宝福寺 下田
境内にある宝福寺の看板です。目立ちます!
こちら宝福寺は、下田では知らない人はいない、
幕末の元芸者さんの「唐人お吉」が眠り、坂本龍馬が旅立って行ったお寺なんです。

#サント船長の写真 #伊豆・鎌倉旅行
欠乏所の跡

下田の歴史を語る上で重要な場所ですね、
欠乏所は薪や水など最低限の物資を供給する場所として設置されましたが、条約の内容が曖昧だったため、様々な物資が取り扱われました。

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ペリー艦隊上陸の港
此処から日本の夜明けが始まる、


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伊豆急下田駅


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熱海の海岸散歩する、
寛一・お宮の像

此処には、3度来て居ます、
夜に来たのは初めてです♪矢張り金色夜叉は夜でないとね(笑)

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戦艦「陸奥」
主砲と砲弾  横須賀湾


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PL教団のタワー


#サント船長の写真
2023年 祇園祭
屏風祭り
宵宵宵山から山鉾町の御店では、祖先から伝わる屏風を出し町衆に見せる習わしがあります、期間は短いですが、山鉾と合わせてごらん下さいね♪ 先の祭りでは見学料を徴収する所も有りますが、後の祭りでは無料です。

#サント船長の写真 #京都三大祭り
妙満寺跡 (京都)
此処はかつてのキリスタンの救済のお寺でしたが、キリスタン禁止令が出ると、当時の奉行で
あった石田三成はキリスタンを辞めるなら命は守ると言いましたが、信者は死の道を選び、大阪・堺の信者ら26人は長崎へ送られ、槍で処刑されます。妙満寺は26聖人の出発の地です。

京都市下京区堀川四条下がるの此の地は妙満寺が有った所です。

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方広寺の巨石
豊臣秀吉が築いた大仏殿の石垣
かつては此処に日本最大級の大仏殿があった、今はその当時の石垣が残るのみ。
石碑には天正十四年 豊臣秀吉築造都刻まれている。

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FM千里83.7 (大阪府千里)
サント船長FM千里で、エマ・アンデス・河童の大将さんの番組にゲストでフィリピン移住体験談を語る。

ネット配信されて居ます。
6月17日午後8:00 QR入れました。

#サント船長の写真
伏見桃山 旧伏見城の残石

伏見桃山の明治天皇陵の周辺には旧伏見城の残石が沢山残って居ます。

#サント船長の写真 #城巡り #城跡
#伏見城の遺構 #石垣巡り
大阪天保山の大観覧車

直径107m 高さ112.5m世界最大級の観覧車ですね。

#サント船長の写真 #天保山
八甲田丸
青函連絡船での海路しかない時代も長い間ありました。1908年から1988年までの80年間、青森と函館を結ぶ連絡船として多くの乗客と貨物を運んだ八甲田丸を、青函連絡船廃止後に「海の街」青森の記念碑として就航当時の状態で係留・保存したのが「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」。今では歴史を感じさせてくれる貴重なスポットとなり、その明るい黄色の船体は多くの市民に親しまれています。

#サント船長の写真
将軍塚 青龍殿  
京都府京都市山科区厨子奥花鳥町28

将軍塚には2mの人形に甲冑を着せそれを埋めて有る、
此の話は京の都を守る為、神武天皇が行いました。

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巌流島 (船島)


#サント船長の写真
ヨウラクボク (京都府植物園)

「世界一美しい花木」とか「気難しい花木の女王様」「花木の女王」と言われています、原産地はミャンマーの南部で花見頃は5月末迄です♪
此の花を咲かせるのは京都府立植物園で日本でも数少ない貴重な花です♪

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大阪城の残念石


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戎橋 (大阪)



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法善寺の水掛け不動



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札幌時計台
④北海道を原付バイク走る
北海道の旅を投稿します、

#の北海道の旅をプチツとね、
#サント船長の写真 #北海道の旅
広沢古墳群の人面石

京都嵯峨に有る広沢一号古墳

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大文字山から京都市内を

京都市内の何処かわかるかなぁ〜

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京都南禅寺の三門

皆さん、一度は「絶景かな、絶景かな」という言葉を聞いたことはありませんか?この言葉は、かの有名な石川五右衛門が歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」の中で、南禅寺三門からの満開の桜の景色を愛でて言った名台詞です。
桜、新緑、紅葉のシーズンには、ひときわ華やかになり美しさが増す南禅寺。時には、三門の楼上へあがって南禅寺の魅力をより感じてみませんか。

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京都知恩院の三門

元和7年(1621)、徳川2代将軍秀忠公の命を受け建立されました。 構造は五間三戸・二階二重門・入母屋造本瓦葺(いりもやづくりほんがわらぶき)で、高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚。その構造・規模において、わが国最大級の木造の門で、外に掲げられている「華頂山」の額の大きさは畳2畳以上です。

一般には寺院の門を称して「山門」と書くのに対し、知恩院の門は、「三門」と書きます。
これは、「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」という、悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす門(三解脱門:さんげだつもん)を意味しています。

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京都御所



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京都御所 清涼殿



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京都御所 紫宸殿



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京都葵祭り
4年ぶりに5月15日に開催されます。


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南禅寺水路閣
一般観光者が行かない所から撮影。

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八坂庚申堂

京都の中でも清水寺や八坂神社などがある「東山」は、京都観光でも欠かせないエリア。「八坂庚申堂(やさかこうし正式名称は「大黒山 金剛寺 庚申堂」といいます。
庚申の日に徹夜して眠らず、身を慎めば長生できるという庚申信仰(こうしんしんこう)の中心的な仏像「青面金剛(しょうめんこんごう)」を一般の人がお参りできるように八坂庚申堂が建てられました。
また庚申信仰は猿を神の使いとしているため、境内には「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿も祀られています。

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大原の里 寂光院


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西本願寺の天邪鬼


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龍谷大学本館


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飛雲閣 (西本願寺)
世界文化遺産


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西本願寺 (世界文化遺産)


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東本願寺


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らくがき寺
単伝庵 京都府八幡市八幡
日本はもちろん世界の多くの遺跡や施設でらくがきが問題になって居ますが、日本で唯一らくがきを勧める寺が京都府八幡市にあります。その名は「単伝庵」といい、地元では通称“らくがき寺”と呼ばれて親しまれています。

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飛行神社
京都府八幡市八幡土井44 

飛行神社とはなんともユニークな神社です♪飛行実験に成功した二宮忠八なる人物の神社ですが、飛行機事故、殉死者などを祀って居ますが、建物がギリシャ建築風であったり、ゼロ戦のエンジン部やF-104戦闘機のエンジンがある、よく分からない神社です♪
#サント船長の写真
横浜ランドマークタワー
神奈川県横浜市西区みなとみらいの超高層複合ビル。「横浜みなとみらい21」地区の開発を主導した三菱地所が建築・設計・保有している。 1990年3月20日に着工し、1993年7月16日に開業した。

#サント船長の写真
万国橋
万国橋は、神奈川県横浜市中区海岸通四・五丁目と新港一・二丁目の間の運河に架かるコンクリートアーチ橋。馬車道からつながる万国橋通りが橋上を通過する。現在の橋は1940年に完成した二代目である。 1991年には、かながわの橋100選に認定されている。

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醍醐三宝院の庭

三宝院は永久3年(1115)、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により創建されました。醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊です。現在の三宝院は、その建造物の大半が重文に指定されている。中でも庭園全体を見渡せる表書院は寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建造物であり、国宝に指定されています。

#醍醐寺 #三宝院
春日大社のムクロジ
宿り木のような此の木は、奈良春日大社の敷地内に有ります。ムクロジの木から竹が出て居ます。

#サント船長の写真
平安神宮の泰平閣
京都御所にあった京都博覧会の建物を大正元年に移築されました。屋根は桧皮葺、二層の楼閣の頂には西向きに青銅の鳳凰が載っています。
東山のひとつ将軍塚のある華頂山を借景にして、泰平閣が美しく控えています。回廊から眺める池泉回遊式庭園の神苑の光景は非常に趣があり、周囲に植えられた花や木々が四季折々の風景を見せてくれます。

#サント船長の写真 #平安神宮
京都最古の市電 (平安神宮)
近代京都を水力発電で走り抜けた、
日本最古の電車。

 南神苑には日本最古の電車「チンチン電車」が置かれています。
この電車は明治28年(1895年)、平安遷都1100年記念事業の一つとして、平安神宮創建とともに“京都復興”への市民の願いが込められて敷設されたもので、運行が廃止された年に平安神宮へ運び込まれました。
琵琶湖疏水の水を利用して発電した電力を用い、日本で初めて市内を走行しました。
かつては、チンチンとベルを鳴らしながら、京都・伏見間6.3kmを皮切りに、京都市民の足として昭和37年(1962年)まで活躍していました。
京都にとどまらず、日本の近代技術や都市の発展にも寄与した水力発電とチンチン電車。
近代の京都に息づいていたエコな先駆けは、こんなところにも見られます。

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善光寺の賓頭盧尊者像
盗難に遭う。


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諏訪の中山道
伊那や松本へ通じる街道の分岐点にあり交通の要地だった。明治期の火災で本陣・脇本陣などは焼失し「旅籠いてふ屋」(国重文)だけが残った。現在は国道のため大型車の往来が多く宿場の景観は少ない。

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諏訪大社の御柱
 諏訪大社式年造営御柱大祭は上社の本宮と前宮、下社春宮と秋宮で申(さる)・寅(とら)年の 7年目ごとに行われている。奥山から樅(もみ)の大木を伐(き)り出し諏訪地方3市2町1村の大勢の氏子達が社頭まで曳(ひ)いて、それぞれ社殿四隅に建てることと、御宝殿の建て替え遷座の儀から成っている。これを大社側では「御柱祭(みはしらさい)」と呼んでいる。

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史跡 千尋の池

「千尋社周辺の千尋池は、諏訪大社下社の宝印で重要文化財の「売神祝ノ印(めがみはふりのいん)」が発見されたという伝説がある神池。
明治以降は人家の中に埋没したが、地元有志が復興会を組織し、家屋移転などを経て四十三年に復旧した。

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平安神宮の神苑


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奈良興福寺の五重の塔

間も無く興福寺の五重の塔は2030年3月迄解体修復で覆いで見られなく成ります。

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大仏さんの手のレプリカ
奈良東大寺に有りますよ、

#サント船長の写真
旧奈良県物産陳列所

旧奈良県物産陳列所は、明治35年(1902年)に奈良県特産品の展示即売場として建てられました。奈良公園の景観との調和を考えて、外観は飛鳥時代から鎌倉時代の和風建築様式を取り入れていますが、内部は洋風となっているそうです。

#サント船長の写真
奈良東大寺盧舎那仏像


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諏訪大社下社春宮の参道の力石
春宮の表参道を行くと、神社の手前に木造の太鼓橋があり更にその手前に力石が有ります。
大門通りの右側に巨石が並ぶ一角がある。
これらは「力石」と呼ばれ、昔から村の集会場の庭に置かれていた。
昭和の初期ごろまで、若者たちの力比べに使われていたそう。
重いもので約60kgあり、民俗的にも貴重な資料ですね。

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諏訪大社下社春宮下馬橋
諏訪大社下社春宮の表参道を行くと、神社の手前で道路に挟まれた状態の屋根付きの木造の太鼓橋があります。 大昔は全ての参拝者が馬や乗り物から降りてこの橋を渡っていたそうです。 現在は通常通行禁止にしており、毎年2/1と8/1に春宮と下社秋宮の間で行われる遷座祭で、神輿だけが通る一種の「神橋」となっています。 橋の下には御手洗(みたらし)川という小川が流れていますが、周辺が宅地化したため川は暗渠になっています。 

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舞鶴城公園(甲府城跡)

武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城されました。関東の徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として築かれたといわれ、徳川体制になってからは西側への備えとしての重要性を保ち続けたといわれています。

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新倉富士浅間公園
「富士山」五重塔「忠霊塔」が一目に見ることができ此処が日本だ!と体感で来ます。海外からも大絶賛のスポットです。新倉山の中腹にあり、398段の階段を登るプチ登山の後に見る景色は一見の価値があります。
公園内には約650本の桜が植えられ、春にはさくらまつりは4月1日からです♪

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新倉富士浅間神社
甲斐国八代郡荒倉郷(現在地:新倉地区)の氏神として705年に創建された神社です。807年に富士山の大噴火があった際に、朝廷からの勅使による国土安泰を祈願する富士山鎮火祭が執行されたと伝わっており、その時、時の天皇である平城天皇より三国第一山の称号、並びに天皇の御親筆であり現在大鳥居にある勅額などが奉納されたとされています。

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万治の石仏 (諏訪市)
万治の石仏(まんじのせきぶつ)は、長野県諏訪郡下諏訪町東山田字石仏にある、江戸時代前期の1660年(万治3年)に造られた石仏。所有者は下諏訪町で、同町の指定有形文化財に指定されている(昭和57年(1982年)3月26日指定)。砥川を挟み、諏訪大社下社春宮の対岸に位置する。所在地の小地名「石仏」も同石仏に由来する。


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醍醐寺の桜

京都における桜の名所の一つ、世界遺産・醍醐寺は豊臣秀吉が「醍醐の花見」をおこなったことでも知られています。その半年後に秀吉はこの世を去ることになりますが、最後であることを悟っていたのかそれはそれは壮大な花見だったそうです。そんな秀吉に思いを馳せつつ醍醐寺の桜を愛でてみませんか?

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醍醐寺の三宝院
三宝院は永久3年(1115)、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により創建されました。醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊です。現在の三宝院は、その建造物の大半が重文に指定されている。中でも庭園全体を見渡せる表書院は寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建造物であり、国宝に指定されています。

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明智薮 (京都伏見小栗栖)
明智藪 明智光秀「絶命の地」はこんな何処です。
言って置きますが、車では無理です、バイクなら大丈夫ですね。
兎に角、下調べを充分にして明智薮へ、
	伏見区小栗栖小阪町

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清水寺の産寧坂(三年坂)

清水寺へお参りに一念坂・二寧坂と歩き最後の産寧坂(三年坂)から清水寺へ、コレは豊臣秀吉の正室の北政所の寧々さんが、秀吉の死後高台寺から歩いた道です、阿弥陀ヶ峰の秀吉の墓所にお参りのコースでした。

此の枝垂れ桜が2024・4・24日かな、根元から折れました。

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京都高瀬川の桜
高瀬川は、江戸時代初期に角倉了以・素庵の父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である。 開削から1920年までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。名称はこの水運に用いる「高瀬舟」にちなんでいる。

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