加賀百万石でお馴染みの前田利家が築いた金沢城。城内のあちこちにある個性的な石垣や、寒冷対策として施工されながらも見た目にも美しい海鼠壁など、実用性とデザイン性を兼ね備えたお城です。今回は金沢城のシンボルとも言える復元された菱櫓や五十間長屋を含め、訪れた際にぜひ押さえておきたい見学ポイントを4つご紹介します。
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金沢城の歴史
金沢城は、1580年加賀一向一揆の拠点だった金沢御堂を、織田信長軍の佐久間盛政が陥落させ、そこに城を築いたことが始まりです。
1583年、加賀支配の拠点として近世城郭の形に改修したのが、加賀百万石の祖である前田利家です。天守は1602年の落雷により焼失。その後再建されることがなく、形状についても記録が残っていないため残念ながらその姿は不明のままです。
明治14年に焼失した五十間長屋、菱櫓などが平成13年に再建され、城のシンボルとして多くの観光客を魅了しています。
それでは見学ポイントをご紹介していきましょう。
1.重要文化財「石川門」から入城。その前には百間堀をチェックしよう!
日本三大庭園としても有名な兼六園側にある石川門。1788年に再建されたこちらの門は、重要文化財にも登録されています。
石川門手前には石川橋という名の橋がかかっていますが、ちょっと橋から下を覗いて兼六園と金沢城の間を走る道路に注目!
現在お堀通りという名のついたこちらの道。文字通り以前ここは百間堀と呼ばれる水掘でした。長さ約270m、幅約68.4m。防衛上重要な堀で、その大きさから百間堀という名がついたそうです。
2.多種多様の石垣を見つけてみよう!
石垣造りを得意とした前田家。改修の度に新たな積み方を生み出したため、城内には様々な形状の石垣が存在しています。
お城見学というと、どうしても城内の建物に注目しがちですが、ぜひ金沢城に来たら石垣に着目して頂きたいです。
左右の違いが一目瞭然【石川門石垣】
先ほどご紹介した石川門。くぐって城内へ入るとまず目に入るのがこちらの石垣です。右と左で積み方が異なっているのが一目で分かります。
右側は「切石(きりいし)積み」。左側は「粗加工石(あらかこういし)積み」と呼ばれ、1765年改修時のものと言われています。
再建された【五十間長屋・菱櫓・橋爪門続櫓石垣】
再建された五十間長屋などの土台となっている石垣は、建物の復元に伴い一旦解体された後、再度積み直しが行われました。
注目して頂きたいのは、端の算木積と呼ばれる積み方の石垣。他の箇所とは違い、直方体の石を交互に積んでいるのがよくわかります。これは、強度を増すための積み方で、多くの城で用いられています。算木積の生み出す美しい稜線に着目してみてください。
石垣技術者が絶賛【二の丸北面石垣】
形や大きさを揃えた粗加工石を積んだ「粗加工石積み」。その中でも最も完成されたもので、1668年改修時の姿を残しています。加賀藩の石垣技術者であった後藤彦三郎が「城内でも指折りの石垣」と褒め称えたと言われています。
刻印探しが楽しい【数寄屋敷石垣】
きっちりとパズルのようにはめ込まれた数寄屋敷石垣。近づいて見てみると、石に何やら模様が刻まれているのが見えます。
これは刻印と言われ、石垣職人が自分たちの石の目印としてつけたものと言われています。この他にも城内には刻印の残る石垣が沢山ありますので、職人たちのアピール印、ぜひ見つけてみてください。
庭園の景観の一部に【玉泉院丸庭園に面した石垣】
城の内庭であった玉泉院丸庭園に面したこちらの石垣は、高さや向きや色を変え、防御というよりむしろデザイン性が高いと感じる石垣。庭の景観の一要素として機能していたと考えられています。
3.再建された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓・橋爪門を見学しよう!
金沢城といえば、菱櫓と橋爪門続櫓を五十間長屋でつないだ建物。こちらがやはりシンボル的な存在で、観光ガイドブックなどでも多く目にする姿です。
城のメインともされる本丸の機能が、1759年の火災以降二の丸に移され、五十間長屋などもこの頃整備されたと考えられています。明治14年に焼失してしまいましたが、平成13年に古来の伝統的な工法により復元再建されました。
有料(大人310円 小人100円)とはなりますが、内部は一般公開されています。明治以降に建てられた木造城郭建造物では、最大規模の建物内部をぜひ見学してみましょう。