松山城


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松山城
城門の前でボランティアの方々の皆さんによる写真を写しましようですがです、赤シャツの方とマドンナの女性が2名居られました、俺等は赤シャツ先生の方と写したかつたのですが・・・

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宇和島城
1601年に築城の名手と名高い藤堂高虎により築かれ、その後、伊達家9代の居城となりました。天守は1666年頃に伊達2代藩主により建て替えられ、現在では貴重な現存12天守の一つとして宇和島市の象徴にもなっています。

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宇和島城


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宇和島城


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宇和島城


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宇和島城


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国宝松江城

松江城は、現在の島根県松江市殿町に築かれた江戸時代の日本の城。別名・千鳥城。現存天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されている。

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国宝松江城

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国宝松江城

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国宝松江城

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国宝彦根城

彦根城は「江戸時代の政治体制を象徴する城」として、平和な時代に存続し続けた彦根城の価値を世界に発信するために、世界遺産登録を目指しています。平成4年度(1992)に世界遺産暫定リストに記載され、 平成20年度(2008)に彦根市に彦根城世界遺産登録推進室が新設、現在は2024年の登録に向けて動きが本格化しています。

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国宝彦根城

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国宝彦根城

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国宝彦根城
此の場所は京都の大覚寺と同じで時代劇には欠かせない場所ですね♪

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国宝彦根城

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国宝犬山城

国宝犬山城は、室町時代の天文6年(1537)に建てられ、天守は現存する日本最古の様式です。木曽川のほとりの小高い山の上に建てられた天守最上階からの眺めはまさに絶景。周辺には犬山城下町の古い町並みや、多くの観光施設があります。信長・秀吉・家康が奪い合い、歴史の荒波を生き残った、国宝犬山城は、室町時代の天文6年(1537)に建てられ、天守は現存する日本最古の様式です。木曽川のほとりの小高い山の上に建てられた天守最上階からの眺めはまさに絶景。周辺には犬山城下町の古い町並みや、多くの観光施設があります。信長・秀吉・家康が奪い合い、歴史の荒波を生き残った、国宝犬山城をご覧ください。

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国宝犬山城

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国宝犬山城


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北野天満宮
夏越しの祓え
此処は北野天満宮の本殿です、
此処にも茅の輪が有ります。

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北野天満宮
夏越しの祓え

夏至を過ぎ、6月を終えると今年もあと半分。六月の晦日となる6月30日は、全国各地の神社で「夏越の祓(なごしのはらえ)」が執り行われます。厄払いとなる「茅の輪(ちのわ)くぐり」の神事や、この日にいただく京都の伝統菓子「水無月(みなづき)」、新しい行事食「夏越ごはん」などには、夏を元気に乗り越え、健康や息災を祈る願いや工夫がこめられています。本格的な夏が始まる前の儀式かなぁ。

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北野天満宮
夏越しの祓え



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国宝松本城


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国宝松本城


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国宝松本城



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国宝姫路城

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国宝姫路城

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国宝姫路城

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弘前城 (青森県)

弘前城は、陸奥国鼻和郡弘前にあった日本の城である。別名・鷹岡城、高岡城。江戸時代に建造された天守や櫓などが現存し国の重要文化財に指定されている。また城跡は国の史跡に指定されている。江戸時代には津軽氏が居城し弘前藩の藩庁が置かれた。Wikipedia

コレは角櫓が天守閣に成りました。

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弘前城 (青森県)
東北地方で唯一つ現存する
天守閣ですね、
雨が土砂降りの日に訪れました。

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弘前城 (青森県)

青森県弘前市に建つ「弘前城」は、江戸時代に築城されてからおよそ400年の歴史があり、現存する天守をもつ12城のひとつです。

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京都の道標


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京都の道標


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京都の道標

 北白川石仏・北白川西町道標 〒606-8267 京都市左京区北白川西町83-4
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京都の道標
吉田本町道標

 写真左の面には、「左 百まんへん」と書いてあります。
 よく見ると、まだ下に続いているようで(埋まっています)、『京都市の文化財』によると、「左 百まんへん乃道」となっているそうです。

 写真右の面には、「右 さかもと/からさき 白川」とあります。
 こちらも埋まっていて、「右 さかもと/からさき 白川乃道」となっているといいます。

 この場所、道標にあるように、左方(北)へ行けば百万遍です。
 そして、昔、右斜めに伸びていた道を進むと、志賀越え道で比叡山を越し、滋賀県の坂本や唐崎へ行けるのです。

京都から滋賀へ通じる志賀越え

京都の町なか、いわゆる洛中から外に出る場所を「京の七口」などと言っています。
 特に、7つに限定というわけでもないのですが、そう呼びならわしているのです。



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京都の道標
吉田本町道標


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京都の道標
吉田本町道標


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大宅一里塚
 奈良街道の一里塚で,市内に残る唯一のものである。もと街道の両側にあった塚のうち,西側のものが現存し,直径4~5m,高さ1.8mを測る。塚の上には樹高約11mのエノキが植えられている。一里塚は街道の両側に一里(3.75km)毎に目印として築かれた塚で,慶長9年(1604)に徳川家康が諸街道の整備とともに,塚上にエノキを植えた一里塚の築造を命じたことが知られている。

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大宅一里塚

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大宅一里塚
コレは随分前の写真ですね、多分昭和時代かな?

今は此の面影は有りませんね。
残るは、お地蔵さんだけかな。

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京都の道標
五条別れ

名称:五条別れ道標
住所:京都市山科区御陵中内町から京都と東国を結ぶ日本の大動脈だった街道で、江戸幕府を開いた徳川家康は、その支配を盤石なものとする一策として道路整備に着手。その一つが東海道。その旧東海道沿いに江戸時代に建てられた、東からの通行人に五条・伏見方面への近道となる分岐点を知らせる道標。当時の呼び名がそのまま地名に。

名称:五条別れ道標
住所:京都市山科区御陵中内町

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京都の道標
五条別れ

山科区、JR駅前を南へ下り、すぐの交差点。さらに南へ下るとかつての三条通に当り、それが旧東海道。山科区、JR駅前を南へ下り、すぐの交差点。さらに南へ下るとかつての三条通に当り、それが旧東海道。昔から京都と東国を結ぶ日本の大動脈だった街道で、江戸幕府を開いた徳川家康は、その支配を盤石なものとする一策として道路整備に着手。その一つが東海道。その旧東海道沿いに江戸時代に建てられた。

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京都の道標
五条別れ

石柱の面によって書かれている内容が違い、それによって方角を表しています。
石標の東面『左ハ五条橋 ひがしにし六条 大佛 今ぐまきよ水 道』と書かれています。大佛はかつての七条大仏、きよ水は清水寺ですね。

「因みに前に写る自転車は俺等の馬でここまで頑張って来ました💦」
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京都の道標
三条白川橋 東海道五拾三次の上がりの三条大橋迄僅かですね。

京都為無案内旅人立之は京都に不案内な旅人のために建てたという意味みたいです。要は近道案内の道標。

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京都の道標
現存する道標では一番古い道標です。
三条白川橋の袂にある史跡ですね。 
その橋の南東側脇に橋と同じくらい年季の入った石造りの道標。『是よりひだり ちおんゐんぎおんきよ水みち』と彫られています。

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京都の道標
文字がハッキリと読み取れます。
六角堂・祇園・三条大橋

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京都の道標


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京都の道標
 京都で一番美しいと言われている 大原口道標
明智光秀の坂本城まで読み取れます。
場所は上京区今出川寺町東北角

道標上0018

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流れ橋 京都府八幡市

此の橋は今から約25年前の木造の流れ橋です、現在の流れ橋は鉄骨で橋桁は出来て居ます。

何度も流される橋は補強が大変ですね。

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流れ橋 京都府八幡市

 洪水時にあえて流されるように設計された橋であることでも知られ、雄大な自然の中に時代劇の中に迷い込んだような昔ながらの趣を今に残す人気の観光スポット。

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流れ橋 京都府八幡市
あえて橋板を流してしまう、日本最大級の木橋

 京都府南部を流れる木津川に架かる「流れ橋」。美しい川の流れと白砂の河原の上に、長大な木橋が架かっていて、時代劇定番のロケ地として有名。

若き日のサント船長で、中型バイクで日本全国を走り倒して居た頃の写真です♪
今は老船長に成り静かに昔を思い出す日々です(泣)

#サント船長の写真 #橋 #若き日のサント船長
札幌 時計台
時計台の中です♪


#サント船長の写真 #北海道
札幌 時計台
時計台の中です♪
「青年よ大志を抱け!」
クラーク博士

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札幌 時計台


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札幌 時計台

#サント船長の写真 #北海道
札幌 時計台

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札幌 時計台

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青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸

青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸(せいかんれんらくせんメモリアルシップはっこうだまる)は、青森県青森市柳川にある博物館である。青函トンネル開業により青函連絡船が廃止になった後、「海の街」青森の記念碑にしようと1990年(平成2年)、青函航路の花形だった八甲田丸を、往時に近い状態で海上博物館として利用しつつ、保存している。

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青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸
此処に来ましたが、コロナ禍で見学は不可でしたのは残念でした。

#サント船長の写真
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸

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京の五条大橋
五条大橋は何度も大水で橋は流失して居ます、その度に擬宝珠も流されて、探しますが、見つからず、その流失した擬宝珠を新しく作って居ます、
今五条大橋の擬宝珠は昭和・明治・天保の物が残って居ます。

コレは昭和十年六月と有ります。



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京の五条大橋
此の擬宝珠は明治十年に鋳造された物ですね。


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京の五条大橋
天保二年十一月十一日の鋳造による物ですが、現在此の擬宝珠は2022年個のみですね。

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京の五条大橋
 「五条通」の鴨川に架けられた「五条大橋」は、平安時代末に牛若丸(源義経)と弁慶が出会ったという伝説で知られる橋

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京の五条大橋

此の石橋は京都国立博物館に移された五条大橋の物です。

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