函館にある五稜郭は、ヨーロッパの城塞都市を参考とした星形の西洋式城郭です。幕末の黒船来航に端を発し、新政府軍と旧幕府軍の戦いの舞台になった歴史上欠かせない場所。現在は、五稜郭公園として開放されています。五稜郭タワーに上りその全貌を見下ろしたり、再建された箱館奉行所で在りし日の姿に思いをはせて、歴史を感じてみませんか。
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五稜郭とは
五稜郭の誕生
1853年ペリー率いるアメリカ艦隊の来航、いわゆる「黒船来航」が五稜郭築城のきっかけとなります。黒船来航の翌年、幕府は日米和親条約を締結し、箱館(明治になるまで函館は「箱館」と表記)を開港。その際幕府は「箱館奉行所」を設置しました。当初は箱館山の麓(現在の元町公園)に置かれていましたが、防備を強固にするため現在の場所へ移転。その奉行所移転先の防備強化のために築かれたのが五稜郭です。
1857年に築城が始められ1864年に完成しました。洋式軍学に優れた蘭学者の武田斐三郎(たけだあやさぶろう)が設計を担当。防御に死角が無いとされるヨーロッパで考案された星形(稜堡式)の城を築城しました。
箱館戦争の舞台へ
開国後、欧米諸国の圧力に屈した幕府に対する不満が高まり討幕運動へと発展しました。1867年江戸幕府の滅亡、新政府樹立後も新政府に対する不満は収まらず、1868年に蝦夷地へ渡った榎本武揚率いる旧幕府軍は、五稜郭を占拠し仮政権を樹立。しかし新政府軍はそれを許ず、旧幕府軍への攻撃を開始。「箱館戦争」が勃発しました。
旧幕府軍は五稜郭に入城し抵抗するも、新政府軍に包囲され降伏。ここに幕末動乱は終結し、国内は新政府に統一されました。
五稜郭のみどころ
五稜郭タワー
五稜郭公園に近づくと、まず目に飛び込んでくるのが高さ約100メートルの五稜郭タワー。五稜郭築城100年の昭和39年12月に初代タワーが誕生。現在のタワーは2代目に当たり、2006年4月にオープンしました。五稜郭にちなんで、展望台も五角形、タワーの断面も星形というこだわりぶり。そんなタワーに上って見ることができる美しい五稜郭の姿は必見です。
2階に分かれている展望室では360度のパノラマ景色を楽しむだけでなく、幕末の歴史をパネルやフィギアで学ぶことができます。
タワーチケット売り場でもある1階には、ゆかりの人物のブロンズ像が設置されています。またおみやげ売り場では、新選組関連グッズなどをはじめ、ここにしかないオリジナルアイテムが購入できます。
- 五稜郭タワー
- 函館 / 展望・景観 / デート / 展望台
- 住所:北海道函館市五稜郭町43-9地図で見る
- 電話:0138-51-4785
- Web:http://www.goryokaku-tower.co.jp/
五稜郭公園
上から全体像を眺めたら、次は実際に城郭内を散策してみましょう。1952年特別史跡に指定された五稜郭は、現在公園として一般公開され、地域の方の憩いの場にもなっています。
土塁部分に上ってみると、独特な形を間近で見ることができます。土塁の外側には、深さ4~5mの堀が巡らされています。堀の幅は最大30mあり、敵の侵入を防ぐために作られました。
正面の出入り口側に当たる南西側の石垣の上部には、「武者返し」や「刎出(はねだし)」と呼ばれる防御のための迫り出しがあります。
- 五稜郭
- 函館 / 遺跡・史跡 / 公園 / 観光名所
- 住所:北海道函館市五稜郭町44地図で見る
- 電話:0138-31-5505(五稜郭公園管理事務所)
- Web:http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/20140116...
箱館奉行所
幕末の箱館開港に伴い、設置された役所が箱館奉行所です。明治維新後、建物は解体されましたが、2010年に約4年の工事期間を経て再建されました。古写真や文献資料等の研究結果をもとに、建築様式や木材などできる限り当時の姿が再現されています。
箱館奉行所の中でも、最も格式が高い部屋の一つである大広間。「四之間」「参之間」「武之間」「壹之間」の4つの部屋から成り、襖を開け放つと72畳の広さになります。役職によって入れる部屋や座る場所が細かく決まっていました。
- 箱館奉行所
- 函館 / 建造物 / デート
- 住所:北海道函館市五稜郭町44-3地図で見る
- 電話:0138-51-2864
- Web:http://www.hakodate-bugyosho.jp/
四季ごとの楽しみも
五稜郭では大正時代から桜の植樹が行われ、毎年春になると約1,600本の桜が咲き誇ります。また冬には雪が降り積もった白銀の姿になり、城郭として歴史を学ぶだけでなく、四季ごとに美しい景観を楽しむことができます。