エメラルドグリーンのビーチとサンゴ礁に囲まれた、美しい島「ザンジバル」。アフリカやアラブ、ヨーロッパと様々な国によって支配された歴史的背景が特異な景観を生み出したとして、旧市街地である「ストーンタウン」は世界遺産に登録されています。そんな世界遺産の町ストーンタウンには、負の遺産である「旧奴隷市場」があり、誰もが知るべき奴隷市場の残虐で非人道的な状況を生々しくも深く学ばせてくれる場所として残されています。美しいザンジバルの悲しい歴史を知ることで、なおさらザンジバルの魅力に気付くこと間違いなしです!
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特異な歴史的背景を持つ、美しい島「ザンジバル」とは?
東アフリカに位置するタンザニアの東、インド洋に浮かぶ美しい島「ザンジバル(Zanzibar)」。もともとモンスーンの影響を大きく受けることから、風を利用した貿易が紀元前10世紀頃には始まっていたといわれています。
また、8世紀以降にはアラブ商人たちによる大規模なインド洋貿易が盛んとなり、15世紀の大航海時代にはポルトガルによって占領されます。
そして1832年、オマーンのスルタンであったサイイド・サイードによって首都がザンジバルに移され、ザンジバル王国が建国されるも、勢力を伸ばしたイギリスの植民地となります。
その後、1963年にはザンジバルとして独立を果たしながら、発生したクーデターによって崩壊したザンジバルは、1964年から現在に至るまでタンザニア連合共和国に属すという特異な歴史的背景を持つのです。
このようにアラブ諸国やアフリカ、ヨーロッパと様々な国によって支配されてきた歴史ゆえ、タンザニアとは異なる独自の文化を築いてきたのです。
そのため、ザンジバルで暮らす人々にとって独自文化に対する思い入れは強く、独立志向が高いことから、タンザニア連合共和国に属す現在もなお独自の自治政府や大統領が存在するだけでなく、ザンジバルを訪れる際には税関があり、イミグレーションが設けられているのです。
歴史的背景を映し出す、世界遺産の町「ストーンタウン」
ザンジバル島の中心は「ザンジバル・シティ」と呼ばれ、一方ザンジバルの旧市街である「ストーンタウン」は、特異な歴史的景観をつくりだす町として、2000年には町がまるごと世界遺産に登録されています。
ヨーロッパ文化とアラブ文化が入り混じる3階建て以上の石造建築物が連なる独特の景観を誇るストーンタウンでは、ザンジバルが単に美しいだけの島ではないことを象徴しているかのような特有の雰囲気が漂っているのが特徴的です。
世界遺産の町「ストーンタウン」に残る負の遺産「旧奴隷市場」
町がまるごと世界遺産に登録されているストーンタウンには、負の遺産ともいえる「旧奴隷市場」が残されています。アラブ商人たちによって築かれた奴隷市場には、ケニアやタンザニアなど東アフリカ全域より連れられた奴隷たちが集められ売買されていったのです。
奴隷貿易がヨーロッパ各国で廃止された後も密貿易として続けられ、ここストーンタウンでは1873年6月6日に閉鎖されるまで実際にこの場所で奴隷市場が開かれていたのです。
奴隷市場が閉鎖された後、旧奴隷市場の地には7年もの歳月を費やして「アングリカン大聖堂」が建てられました。
- 写真:トラベルライターThe Anglican Cathedral Church Of Christ
- 写真:トラベルライターThe Anglican Cathedral Church Of Christ
外観だけでなく、ステンドグラスをはじめ立派な大聖堂だからこそ、ついここが旧奴隷市場であることを忘れてしまいそうになります。ただし、ここは旧奴隷市場。大聖堂の庭には記念碑や奴隷5人の石像が立てられており、知るべき負の歴史を伝え続けているのです。
負の歴史の重さを伝え続ける「奴隷5人の石像」
旧奴隷市場の象徴ともいえるのが、スウェーデン人の彫刻家によって造られた奴隷5人の石像です。奴隷たちの首には当時実際に奴隷に使用されていた金属製の首輪が付けられており、手に取ることでそのズッシリとした重さを実感しながら、知るべき負の歴史の重さを目の当たりにする場所でもあります。
地下室に残される「奴隷の収容所」
アングリカン大聖堂の隣にある建物の地下室には、当時東アフリカ全域から連れられた奴隷たちが収容されていた部屋が残されており、奴隷市場がいかに残虐で非人道的なものであったかを生々しく学ぶことができます。
暗く湿った狭い地下室では、動く隙間がないほど多くの奴隷たちが押し込まれ、鎖に繋がれ、奴隷として売買されるまでの時間を過ごしていたのです。
「旧奴隷市場」で知るべき負の歴史を、より深く学ぶために
旧奴隷市場を訪れると、入り口で入場料10,000タンザニアシリング(日本円で約480円)を支払います。このとき、入り口付近にはガイドたちが集まっており勧誘されるはずです。
英語ガイドのみになってしまうものの、しっかりと負の歴史を学びたいのなら、迷わずガイドを付けることをおすすめします!文字等で説明されている資料展示が非常に乏しく、深く学びたいのであればガイドなしでは情報量が少なすぎます。
実際に、筆者の場合は青年ガイドにチップを支払い案内してもらいましたが、彼が持っていた情報量の多さに驚かされたとともに、いかに展示資料が少ないかを実感させられました。
また、彼のそれほど遠くない祖先が奴隷として残虐な扱いを受けていたという歴史を自ら深く学び、ガイドとして私たち観光客に伝えたいという姿勢に心を動かされました。ぜひ、知るべき負の歴史をより深く学びたいという人は参考にしてみてください!