産寧坂

大昔の武将・豊臣秀吉の妻、「ねね」の菩提寺(お墓があるお寺)が、高台寺です。近くに住居を構えていたねねは、無事に元気な子どもが生まれることを願ってこの坂を上がり清水寺にお参りしていました。そのことから、安産を願う文字を当てはめて「産寧坂(さんねんざか)」と呼ばれるようになり、その下の坂を「二年坂(二寧坂)」、さらにその下にある坂を「一年坂(一念坂)」と呼ぶようになったと伝えられています。

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二年坂


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一念坂

一年坂(一念坂)、二年坂(二寧坂)、三年坂(産寧坂)は、古くから清水寺の参道の一部として栄えてきました。坂道の両側には、京都らしい和風の建物が並び、その多くが土産物屋です。近くには高台寺や八坂の塔もあり、清水寺を中心とする観光ルートとして人気。民家の向こうに見える三重の塔、点在する寺院など、京都らしい雰囲気を楽しめるエリアです。それほど急な坂道ではないので、気軽に歩いてみましょう。

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清水 善光寺

此処に首振り地蔵様が有ります。
地蔵様の首を願いの叶えてたい方向に向けてお祈りを、すれば叶うとか?

普通ならお堂の縁側に居られるのはビンツルさんですが、此処は珍しいですね。

#サント船長の写真 #清水寺
黄檗山万福寺のランタンフェスティバル
令和5年1月31日迄開催中
黄檗ランタンフェスティバル 〜境内を彩る夜の特別拝観〜
17時30分から21時

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京都黄檗山万福寺の総門

 萬福寺の総門は、1661年(寛文元年)の建立(重文)。
 中央の屋根が高く、左右の屋根が低い牌楼式(ぱいろう)の中国的な門。

 中央の屋根の左右に乗せられているのは想像上の生物・摩伽羅(まから)。

 摩伽羅は、ガンジス河の女神の乗り物で、そこに生息しているワニをさす言葉だという。
 聖域結界となる入口の門・屋根・仏像等の装飾に使われている。

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ヒスイ海岸
ここヒスイ海岸は、日本でも珍しい小石の海岸です。ブルーやグリーン、そしてコバルト色に輝く五色の小石が海岸にちりばめられ、青緑色に輝くヒスイの原石も!そのため、「ヒスイ海岸」とも呼ばれています。

エメラルドグリーンに輝く海では、海水浴やウインドサーフィンなどを思いっきり楽しめます。

*ヒスイを探すテクニックは朝早く来て、波打ち際を探す事ですね。

#サント船長の写真
鍵屋の辻の決闘

鍵屋の辻の決闘は、寛永11年11月7日に渡辺数馬と荒木又右衛門が数馬の弟の仇である河合又五郎を伊賀国上野の鍵屋の辻で討った事件。伊賀越の仇討ちとも言う。曾我兄弟の仇討ちと赤穂浪士の討ち入りに並ぶ日本三大仇討ちの一つ。

#サント船長の写真
大溝城跡
滋賀県高島市

JR近江高島駅の東南約150mにあります。石垣に囲まれた小高い森が、大溝城の天守跡です。大溝城は新荘城(現新旭町)にいた織田信澄(のぶすみ)が、安土・桃山時代に築城したもので、商家や寺院などを移して城下町を造りました。本丸の南東の乙女ヶ池は琵琶湖の内湖で、古地図によると、大溝城は城堀を内堀とし、乙女ヶ池を外堀とする水城であり、「鴻湖(こうこ)城」とも呼ばれました。江戸時代に分部光信が城主になると、この地を陣屋として12代光謙(みつのり)の明治維新までその支配が続きました。

#サント船長の写真 #お城巡り #城跡 #石垣巡り #滋賀県
鶴ヶ城の武者走り

このV字型の武者走りは全国的に見ても珍しく、若松城の特色の一つでもあります。 大手門となる太鼓門の渡り櫓などへ簡単に昇り降りができるように作られています。 

#サント船長の写真 #鶴ヶ城 #お城巡り
備中松山城 
標高430mの臥牛山頂上付近に建つ天守は、国の重要文化財で、現存天守を持つ山城としては最も高い所にあります。鎌倉時代、有漢郷(現高梁市有漢町)の地頭秋庭重信が大松山に城を築いたのを起源とし、1683(天和三)年に水谷勝宗によって3年がかりで修築され、今の天守の姿になりました。

もう何年前かなぁ、夏の暑い盛りに此処に登りました。
息も絶え絶えに、すると、此のお城の管理をされて居る方から、「良く登って来られました♪」と、それは冷たいお茶を振るまって頂きました♪そのお茶の美味しい事、俺等はお茶を飲みながら、管理人ので方からお城の説明を、今もハッキリ覚えて居ります。

#サント船長の写真 #現存する木造の天守閣 #お城巡り #城跡
八坂庚申堂

京都東山にある「八坂庚申堂(やさかこうしんどう)」をご存知でしょうか。正式名称は、「大黒山 金剛寺 庚申堂」と言います。八坂庚申堂は、中国の道教由来である庚申信仰を日本で最初に始めたとされていお寺です。

また日本三大庚申ので一つです。
日本三大庚申は京都の八坂庚申堂(金剛寺)、大阪の四天王寺庚申堂、そして東京の入谷庚申堂(小野照崎神社の庚申塚)。

#サント船長の写真 #八坂庚申堂
清水 三年坂「産寧坂(さんねんざか)

大昔の武将・豊臣秀吉の妻、「ねね」の菩提寺(お墓があるお寺)が、高台寺です。近くに住居を構えていたねねは、無事に元気な子どもが生まれることを願って、この坂を上がり清水寺に有る子安観音へお参りしていました。そのことから、安産を願う文字を当てはめて「産寧坂(さんねんざか)」と呼ばれるようになり、その下の坂を「二年坂(二寧坂)」、さらにその下にある坂を「一年坂(一念坂)」と呼ぶようになったと伝えられていますが、一年坂の歴史はそれ程古くは無く、又土産屋も瓢箪屋さん以外もそんなに古くは有りません。

#サント船長の写真 #一念坂 #二年坂 #産寧坂
伏見桃山城キヤスルランド
今はキヤスルランドは有りません、近鉄から京都市が城を管理して居ますが荒れて来ました。 

昔はレジャーランドとして随分と賑わい、俺等も彼女と遊びに来ました。結婚後は子供を連れて泳ぎに来ましたね、
そのプールサイドのでステージでのフィリピン女性の踊りを見て人生が変わりました😅
今も年に一度はお城を見に来ます。

#サント船長の写真 #お城巡り #城跡
#キヤスルランド
浮島の十三重の石塔
京都府宇治市の浮島
高さ15mのわが国最大の石塔
宇治橋上流の塔の島にある高さ15mのわが国最大の石塔で、1286年に西大寺の僧叡尊により建立されました。叡尊は、朝廷の命により宇治橋の修復を行いましたが、殺生禁断の思想の持ち主で、網代や漁具を埋め、その上にこの石塔を建立し、魚霊の供養と宇治橋の安全を祈りました。

5枚の写真は京都伏見深草の藤森神社の手洗い鉢の台座(苔生した石)は石川五右衛門が運び込んだ物です。
此の十三重の石塔の上から5番目の石だそうです。
#サント船長の写真
猿沢の池の52石段
興福寺から猿沢の池に
繋がる幅の広い中途半端な長さの52階段が有ります。
ここが観光名所・史跡なんですね、
なんでここの石段が史跡なんや!と好奇心の塊のサント君
調べました。
この52段という数は、
善財童子が53人の善智識を尋ねて修行を重ねる話から来ているらしい、
『華厳経 入法界品』(けごんきょう にゅうほっかいぼん)にあるらしいです。

大仏様の世界観を表されているのが華厳経だからそうです。
羅漢さんから地蔵さんへ菩薩様からから如来様への過程らしい、
このお話では53人の菩薩を尋ねて悟りの世界へとなるわけです。

この52段の階段では、
あと一段上がれば悟りの世界に到達できるという
一歩手前の菩薩の状態にちなんでいるそうですね。
私は煩悩の塊の男ですから、この一歩手前の話は良く判りません、
そうでしょう、苦労して52人も菩薩様を訪ねて、53人目の菩薩さまは
どうなるね、待つて居るでしょう。

そうだ!思いだしました、
東大寺の二月堂の階段の数ねこれも52段あります。

それと52という数字で思い出すのが、
お釈迦さんが入滅された時に、鳥獣虫魚が集まって泣いたという
52種類の衆生たちの数が五十二類と言われていますが・・・・・
これは違うかな?

#サント船長の写真
インクライン

疏水上流の蹴上船溜と下流の南禅寺船溜を結んだ全長約582mの傾斜鉄道で、建設当時世界最長でした。約36mの高低差を克服するために舟を台車に乗せ、ケーブルカーと同じ原理で運びました。インクラインによって、舟は貨物の積み下ろしをせずに、高低差を乗り切ることができました。現在は、レールが形態保存されています。インクラインの中は自由に歩くことができ、観光名所としても親しまれています。

#サント船長の写真
京都の東照宮
南禅寺近くの金地院にある東照宮、規模は三分の一で彩色は無し、

#サント船長の写真
京都駅
京都の玄関口

#サント船長の写真 #京都駅
#日本の駅
マリアの墓  (大阪府 | 豊能郡豊能町)

丘陵の上に「マリアの墓」と呼ばれる墓碑があり、これは、キリシタン大名として名を馳せた高山右近の母、高山マリア(霊名)のものとの言い伝えがある。豊能町の高山地区は、高山氏の出身地といわれている。高山右近は、武士としてもキリスト教説教者としても才能があり、厳しいキリスト教弾圧に耐え、信念をつらぬき通します。信仰のために自分の領地さえ破棄した高山右近の、不屈の精神が再評価され、この地を訪れる人が増えているそうです。
大阪府 | 豊能郡豊能町

#サント船長の写真 #歴史的人物の墓
中山千枚田
小豆島の真ん中、中山地区には、「日本の棚田百選」にも選ばれた
約800枚の大小の田んぼがあります。

早稲田の1つ1つに大きく小さく空が映り、初秋には黄金色に輝く稲穂が頭を垂れます。
千枚田にはこまめ食堂が有ります。

#サント船長の写真
潮岬灯台
紀伊半島南端の潮岬に建つ白亜の灯台。明治初期の江戸条約により建設された8基の洋式灯台の一つで、明治6年(1873年)の初点灯以来100年にわたる歴史を持ち、文化的価値が高い。太平洋に突き出た灯台の上からは、丸みのある水平線を見渡せる。灯台下には資料館も併設。海上保安庁が一般公募した「あなたが選ぶ日本の灯台50選」にも選ばれている。

#サント船長の写真 #灯台 #全国灯台巡り
経ヶ岬灯台

日本海沿岸に建つ石造の灯台で、明治29年(1896)に起工し、同31年12月25日に初点灯しました。灯台は、建設当時のレンズや、レンズを回転させる水銀槽式回転機械が現役で使われており、旧第一物置と旧便所とともに、建設当時のようすをよくとどめています。
灯台の重要文化財指定は、令和2年度4件、3年度4件、4年度2件。
今回の指定は尻屋埼灯台(青森県東通村)、鍋島灯台(香川県坂出市)とあわせて行われるものです。

#サント船長の写真 #灯台 #全国灯台巡り
潮御崎神社
本州最南端の神社です。
潮岬にあって周参見荘の周参見浦から三前郷の津荷村まで海浜の18ヶ村の総産土神である。串本浦笠島という地に本宮と称する神社がある。これが御埼明神の旧地で、そこから今の地に遷し奉ったという。その年月は詳らかでない。

7枚目の写真は此の神社から灯台の頭が見えます。

#サント船長の写真
ねじりまんぽ
京都蹴上のインクラインのトンネルです。
此の奇妙なトンネルは赤煉瓦を斜めに積んで行く、強度を高める為の工法です♪

#サント船長の写真
清姫蛇塚
安珍清姫伝説で有名な道成寺の西、歩いて数分のところにあるのが清姫蛇塚である。

真砂の庄司家の娘であった清姫は、奥州の若い僧・安珍に恋い焦がれたが、それを怖れた安珍は熊野詣での帰りに立ち寄ると言って嘘をついて逃げる。清姫は裏切られたことに怒り、逃げる安珍を追っていく。そのうちに邪念によって清姫の身体は蛇体となりながら、徐々に安珍との距離を縮めていった。追いつかれると悟った安珍は道成寺に逃げ込み、鐘の中に身を隠したが、蛇となった清姫はその鐘を七巻半すると、その邪恋の炎で鐘の中にいた安珍を焼き殺してしまうのであった。
その清姫が亡くなった場所が此処である。
その清姫の鐘が京都の妙満寺に有りますが、二代目の鐘です。(写真参照)
#サント船長の写真 #歴史的人物の墓
うだつの町並み

脇町南町は徳島県美馬市脇町大字脇町にある名勝。通称「うだつの町並み」ともよばれる。 四国八十八景8番・とくしま88景・にし阿波お勧めビューポイント100選・都市景観100選・日本の道100選・美しい日本の歴史的風土100選に選定。阿波歴史文化道に指定。

#サント船長の写真
脇町劇場 
オデオン座は、徳島県美馬市脇町大字猪尻にある建築物。美馬市指定有形文化財。ヘリテージング100選・にし阿波お勧めビューポイント100選選定。

#サント船長の写真
萬福寺(まんぷくじ)(京都府宇治市
摩伽羅(マカラ)
黄檗宗大本山の寺院。山号は黄檗山、開山は隠元隆琦、本尊は釈迦如来。

総門 は寛文元年(1661年)建立。瓦屋根の中央部分を高く、左右の部分を低く、段差を設けている。日本の社寺建築ではあまり見かけない形式である。屋根上左右に乗る魚のようなものが摩伽羅(マカラ)という想像上の生物で、鯱ではない。ヒレの代わりに足が生えている。

良く竜宮門の屋根の上にもマカラが乗せて有り、その門の説明では、マカラはガンジス川におり、おと姫様の乗り物とか・・・

#サント船長の写真 #万福寺
平安神宮

10月20日に平安神宮に行きました♪すると22日の時代祭りの準備と時代祭りの本隊の御鳳輦(ごほうれん)孝明天皇と桓武天皇の御霊を乗せる輿がニ基、鎮座されて居ました♪

#サント船長の写真 #平安神宮
伊賀のからくり弁当
三重県は伊賀の忍者の🥷町の料理屋のアイディアのからくり弁当です。

表は覆面をした忍者ですが、弁当箱を反対にして弁当箱からご飯を抜くと、あら!ビックリ、豪華なオカズが出て来ます♪
#サント船長の写真 #旅食
山下奉文陸軍大将終焉の地
フィリピンはロスバニヨスのマンゴの木に吊るされました。
軍人としては屈辱な処刑です。
昭和21年2月23日没

「辞世の句」
待てしばし勲(いさお)残して逝(ゆ)きし戦友(とも)後な慕ひて我も行きなん

私がフィリピンに永住中に慰霊にきました、しかし、写真が行方不明になりましたが、最近出て来ましたので、投稿しました。

#サント船長の写真
平安神宮の橋渡 泰平閣

平安神宮神苑は平安時代の庭園と思われがちであるが、明治時代に作庭されたお庭である。南神苑、西神苑、中神苑、東神苑に分かれ、ハイライトは写真の東神苑となる。東山のひとつ将軍塚のある華頂山を借景にして、橋殿(はしどの)の中央には泰平閣が美しく控えている。橋渡:屋根付きの橋

#サント船長の写真
時代祭り (平安神宮)

京都三大祭りの時代祭り三年振りに開催されます。
10月22日 勿論サント船長も参加して居ります。

#サント船長の写真 #時代祭り

#京都三大祭り
白兎神社
神話「因幡の白うさぎ」の舞台で有名な、古事記や日本書記に記される由緒ある古社。「大兎大明神」や「兎の宮白兎大明神」と呼ばれ、神話にちなんで皮膚病や火傷などにご利益のある神社として信仰されてきた。境内へ続く道沿いには、神話に登場する「御身洗(みたらし)池」がある。“白うさぎ”は、大国主と八上姫の縁結びの神様といわれ、日本で初めての恋物語発祥の地「白兎」として、2010年に「恋人の聖地」に認定された。神社周辺には、白兎海岸や白兎の丘(気多ノ前展望広場)、道の駅・神話の里白うさぎなどがある。

#サント船長の写真 #石仏 #仏像石像
出雲の阿国像

此の方は出雲の阿国さんで京都に来て歌舞伎の発祥となる。矢張り今も昔も地方では人気は出ず、矢張り都で無くてはね😅
此の像は京都市四条川端通角に置かれている物と同じかなぁ?

#サント船長の写真 #出雲の阿国 #銅像
「関ケ原の戦い」から間もない慶長8年(1603年)、出雲の阿国(いずものおくに)と呼ばれる女性芸人が四条河原で「かぶきをどり」を披露し、庶民たちから喝采を浴びた。これが歌舞伎の最初と言われる。

その後大衆演芸として全国に広まっていったが、風紀を乱すとして女性が歌舞伎を演じることができなくなり、男が女形を演じる現在の歌舞伎の形になった。
歌舞伎の祖とされる出雲阿国だが、実はよく分からないことが多く、阿国の表記も後に付けられたもので出雲出身である証拠もない。また、没年も諸説あり尼僧になったともいわれているが確かなことは分かっていない。

此の像は、出雲の阿国像と同じかなぁ?

#サント船長の写真 #出雲の阿国 #銅像
舞狂橋(ぶつきようばし)
兵庫県養父市八鹿町舞狂

珍しい名の橋ですね、思わずパチリ
調べましたが、由来は判りませんでした。
もし判りましたら、コメント欄にお願いします。

#サント船長の写真 #全国橋巡り
花背の三本杉
実は京都市内にあった!背の高さ日本一の杉の木
京都市左京区花脊(はなせ)の大悲山(だいひざん)国有林に「花脊の三本杉」という日本一背の高い木がある(62.3m)。この木は背が高いだけでなく,その名のとおり1つの根元から3本のスギ(東幹,北西幹,西幹)がそろって天に向かって伸びる大変珍しい形をしている。
この三本杉,これまでは目測で高さ35mほどかとされてきたが,2017年11月28日に林野庁がドローンを使って正確に計測した結果,なんと三本杉のうち1本(東幹)が62.3mという高さだということが判明。
さらに他2本も国内2位(北西幹60.7m),5位(西幹57.2m)の高さであることが分かった。
(3位は愛知県のかさ杉(59.57m),4位は秋田県のきみまち杉(58m))
この三本杉は峰定寺(ぶじょうじ)の御神木として古くから信仰を集め,樹齢は1000年~1200年と言われている。

#サント船長の写真
鳥取砂丘
巨大な砂場ですね♪

#サント船長の写真
善光寺


#サント船長の写真  #日本の寺院仏閣
辰鼓楼(しんころう) 

辰鼓楼は、兵庫県豊岡市出石の出石総合支所敷地にある、明治時代初期の時計台。高さは本体が木造4層で13メートル、支える石垣が5メートル。出石藩出石城の城下町にあり、城の石垣など廃材を利用して1871年に建てられ、当初は太鼓で時を告げていた。

#サント船長の写真  #出石
出石城跡
出石城(いずしじょう)は、但馬国出石郡出石、この城は天守閣が無かったお城で現在の兵庫県豊岡市出石町にあった城である。豊岡市指定史跡

#サント船長の写真  #お城巡り #城跡
出石皿蕎麦
「名物に美味いもの無し」と言うのは嘘ですね。タダ量が少ないかな?でも追加が出来ますよ、

出石蕎麦屋は何件も有りますが、昔はそんなに件数は無かった気がします。また観光客もそれ程でも・・・・

#サント船長の写真  #出石 #旅食
出雲大社


#サント船長の写真 #稲佐の浜  #日本の寺院仏閣
稲佐の浜の弁天島

出雲大社の西方にある海岸で、国譲り神話や国引き神話ゆかりのパワースポットです。
弁天島という小さな島があり、岩上には豊玉毘古命を祀る小さな祠があります。白い砂浜は南へ向かって美しい弧を描いて長く伸び、日本の渚百選にも選ばれています。また弁天島をシルエットに夕日が沈む風景は素晴らしく、「日が沈む聖地出雲」のシンボルとして日本遺産にも登録されています。遠浅で夏は海水浴場として賑わいます。『記紀』の国譲り神話では、大国主神が高天原から派遣された武甕槌神(たけみかづちのかみ)と国譲りの交渉をしたという場所です。

#サント船長の写真 #出雲大社 #稲佐の浜
喜多方ラーメン
会津若松市

喜多方ラーメン、全国に星の数程有るラーメン屋、中でも喜多方ラーメンもこの会津若松も喜多方ラーメンの激戦区ですね。
そんな激戦区の中で喜多方ラーメンを所望しました。
喜多方ラーメンは10人が10人とも美味しいと言うラーメンかな?ラーメンは好みで、
素直に美味しいです。完食です(有難う~💕^o^✌️)

#サント船長の写真 #旅食
春日山城跡

 標高180メートルの春日山に築かれた春日山城は別名「鉢ヶ峰城」(はちがみねじょう)ともいい、戦国時代の名将上杉謙信公の居城として知られています。

 城地としての広さは東西・南北ともに2キロメートルほどで、規模の雄大さでも全国屈指の名城といわれています。

 春日山城は、越後府中の要害(砦)として築かれましたが、築城の時期はよくわかっていません。少なくとも、永正10年(1513年)の古文書に初見されることから、この時期には山城として機能していたことがうかがえます。ただし、現在のような広大な城郭に整備されるのは、謙信・景勝、さらに堀氏が城主を務めた16世紀後半と考えられます。

#サント船長の写真 #お城巡り #城跡
史跡 城堀川
群馬県沼田市白沢川

城堀川は自然に形成された川ではなく、独特の地形により水には恵まれなかった沼田に用水確保のために造られた人工の川である。沼田氏が約12km離れた白沢川より開鑿(かいさく)を行い用水確保を図った。その後、真田信之が不足しがちな用水確保のため川場村地内からも水を引き、二代真田信吉の代で白沢用水と川場用水とを併せて城堀川を完成させた。

#サント船長の写真
道谷坂陣跡
須賀川市江花字踏掛

#サント船長の写真
夫婦岩 湯野上温泉

此処の売り物が夫婦岩ですね♪
しかし岩が半分に割れるとは、自然が成せる技ですね。

#サント船長の写真 #湯野上温泉 #夫婦岩
こんにゃく畑
群馬県沼田市下川田町

こんにゃくは何度も植え替えるそうですが、此のこんにゃくは何回目かなぁ?

#サント船長室の写真
金沢城公園


#サント船長の写真 #お城巡り #城跡
観音正寺
西国三十三箇所霊場   三十二番札所


#サント船長の写真
草津温泉 白旗温泉

白旗温泉は町内が運営する温泉です、朝5時頃から夜10時迄無料です。兎に角熱い🥵です、メチャ熱いです、湯船は二つ有り入って正面が熱湯です。もう一つもう熱いですが、何とか入れます。
熱湯は静かに入りお湯を動かさないと10秒や20秒は入れますが、お湯が動くと1秒と入れません、石川五右衛門の気持ちが初めて判ります😡
石鹸やシャンプーは使えません、何故なら超酸性でお湯だけで身体の汚れが取れます。

#サント船長の写真
吹割の滝
「東洋のナイアガラ」と称される「吹割の滝」。美しい景色の中で、豪快に飛散する荒々しさを肌で感じることのできるとても刺激的な滝です。夏の暑い日に滝からの天然ミストを全身に浴びると、気分爽快。新緑、紅葉と季節によって表情を変える名瀑は人々を魅了します。整備された遊歩道を一周して、利根の自然に触れてください。
 そして滝に感動した後は、老神温泉へ。良質な温泉で心も身体も癒されます。

コレは説明はネツトからですが、
「東洋のナイヤガラ」はチョット言い過ぎですね♪しかし吹割の滝の良さが有ります。
展望台からと橋からと直接滝の近くからと見る場所から良さが判ります。
中尊寺湖

最後の写真の花はなんだ!あれか?
こんなに咲いて居る、


#サント船長の写真
大溝城跡

JR近江高島駅の東南約150mにあります。石垣に囲まれた小高い森が、大溝城の天守跡です。大溝城は新荘城(現新旭町)にいた織田信澄(のぶすみ)が、安土・桃山時代に築城したもので、商家や寺院などを移して城下町を造りました。本丸の南東の乙女ヶ池は琵琶湖の内湖で、古地図によると、大溝城は城堀を内堀とし、乙女ヶ池を外堀とする水城であり、「鴻湖(こうこ)城」とも呼ばれました。江戸時代に分部光信が城主になると、この地を陣屋として12代光謙(みつのり)の明治維新までその支配が続きました。

#サント船長の写真 #石垣巡り
高島市 乙女が池
万葉の時代、「香取の海」と呼ばれた乙女ヶ池一帯は、山の麓まで琵琶湖の入り江になっていました。その後は、大溝城の外掘で、恵美押勝が挙兵に失敗し、高島郡三尾崎で捕らえられ、「勝野の鬼江」で斬罪されたと伝えられる地で、壬申の乱で落城したと伝えられる三尾の城も背後の山中にあったと言われ、幾多の歴史を秘め湖面にロマンをただよわせています。
現在は、面積8.6ha、平均水深1.6mの内湖の池です。
高岡大仏


#サント船長の写真 #日本三大仏像
#日本三大仏 #大仏
加賀観音
此の加賀の観音様は、此のコロナ旋風で見るも無残です、何処の観光地もそうですが、此処は特に、此の大きな観音様を守る職員は一人です。
早くコロナが終息して、観光客が戻って欲しいですね。

#サント船長の写真
日光 華厳の滝

写真7枚目は名物の「すいとん」ですが、
美味しいのですが、昔はもっと、不味かった様な気がします。お袋がメリケン粉で団子にして野菜の中に、味は醤油味です。

#サント船長の写真
日光いろは坂


#サント船長の写真
宇奈月温泉駅(黒部渓谷鉄道)

黒部と宇奈月が合併して急激に良くなった宇奈月ですね、
しかし此処の鉄道は関電の工事様の電車と思いましたが、とんでもないですね、何本も電車が有り、都会の駅ですね。

#サント船長の写真 #宇奈月駅
#日本の駅
会津 サザエ堂

会津若松市の飯盛山にて建立された世界でも珍しい二重螺旋構造、「円通三匝堂」その特異な構造や外観がサザエに似ていることから「会津さざえ堂」とも呼ばれており、市内でも有数の観光スポットとなっています。

このお堂の特徴でもある螺旋構造は、万能人とまで言われた天才、レオナルド・ダ・ヴィンチが設計したともいわれており、それがめぐりめぐって会津若松に伝えられたともいわれています。その真相は定かではありませんが、訪れれば二重螺旋が生み出す“不思議な錯覚”に見舞われまるはずですよ!

#サント船長の写真 #さざえ堂 #飯盛山 #会津
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