銀閣寺 (慈照寺じしようじ)
正式名称を東山慈照寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。名の由来は金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなった。
世界遺産です。

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飛雲閣
西本願寺に有る飛雲閣は
金閣、銀閣と共に「京の三名閣」の一つに数えられる国宝建造物。境内地東南に位置する「滴翠園」の中に建てられ柿葺の三層からなる楼閣建築で、前面が滄浪池に面し、舟で出入りするように造られている。金閣・銀閣が左右対称であるのに比べ、建物全体が非対称に造られており、不規則な中にも巧みに調和が保たれている。見る位置によって変化する多彩な姿を楽しませてくれる。
飛雲閣は西本願寺の中に有り、世界遺産です。

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南禅寺 三門
京都三大門です、三門は知恩院・東福寺・南禅寺ですが、東本願寺の山門と言う説も有ります。

南禅寺にある江戸時代建築の重要文化財建造物。寛永5年(1628)、藤堂高虎が大坂夏の陣で戦死した家臣の菩提を弔うため寄進したと伝えられる。下層を天下龍門といい、上層を五鳳楼という。

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南禅寺 三門
京都三大門です
南禅寺の三門と言えば、石川 五右衛門ですが、安土桃山時代の盗賊の首長。文禄3年(1594)に捕えられ、京都三条河原で煎り殺された。見せしめとして、彼の親族も大人から生後間もない幼児に至るまで全員が極刑に処されている。
此の南禅寺の三門は当時確か火災で消失して、寛永5(1628)に藤堂高虎の寄進で石川五右衛門の死後34年後です。

「絶景かな絶景かな」は歌舞伎の話しです。

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東福寺 三門
京都三大門です

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京都三大門 知恩院
元和7年(1621)、徳川2代将軍秀忠公の命を受け建立されました。 構造は五間三戸・二階二重門・入母屋造本瓦葺(いりもやづくりほんがわらぶき)で、高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚。その構造・規模において、わが国最大級の木造の門で、外に掲げられている「華頂山」の額の大きさは畳2畳以上です。


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京都三大門 知恩院

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京都三大門 知恩院

国宝の指定を受けた、知恩院の建造物三門です。内部は非公開 です。

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八坂神社 西楼門
明治の頃の写真

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八坂神社 西楼門
此の写真は昭和初期かなぁ?私は戦後生まれですから、人から聞いた話ですが、日本が戦争で敗れ、アメリカの占領軍が京都にもやって来ます、その時アメリカ軍のジープが、西楼門の石段を登ります、車が石段を走る!アメリカ軍は凄い車を持って居る、
当時、日本は木炭車で情報は大本営発表、京都市民は思ったそうです、アメリカに勝てる訳がないと、

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八坂神社 西楼門
此の写真は12月31日のをけら参りです、
八坂神社は楼門は二つ有ります。
北楼門が表門です、西楼門は裏ですね。

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八坂神社 西楼門
7月17日、祇園祭りの鉾の巡行が終了後、八坂神社に鎮座して居た三基の神輿が西楼門前に揃い、四条新京極のお旅所にそれぞれのコースで向かいます。

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八坂神社 西楼門

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八坂神社 西楼門

八坂神社にある重要文化財建造物。応仁の乱で焼失後、明応6年(1497)桧皮葺で再建。永禄年間(1558~1570)に瓦葺きに替えた。大正2年(1913)四条通拡張に伴い移動。同時に翼廊を建て現在の姿となった。

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平安神宮應天門
令和元年の時代祭りで應天門から孝明天皇・桓武天皇の御霊は京都御所の建礼門に向かいます。裃の方の右が私メで御座る。
残念ながら令和ニ年・三年はコロナ禍で中止でした。

此の話は余談ですが、天皇の御霊の鳳輦は誰もが触れません、平安神宮から宣状と言うお墨付きが交付された籠丁が触れる事が出来ます、ですから一般の方々は鳳輦に触れる事は出来ません。
籠丁とは御霊を担ぐ者達です、簡単に言えば籠かきですが、
雲助では有りません😰格式が高い籠かきです。
此の役目を仰せ付かると、引退する迄籠丁です。
時代祭とは、此の鳳輦が町に出るお祭りです。

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平安神宮應天門
多分昭和時代でしょうね、絵葉書の写真からですね。
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平安神宮應天門
明治に建設の應天門

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平安神宮應天門

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平安神宮應天門
扁額は空海の筆によるものと言われている。「弘法にも筆の誤り」ということわざは、空海(弘法大師)が応天門の扁額を書いた際に「應」の一画目の点を書き忘れてしまった(まだれをがんだれにしてしまった)が、空海は掲げられた額を降ろさずに筆を投げつけて書き足したという伝承に由来する。

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平安神宮 鷹天門

866年(貞観8年)、応天門の変で放火されたことで有名であるが、その他にもたびたび失われては再建されたが、1177年(治承元年)の大火で失われて以降、再建されなくなった。応天門の変の後の再建の際には、改名を論じられている。

平安神宮の応天門は、平安京の応天門を5/8のスケールで模したものである。

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蛤御門
京都御苑の外郭九門の一つ。本来の正式名称は「新在家御門」。門の形状は高麗門型の筋鉄門である。

此の門は開ける事が無い門でしたが、内乱で戦闘に成り、門が焼けます、焼けて開く蛤で「新在家御門」から蛤御門と言われました。
今も戦闘の痕が残る門です。

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蛤御門

禁門の変(きんもんのへん)は、元治元年7月19日(1864年8月20日)に、京都で起きた武力衝突事件。蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)、元治の変(げんじのへん)とも呼ばれる。

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建礼門

現在も天皇皇后及び外国元首級のみが通ることのできる、最も格式の高い門とされ、御所一般参観時にも開門されることはないが、間近で見学することはできる。

京都三大祭りの一つ時代祭りの時、平安神宮から天皇の御霊が乗る鳳輦は此の建礼門の前に鎮座され、儀式が行われます。
その運ぶ籠丁役に俺等も居ます。
しかし、2020はコロナ禍で中止でした。

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東本願寺の勅使門
 東本願寺菊の門
 蛤御門の変の火災から東本願寺は復興事業で数多くの堂を再建したのですが、その中に菊の門も含まれていました。

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東本願寺菊の門

東本願寺の勅使門
蛤御門の変で此の門も延焼します。

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東本願寺菊の門

 東本願寺は、幕末の蛤御門の変(1864年)で伽藍を焼かれ、明治維新後、再建に着手します。東面して並ぶ御影堂と阿弥陀堂は、近代の巨大木造建築の代表格です。敷地の北東に開かれた菊の門は、明治44年(1911)に造営されました。

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不明門 (あかずのもん)
白川筋に面した、洛翠園の南角に有る古色蒼然たる門。此の門は伏見城内に建立され、常は閉されて居たので不明門(あけずのもん)と言われていました。
天井には極彩色の絵画を残しており、供侍の石も設けてあります。

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不明門

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不明門


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大徳寺 唐門(京都三唐門)

方丈前庭にある国宝・唐門は、もともと聚楽第にあったものを村上周防守が譲り受けたもので、 もともとは勅使門の西にあった。切妻造、檜皮葺、前後軒唐破風付の向唐門であり、西本願寺と豊国神社の唐門とともに「桃山の三唐門」と呼ばれている。  

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大徳寺唐門(京都三唐門)

方丈前庭にある国宝・唐門は、聚楽第にあったものを村上周防守が譲り受けたもので、 もとは勅使門の西にあったが、明治中頃になって明智門があった現在の場所に移建された。  切妻造、檜皮葺、前後軒唐破風付の向唐門であり、本願寺と豊国神社の唐門とともに「桃山の三唐門」と呼ばれている。  豪華な彫刻や金具の豊富さに特徴があり、日光東照宮の日暮門の原型となっている。

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大徳寺 唐門 (京都三唐門)

此の唐門は拝観されて居らず、また撮影禁止で写真はパンフレットとネット拾い写真です。

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豊国神社国宝唐門(京都三唐門)
この豪華な唐門は元は秀吉が作った伏見城にあったもので、左右が約六メートル、高さが十メートル半の大きさです。

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豊国神社国宝唐門(京都三唐門)
写真の鶴は左甚五郎の作と云われていますが、昔は豊国神社で説明して居ましたが、現在はして居ませんね😰

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豊国神社国宝唐門(京都三唐門)
写真の大きな唐門は国宝に指定されています。伏見城の城門を移築したものです。境内の由緒書には伏見城から二条城、南禅寺中門の右手前にある塔頭の金地院を経てここ豊国神社に移築されたと書かれています。西本願寺、大徳寺の唐門とともに「国宝の桃山三唐門」の一つとされています。豪華な装飾が随所に見られ、桃山時代の雄大で優美な雰囲気をかもしだしています。
写真に撮影日が写り込んですが、04月18日ですね。

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西本願寺の唐門(京都三唐門)
唐門は、京都市下京区にある西本願寺という仏教寺院にある、精巧な彫刻ときらびやかな飾り金具をめぐらした門です。中国故児や麒麟の彫刻、孔雀や虎、豹、鶴など細部に渡り素晴らしい極彩色彫刻がなされており、国宝にも指定されています。建築細部の彫刻を見ていると、日が暮れるのも忘れるという意味から、「日暮門」とも呼ばれています。

解体前の唐門

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西本願寺の唐門(京都三唐門)
本願寺(西本願寺)の南側、北小路の唐門は書院(対面所)の門(国宝)。

旧御影堂門を移築したもので、聚楽第とか伏見城の遺構だというが定かではない。

黒塗りに極彩色の四脚門で、牡丹に唐獅子、竹に虎、麒麟に孔雀などの彫刻が施され、その豪華で精巧な様を眺めていたら、時間が経つのも忘れてしまうことから、別名「日暮らし門」と呼ばれている。

現在修復中で2022年4月かな?修復が終わり公開が待たれます。コレは解体前の唐門

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西本願寺の唐門
西本願寺にある桃山文化を代表する国宝建造物。北小路通に面して建つ四脚門で、勅使門ともいう。桃山時代の代表的な唐門の一つで、建築細部の彫刻を眺めていると日の暮れるのも忘れるといわれ、「日暮門」とも呼ばれる。

2022年3月まで修復工事に成りますですから解体前の唐門です。

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二条城の唐門
しかし、唐門とは豪華ですね、二条城の唐門は重用文化財ですが、西本願寺の唐門(現在は修復中)は国宝です。二条城も西本願寺も共に世界遺産ですね。

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二条城の唐門

二条城にある重要文化財建造物。二の丸御殿の正門。四脚門でその屋根の前後に唐破風を備え、門として最も格式が高い。
冠木(かぶき)の上はすべて彫刻で埋め尽くされ、龍や虎といった霊獣に加え、鶴・亀・松竹梅といった長寿や吉祥を象徴するモチーフが刻まれている。

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二条城の唐門

唐門 二の丸御殿の正門にあたり、切妻造、桧皮葺の四脚門でその屋根の前後に唐破風が付きます。 門には長寿を意味する「松竹梅に鶴」や、聖域を守護する「唐獅子」など、豪華絢爛な極彩色の彫刻を飾ります。

唐門に見える菊の御紋、此の下には三ツ葉葵が有りました、二の丸御殿にはまだ三ツ葉葵が沢山残って居ますよ。

尚此の唐門は京都三大唐門 には含まれて居ません。

+京都三大唐門 は西本願寺・豊国神社・大徳寺に有る唐門です。



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JR青海川駅
やっとJR青海川駅を攻略出来た、次はJR下灘駅だなぁ🤗


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JR青海川駅
此処には冬場に来たら駄目ですよ、日本海の強風が吹いて立って居られず、寒すぎて凍え死にます(笑)

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JR青海川駅

日本海に一番近い駅と言う事ですが、今迄そんな事知らずに何度も此の駅は通過して居ました。

それで、2021年4月2日福島県は三春へ行く途中にバイクで立ち寄りました。
ここ青海川駅は日本海に最も近い駅。海水浴場も狭い浜で、日本海の白波が駅にも届きそうな駅です。ホームからの眺望もさることながら、駅を取り囲む崖の上から見下ろす日本海もまた格別。駅から歩く事なく景観が楽しめる駅です。

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善峯寺
天然記念物 遊龍の松

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善峯寺
善峯寺は西国三十三ヶ所巡礼の二十番の霊場です。

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善峯寺

善峯寺(よしみねでら)は、京都市西京区にある善峰観音宗(天台宗系単立)本山の寺院。山号は西山。本尊は十一面千手観世音菩薩。西国三十三所第20番札所。桜や紅葉の名所になっているとともに境内各所から京都市街や比叡山を一望できる。

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清水寺の舞台 (京都)

清水寺の舞台
「清水の舞台」として知られている清水寺の本堂。

 現在の建物は、徳川家光の寄進により1633年(寛永10年)に再建されたもので国宝。

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清水寺の舞台 (京都)

現在の建物は、徳川家光の寄進により1633年(寛永10年)に再建されたもので国宝。
 正面36メートル強、側面約30メートル、棟高28メートルの大堂です。

その堂内前に舞台が有りますが、創建当時は舞台は無く、本堂だけでした。
清水寺は参拝者が多くて手狭になり広げてました、その部分が舞台です。

「清水の舞台から飛び降りる」は江戸時代ごろから言われた様で、飛び降りて命が有れば、願いは成就されると言われた様です。
今は、何か高価な物を買う時、何かを思い切る時に
使われて居ますね、

しかし実際に飛び降りる方はいたのか?
記録では234人の方が飛び降りました、そして34人の方が帰らぬ人に、何と生存率80%以上ですね、但し今より樹木が多く木に引っ掛かり助かる人も多いようです。
しかし60才以上の方は全員死亡されて居ます。

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清水寺の舞台 (京都)

舞台の板は20年毎に張り替えられます。檜の板は寄進者の名前が書かれ、20年間参拝者を守ります。
此の檜の板は一枚如何程でしょうかね?

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二条城ニの丸御殿の外壁
此の外壁はまだ台風で飛ぶ前の写真ですね。

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二条城ニの丸御殿の外壁
台風21号でニの丸御殿の外壁の飾がと周辺部の飾も落ちました。
二の丸御殿の遠侍は車寄を入ってすぐの来殿者が最初に立ち入る建物。遠侍の間の外壁にある菊の紋の飾り金具は、直径約1・2メートルで、約150年前の明治初期に取り付けられたという。菊の紋だけでなく周囲の飾り金具も落下。さらに、黒書院と大広間の南や東に面している屋根瓦の一部が落下して二の丸庭園に散乱した。

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二条城ニの丸御殿の外壁
大きいですが、何か薄ぺらいですね。
2021年4月現在もまだ修復は出来ず。
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安宅の関

源義経が武蔵坊弁慶らとともに奥州藤原氏の本拠地平泉を目指して通りかかり弁慶が偽りの勧進帳を読み義経だと見破りはしたものの関守・富樫泰家の同情で通過出来たという、歌舞伎の「勧進帳」でも有名。

此の銅像の義経さんはデカ過ぎですね、俺等の義経さんのイメージはもう少し小さな方ですね。
左手が義経さんですね。
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安宅の関
安宅の関跡は安宅住吉神社に有ります。
石川県小松市

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安宅の関
安宅住吉神社境内に位置する。1939年3月18日に「安宅の関跡」として石川県史跡に指定されている。銅像の武蔵坊弁慶は七代目松本幸四郎が、富樫泰家は二代目市川左團次がモデルとなっている。

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西山荘
光圀さんは此の三畳の間で大日本史を制作して居ました。

「起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半」
人間が必要な広さは、起きている時が半畳で、寝ても一畳あれば足りる。 贅沢(ぜいたく)は慎むべきであるという教え。 このようにあります。 天下取っても二合半とは、あまり欲張るなという戒めかな?
しかし、徳川家の財力とか権力から見ても、此の西山荘は質素ですが、広い敷地・平屋ですが、大きな建物です、此の三畳の間を見て拙者が思った矛盾です。

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西山荘

「水戸黄門」で知られる,水戸藩二代目藩主・徳川光圀公が藩主の座を退いた後,元禄4(1691)年から元禄13(1700)年に没するまでの晩年を過ごした隠居所。
光圀公はここで『大日本史』の編さんの監修に当たりました。入口には光圀が紀州から取り寄せ,移植した熊野杉が天を覆っています。建物は茅葺き平屋建て,内部は粗壁のままで,どの部屋にも装飾はなく,書斎も丸窓だけの三畳間と質素な佇まです。
なお,現在の建物は,文政2(1819)年に再建されたものです。

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西山荘
拙者は国民的TV番組の水戸黄門が好きです、決まり切ったパターン、悪と善がハッキリした筋書き判る痛快番組で、事実と伝説とあり得ない動きの物語が出来る水戸光圀さんの西山荘とはどんな所か、見たかつたです。

物語の光圀さんの隠居所イメージ通りの所でしたが、西山荘は県の管理で無く、此処は個人所有でした。

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三春滝桜
日本三大桜の一つですが、一言「お見事です」桜は日本人の魂?見事までに咲き、又見事までに散る、素晴らしいですね。

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三春滝桜
2021・4月2日に見学に行って来ました。
見事までに素晴らしいですね。
死ぬまでに一度は見たい桜ですね。
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三春滝桜

福島県田村郡三春町にあるエドヒガン系の紅枝垂桜で、1922(大正11)年に国の天然記念物の指定を受け、日本三大桜のひとつに数えられている。樹齢は1000年以上だと推定され、樹高は13.5m、枝張りは東西に25m南北に20mに達する。四方に伸びた太い枝に、真紅の小さな花を無数に咲かせ、その様がまさに水が滝のように流れ落ちるように見えることから、滝桜と呼ばれるようになったと言われている。

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竹生島
西国霊場三十番宝巌寺

鳥居の下にある白いの「かわらけ」です、鳥居に投げて潜らず、失敗したのが落ちていますが、かわらけね、二枚400円です。高いか安いかは貴方の価値観です。

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竹生島
西国霊場三十番宝巌寺


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竹生島
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