので。
何れにしろ此の二人は謎で特に小野小町は晩年は判らない事だらけです。

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紫式部墓・小野篁墓

北大路通南、堀川通西に、平安時代の紫式部(むらさき-しきぶ)と小野篁(おの-の-たかむら)の墓と伝わるものがある。
奈良時代、853年、小野篁が亡くなった。この地に葬られたとの伝承がある。
平安時代、紫式部(973?-1031?)は、口碑としてこの地に葬られたという。付近はかつて、雲林寺の境内に含まれていたとみられている。


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京都二十六聖人の発症の地

秀吉は、妙満寺跡(四条堀川付近)の広大な土地を彼らに与えた。石碑は妙満寺跡に有り、現在の岩上通四条下がる。


#サント船長の写真 #キリスタン #京都
「妙満寺跡・二十六聖人発祥之地」

(妙満寺町)の碑が立つ。付近にはかつてキリシタンが住む町があったという。

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#二十六聖人
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