熊野磨崖仏

穏やかな表情の「大日如来」様。頭部上方には三面の種子曼荼羅が刻まれています。
伝説では、磨崖仏は養老2年(718年)仁聞菩薩が造立したと伝えられ、近くの山中には「御所帯場」と呼ばれる作業時の宿泊所跡があります。


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熊野磨崖仏

平安時代末期の作と言われている「大日如来(約6.7m)」と「不動明王(約8m)」の磨崖仏があり、国指定の重要文化財となっております。国内最古にして最大級の磨崖仏です。

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史跡 益田の岩船 

貝吹山(橿原市)の東峰に所在する巨大石造物。大きさは東西約11m、南北約8m、高さ約4.7m。制作年は不明。益田池を讃える石碑の台座部分であるという説に基づき、図会では「益田池碑趾」と記されていますが、現在では「益田岩船」と呼ばれています。石碑部分は「高取の城の石塁につみこみありと古く言ひ伝へり」(高取城の石垣に使われたという古くからの言い伝えがある)とされていますが、真偽のほどは定かではありません。昭和51年(1976年)に奈良県の史跡に指定されました。

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史跡 益田の岩船 

益田岩船は、奈良県橿原市白橿町にある石造物。奈良県指定史跡に指定されている。 亀石や酒船石などと並ぶ飛鳥の石造物の1つで、その中でも最大のものである。

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史跡 益田の岩船 

橿原市・貝吹山の東峰にある巨大な花崗岩の石造物です。南北約8m、東西約11m、高さ約4.7m。上部に一辺約1.6m、深さ約1.2mの穴が空けられていますが、誰が何のために作ったのか、その正体は謎に包まれています。

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函館五稜郭

五稜郭タワーは、北海道函館市の特別史跡五稜郭に隣接する展望塔。五稜郭タワー株式会社が経営する民間の観光施設である。

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函館五稜郭
 日本の北辺防備の拠点として設置された江戸幕府の役所で,当初は箱館山の麓に置かれていましたが、内陸の地に移転が計画され、五稜郭と共に1864年(元治元年)に完成しました。
 1868年(明治元年)戊辰戦争最後の戦いとなる箱館戦争の舞台となり、1871年(明治4年)にわずか7年で解体されました。
 その後、古写真や文献資料・古図面などの調査を元に検討を重ね、2010年(平成22年)に140年の時を経て箱館奉行所が復元されました。


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函館五稜郭

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函館五稜郭

徳川幕府の命を受けた蘭学者・武田斐三郎が設計し、1864年に完成された、国内初の西洋式城郭です。五稜郭という名前のように、稜堡(りょうほ)と呼ばれる5つの角があり、星形の五角形となっています。星形の城郭は、防御側の死角が少ないなどの利点があり、ヨーロッパ各地に造られた城塞都市をヒントにしたもので、この形を「西洋式土塁」といいます。このような形の五稜郭は、日本では函館市の五稜郭と長野県佐久(さく)市の龍岡城(たつおかじょう)の2ヵ所だけとなっています。


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函館五稜郭

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函館五稜郭

五稜郭(ごりょうかく)は、江戸時代末期に江戸幕府が蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)郊外に築造した稜堡式の城郭である。

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京都丸山公園のラジオ塔

ラジオ放送が日本で始まったのは、大正14年(1925)のことです。 皆さんは「ラジオ塔」をご存じでしょうか? 昭和初期から戦時中にかけてラジオは高級品で、一般家庭に普及していませんでした。 そこで、公園などの屋外に街頭ラジオとして「公共のラジオ受信機」が設置され、近所の人が集う場とされたといわれています。 

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京都丸山公園のラジオ塔

大阪の天王寺公園を皮切りに、多いときで全国に460基が建てられていたとか。 現在は関西を中心に受信機が取り外された塔が20基ほど残るのみで、京都府の8基が最多だそうです。

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京都丸山公園のラジオ塔

当時のラジオ塔に近所の方々が集まる様子ですね♪

此の写真は今もラジオ塔に残って居ます。
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佐女牛井之跡(さめがいのあと)

名 称:佐女牛井之跡. 住 所:京都市下京区五条通堀川下る西側. 京の名水として平安時代より知られた佐女牛井(さめがい)は、源氏の六条堀川邸にあったといわれています。

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佐女牛井之跡(さめがいのあと)
京都市内では白い曼珠沙華が咲くのは珍しいですね♪

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佐女牛井之跡(さめがいのあと)

一般的な花ということもあり、曼珠沙華には全国各地に数百~1000種類もの別名があるといわれます。
毒を持つこと、墓地に多く植えられたことから、怖いものでは「毒花(どくばな)」「痺れ花(しびればな)」「地獄花(じごくばな)」「幽霊花(ゆうれいばな)」「死人花(しびとばな)」「葬式花(そうしきばな)」「墓花(はかばな)」「捨て子花(すてごばな)」など。また、花の色や形からつけられたと見られる「火事花(かじばな)」「灯籠花(とうろうばな)」「天蓋花(てんがいばな)」「狐花(きつねばな)」「狐の松明(きつねのたいまつ)」「雷花(かみなりばな)」「龍爪花(りゅうそうか)」、葉と花が同時には見られないことから「葉見ず花見ず(はみずはなみず)」。その他「蛇花(へびのはな)」「剃刀花(かみそりばな)」などなど、たくさんの別名がある秋の花です。

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座敷童の里
金田一温泉駅

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座敷童の里
金田一温泉駅

座敷童の宿で良く聞く旅館は緑風荘ですね。
座敷童を見てしまったら、コレは幸運で、宝くじが当たったと言う話しを聞きますね🤗
俺等は座敷童を見なても、親の罰が良くあたります😰

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座敷童の里
金田一温泉駅

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謎の妖怪ケセランパサラン
金田一温泉

JR金田一温泉の駅のホームを浮遊する、2と書いた表示板の左手に謎の白い塊、 コレが「ケセランパサラン」です。

ケサランパサランは江戸時代以降の民間伝承上の謎の生物とされる物体である。外観は、タンポポの綿毛や兎の尻尾のようなフワフワした白い毛玉とされる。
白い毛玉のような物体で、空中をフラフラと飛んでいると言われる。一つ一つが小さな妖力を持つ妖怪とも言われ、未確認生物として扱われることもある。

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謎の妖怪ケセランパサラン
金田一温泉

此処は座敷童の出る旅館で有名な所ですね。

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謎の妖怪ケセランパサラン
金田一温泉

JR金田一温泉駅のホームの線路の上を浮遊して居ます。

タンポポのように綿毛を飛ばす植物は数多く存在しますが、中でもガガイモやアザミの綿毛は、毛足が長く、種を中心に放射状に白い毛が広がるため、白い球形に見えることがあります。 ... これがいわゆる植物性のケサランパサランの正体とされているものです。

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笠置寺・弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)

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笠置寺・弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)
磨崖仏に特殊光を当てると、像が現れました。本堂にコレが祀られて居ます。

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笠置寺・弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)

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笠置寺・弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)

正月堂を背にすると、弥勒磨崖仏が有ります、笠置寺の御本尊で、高さ15mの壁面には、弥勒菩薩立像が刻まれていました。弥勒菩薩は、お釈迦さまの滅後、56億7千万年の未来にこの世に現れ、仏教を再興する仏といわれています。この仏は「天人の作」といわれ664年の作と伝えられています。

弥勒磨崖仏が消えて居るのは、度重なる隣接する本堂の火災で壁面の像が剥がれたのです。

2021・9・10
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笠置寺・弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)

伝虚空蔵磨崖仏
12mの岩肌に刻まれた9mの仏さま。
その作成年代は、弥勒磨崖仏と同時期とも、平安時代とも伝えられています。
周囲に建造物がなかったため、元弘の戦乱の炎からも守られ、今日もそのお姿を拝むことができます。

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笠置寺・弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)

笠置寺の本堂である『正月堂』は、ご本尊『弥勒磨崖仏』を礼拝するためのお堂として752年頃に建立され、何度も焼失しその炎により弥勒磨崖仏のお姿も消えたと伝えられています。

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安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)
「安井の金比羅さん」の名で親しまれ、縁切りや良縁結びのご利益で知られる神社。第38代天智天皇時代に藤原鎌足が一堂を創建し、紫色の藤を植え藤寺と号して、家門の隆昌と子孫の長久を祈ったことに始まったとされる。境内には、高さ1.5m、幅3mの縁切り縁結び碑がある。

2021・9
#サント船長の写真
安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)
縁切り寺のお札ですが、良縁をと言う願いが多いですね、悪縁を切りたい願いは無く、病気と縁を切りたいですね、俺等の願いは、貧乏神と縁を切って福の神さまのご縁がありますようにですが、若い時からの運勢は大器晩成と言われましたが、遂に花火は上がる事は有りませんでした(泣)

#サント船長の写真
安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)
昔ですが、こんなお札は無く、石の穴を抜けて悪縁を切りまし様でした。私は悪縁では無かったですが、前妻と別れる為約35年前、一度此の石の穴を抜けましたよ。
ご利益ですか?有りましたよ😓

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水路閣
南禅寺の撮影スポットです。今で言うインスタ映えの場所ですね♪ 今はコロナ禍で訪れる方は無くご覧の通りですね♪



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水路閣
明治にそれも南禅寺に近代的な水路、京都市民は驚いたと思いますが、それよりビックリした事が有ります、疎水は蹴上から枝別れした水は北に流れ水路閣から哲学の道へ、え!?北に?「チョット待って下さい」京都は北が高く南が低いので、鴨川を始め全ての川は北から南に流れます、「どうして?」でしょうね、今の方なら直ぐに判りますが、当時の方は京都の不思議だ!と騒ぎました。
2021・09
#サント船長の写真
水路閣

琵琶湖疏水の分線(蹴上以北)にある水路橋で1888年(明治21)完成。南禅寺境内を通過するため、周辺の景観に配慮して田辺朔郎が設計、デザインした。全長93.2メートル(幅4メートル、高9メートル)レンガ、花崗岩造り、アーチ型橋脚の風格ある構造物で、静かな東山の風景にとけこんでいる。市指定史跡。

#サント船長の写真
モーテル・サンリバー・首塚大明神
此の廃墟ホテルの前の道を進んで行くと、京都で一番の心霊スポットの首塚大明神に続きます。

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モーテル・サンリバー・首塚大明神
此の「是より東山城国」の表示が見えたらすぐです、前方を見て下さい、薄暗い小高い手前に石の鳥居が見えます。

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モーテル・サンリバー・首塚大明神
前方に見えるのが、首塚大明神の鳥居です、方々申し訳上げますが、興味本位で此処に来ては駄目です、お参りで来たと言う気持ちで鳥居を潜り、階段を進んで下さい、右手に落雷で焼けた木があり、更に首塚大明神の由来書きも有ります、祠の裏が酒呑童子の首が埋められた所です。
心穏やかに手を合わし、お参りをして下さい。

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モーテル・サンリバー
此処が管理者の建物と確認はできますが、余りにも荒れ果て足の踏み場も有りません、昼間で明るいのですが、不気味ですが取り敢えず二階に上がりました。

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モーテル・サンリバー
此処は殺人事件の二階現場で管理人が生活をして居た空間と判りますが、遺体を隠したベッドは見当たりません。

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モーテル・サンリバー

二階から外を見ました。
自転車は俺等の物です。
以前夜に来て車を止めた場所です。

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モーテル・サンリバー
此の写真は廃墟に成りましたが、まだ中に入れました、それでホームレスが中に入り、生活をするのですが、長く暮らす事が出来なかつたようです。
何でその様な事が判るか?
はい、それは本人から聞きました😰
そしてその方から色々聞きました。

昼間でも気味の悪い所です、夜電気も無く🕯の灯で居られる訳が有りませ。

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モーテル・サンリバー
私は心霊現象が起こると噂されてから、夜に出掛けました、一人では無理ですから、知人と来ましたが、そして殺人事件の有った管理者の建物に来ましたが、知人が恐怖感を覚え逃げる様に車に乗って、席たてましたので何枚か写真に撮り急いで此処から立ち去りました。
僕もビイビイリました😰
その後何回か来て居ますが、夜は一度も来て居ません、昼間ばかりです、夜は二度と行きません(汗)


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モーテル・サンリバー

ここは夜になると二階から女の人が顔を出していたり、壁を
叩く音が聞こえたりする、心霊現象が報告されている。
そこで、俺等は夜に出掛けましたよ、
その写真がコレでですが、恐くて中に入る事は出来ず、外から写真を写しました。

何かシミの様な物が写って居ますが、見かたでは人間の顔にも見えますが、見えるのは僕だけかなぁ(汗)

説明しますが、白い点は何か判りませが、左手の丸いぼんやりと顔の様に見えます(汗)

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モーテル・サンリバー
京都市と亀岡市の境目に有名な廃墟がある。モーテルサンリバーで心霊スポットですね。

京都府から亀岡へ抜けるなら、通ったことあるんじゃないだろうか。

そこにはかつて、サンリバーと呼ばれるモーテルがあります。
その国道九号線の老の坂トンネルを手前を枝別れを左ですね。

左手の道は見るからに不気味ですね。
#サント船長の写真 #モーテルサンリバー
モーテル・サンリバー

もう30年以上も昔から有る案内灯ですが、これだけ見るとまだ営業中かなぁ?
勇気・根性・度胸がある方は夜に出掛けて下さい、但し此の廃墟迄ですがね。昼間なら首塚大明神へお参りはできますが・・・#首塚大明神

#サント船長の写真 #モーテルサンリバー
モーテル・サンリバー

此処がモーテル・サンリバーの管理人の建物ですね。
インターネットでモーテルサンリバーを調べたところ、いろいろなサイトでモーテルサンリバーで殺人事件が起きたとのことが書かれています。
そんなここら辺一帯は今は心霊スポットとして妖気を漂わせている場所で首塚大明神も有ります。

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酒呑童子の墓
首塚大明神 (京都)

興味本意で来てはならない、最強の怨霊の地。必ずお参りを。

日本三大妖怪に数えられる鬼である酒呑童子の首塚。

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酒呑童子の墓
首塚大明神(京都)
【くびづかだいみょうじん】 京都市内から亀岡へ抜ける国道9号線。その2つの町ををつなぐ境に、老ノ坂(おいのさか)峠と呼ばれるところがある。
そのトンネルの手前左手に、入りますと、細くさびしい林の中に、ひと気の無い廃墟になったサンリバーの建物群を横目にしばらく進むと、T字路が有り左へ、するとひっそりと立つ「丹波山城国境標示石柱」更に進むと鳥居があらわれます。そこが首塚大明神です。(それより先は禁止)
全国屈指の心霊スポットの数を誇る京都において、その中でも特に危険度が高いといわれる心霊スポットであり、なんと日本三大心霊スポットの1つとして心霊マニアにささやかれている首塚大明神。

決して興味本位で来ては駄目です、民家は有りますが、人影は見た事はありません、それは恐ろしい空間で何か異様な気配に押し潰されそうな大明神です。

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酒呑童子の墓
首塚大明神 (京都)

此処に、酒呑童子の首が埋まっています。

酒呑童子は丹波の大江山に住んでいたという伝説上の鬼の頭目。 都に出ては婦女・財宝を奪ったので、勅命により、源頼光が四天王を率いて退治したという。四天王の中に坂田金時が居ます、彼は実在の人物で足柄山で育った怪童であの金太郎さんです。

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向井 去来の墓(嵯峨野)
墓の文字を見ると「去来
」と見える。

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向井 去来の墓(嵯峨野)

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向井 去来の墓(嵯峨野)

向井 去来(むかい きょらい、慶安4年(1651年) - 宝永元年9月10日(1704年10月8日))は、江戸時代前期の俳諧師。蕉門十哲の一人。儒医向井元升の二男として肥前国(今の長崎市興善町)に生まれる。堂上家に仕え武芸に優れていたが、若くして武士の身分をすてた。京都嵯峨野の落柿舎(らくししゃ)に住み、松尾芭蕉はここで『嵯峨日記』を執筆した。野沢凡兆と共に、蕉風の代表句集「猿蓑」を編纂した。「西国三十三ヶ国の俳諧奉行」とあだ名された。

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安倍晴明の墓

稀代の陰陽師・安倍晴明の墓は複数ある。その力を利用されるのを恐れたために、本当の墓所がどこか判らないようにさせるのが目的だったとも言われています。

2021・9
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安倍晴明の墓
現在は晴明の負の力を利用を考える者もいないのか、“公式”の墓所が定められて、
それが京都の嵐山ですが、住宅街の中で駐車場は無し、案内板も無し、目標は長慶天皇陵です。

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安倍晴明の墓

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蘇我入鹿首塚

飛鳥寺の境内を西に少し歩いたところに立つ五輪塔。
大化の改新のとき、飛鳥板蓋宮で中大兄皇子らに暗殺された時の権力者・蘇我入鹿の首がそこまで飛んできたとか、襲ってきた首を供養するためにそこに埋めたともいわれる。
五輪塔自体は鎌倉時代または南北朝時代の建立と考えられている。
高さ149cmの花崗岩製で、笠の形の火輪の部分が大きく、軒に厚みがあるのが特徴である。

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蘇我入鹿首塚
飛鳥寺から畑道を少し歩くと「ポッンと一軒屋で無く」
ポッンと首塚

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蘇我入鹿首塚

蘇我入鹿は、単なる権勢家の御曹司ではなく、有能な政治家であったようだ。 蘇我入鹿首塚は、明日香村の飛鳥寺の境内から出て少し歩いた所に有ります。
写真は蘇我入鹿の首塚より飛鳥寺を写しました。
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飛鳥大仏
「日本最古」といわれながら、国宝になれない仏像がある。飛鳥寺(安居院、奈良県明日香村)にある飛鳥大仏です。

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飛鳥大仏

銅造釈迦如来坐像は国宝で無く、重要文化財です。国宝になれないのは、後世の補修箇所が多く、造られた7世紀当時の部分がほとんど残っていないからとされているが、最新の研究では、オリジナル部分が従来考えられていたよりも多く残っているとの結果も有ります、飛鳥大仏に国宝指定の報告が届くのは・・・
確か写真禁止ではなく、沢山の方が撮影していましたが、国宝に指定されると、撮影は禁止です。もうされたかな?

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飛鳥大仏
御本尊である飛鳥大仏は当時のままのお姿で、日本最古の大仏にも関わらず国宝では無いのです。

1400年も前から一度も動かず鎮座する、飛鳥大仏、
605年(推古天皇13年)、時の天皇が聖徳太子や蘇我馬子や皇子とともに発願し、鞍作鳥(百済の仏師)によって造られた日本最古の大仏。 こちらの大仏様は、高さは約3メートルで銅は15トン、黄金30キロを用いて造られました。

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龍安寺の石庭

龍安寺最大の見どころはなんといっても日本を代表する枯山水の庭園です。枯山水とは水を使わず石や砂などにより山水の風景を表現する庭園のことをいいます。

2021・9
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龍安寺の石庭
龍安寺(りょうあんじ)は室町時代、細川勝元によって創建されたお寺です。有名な枯山水庭園は簡素な造りで禅文化が盛んだった当時の時代背景を色濃く残しています。

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龍安寺の石庭
「虎の子渡しの石」
大きい石と小さい石を虎の親子と見立てているのです。

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