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【6】フラワー通り(旧宇田川、大塚家住宅、医院、九重)
漁師町として栄えていた頃、「浦安銀座」と呼ばれ「一番通り」と名付けられていたこの通りは、現在は「フラワー通り」と呼ばれています。かつては魚市場が並び、寄席や映画館、銭湯、宿屋、天ぷら屋などが軒を連ねる賑やかな商店街でした。
半農半漁の生活では夫婦共働きのため、夕食のおかず用に飲食店や駄菓子屋などから惣菜やおでんを買って帰ったそうです。また、若者にとっては出会いの場所でもありました。
【7】駄菓子屋 重兵衛商店
軒先きのゲーム機が趣のある外観のお店で、店内には懐かしい駄菓子が所狭しと並びます。お店の向かいには小さな公園があり、お小遣いを握って集まった子供たちが店内外にワイワイと集まる様子や、それを見守る店主のお母さんの眼差しに温かさと懐かしさを感じる、ノスタルジックなスポットです。
【8】浅田煎餅本舗
1888年創業という老舗のおせんべい屋さんで、社長さんは初代5つ星マイスター(お米の博士号とも言える資格)です。厳選されたお米と醤油で作られた煎餅は本当に美味しく、手作りの商品が多く取り揃えられています。
また、甘党の方にはかりんとうなどもオススメです。贈答用の折り詰めや、お米の販売もしていますので、お土産にも最適です。
【9】浦安市郷土博物館
浦安市郷土博物館には3つの展示エリアがあり、それぞれで浦安市の歴史や文化を紹介しています。屋外展示場では、浦安弁が飛び交う1952年頃の漁師町浦安の町並みや自然が再現されていて、小説家・山本周五郎の作品『青べか物語』の舞台、浦粕(うらかす)の時代の浦安を体験することができます。
また、館内では三軒長屋のお話し会や貝殻細工など、大人も子供も楽しめる様々な催し物がボランティアによって行われています。併設するカフェレストラン「すてんぱれ」でいただける郷土料理のあさりめしやあさり丼は、ランチにオススメです!
別の記事『青べか物語』の風景がここに!浦安弁が飛び交う「浦安市郷土博物館」では、浦安市郷土博物館の見どころを紹介しています。ぜひ、こちらもご覧になってみてください。
- 浦安市郷土博物館
- 浦安市 / 雨の日観光 / 博物館
- 住所:千葉県浦安市猫実一丁目2番7号地図で見る
- 電話:047-305-4300
- Web:https://assarikunn.wixsite.com/website
おまけ 〜浦安のあゆみ〜
浦安村の誕生から、現在までのあゆみを辿ります。昔の町の様子を知ると、現在ある景色に奥行きを感じ、違った印象も生まれます。
浦安村から浦安町、そして浦安市へ
東京市が誕生し、世界ではパリ万国博覧会が開催された1889年、堀江・猫実(ねこざね)・当代島(とうだいじま)の3つの村が合併して浦安村が誕生しました。その20年後には浦安町が成立し、さらに70年以上が経過した1981年に浦安市が誕生しました。
「青べか物語」の舞台になった、漁師町・浦安
浦安を舞台にして書かれたとされる小説『青べか物語』を書いた作家の山本周五郎は、1928年に浦安町に移り住み、その暮らしの中で体験した出来事を浦粕(うらかす)という地名で綴りました。その短編小説が人気を得て、『青べか物語』という単行本が刊行されました。
その頃の浦安では、漁業と農業が人々の生活を支えていました。浦安弁などの独特の文化も育まれ、寄席や映画館、船宿、天ぷら屋、銭湯などが賑わった時代。当時の浦安は自然の恵みが豊富であった一方で、水害の多い場所でもありました。
漁業の生活から、丘の暮らしへ
1958年、工場排水による水質汚染の公害が起こります。黒く濁った水が葛西沖まで広がり、大量の魚や貝が死にました。そして、1962年に漁業権の一部を放棄した浦安では、海面埋立による造成地の拡大事業がはじまります。
1969年には現在の東京地下鉄東西線が開通し、間もなく漁業権の完全放棄がなされます。その頃には、現在の舞浜にあたる地区が出来上がりました。
そして、住宅地、大規模遊園地、鉄鋼流通基地の3つを柱に、今日の浦安市が形成されていきます。1983年にはディズニーランドが開業し、5年後の1988年にはJR京葉線に舞浜駅と新浦安駅が開業しました。
都心への出やすさから、通勤至便のベッドタウンとしての人気に拍車がかかり、人口増とともに、近年では日本の市町村の中でも平均年齢の若い市町村となっています。