ボスニア・ヘルツェゴビナにある世界遺産の町「モスタル」。イスラム文化とヨーロッパ文化が融合した独特のオリエンタルな雰囲気が魅力の町でありながら、民族紛争とも呼ばれたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の傷跡を未だに数多く残す町でもあります。日本人に人気の観光地クロアチア・ドブロヴニクから日帰りで訪れることもできるので、絶景を眺めながら平和を感じるモスタルへ足を運んでみてはいかがでしょうか。今回は、事前に知っておきたいモスタルの歴史と異文化が融合したモスタルならではのおすすめな町の歩き方をご紹介します◎
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民族紛争の傷跡とともに平和を感じられる町「モスタル」
ボスニア・ヘルツェゴビナで5番目に大きな都市である「モスタル」は、平和の象徴とされる「スタリ・モスト橋」と共に、モスタルの美しい景色や町並み全体が2005年に世界遺産へ登録され、日本人にはまだあまり馴染みがないものの、観光地として発展しつつあります。
その一方で、1991年に勃発した民族紛争とも呼ばれるボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(旧ユーゴスラビア内線)の際、特に大きな打撃を受けた町でもあり、町の至るところに銃弾の跡が残る建物があるなど、紛争の傷跡を目の当たりにする町でもあるのです。
訪れる前に知っておきたいモスタルの歴史
1991年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では、クロアチア系住民・イスラム系住民・セルビア系住民と、異なる民族間で民族紛争が繰り広げられました。元々これらの民族が入り混じるようにして生活が送られていたモスタルでは、多くの人々が命を落とし、町のシンボルとして民族間の平和を見守り続けていたスタリ・モスト橋も1993年に爆破されたのです。
紛争終結の1995年以降、民族間の努力によってスタリ・モスト橋は2004年に再建。今では平和のシンボルとして訪れる人々の胸に戦争の悲惨さや平和の大切さを教えてくれているのです。
とにかくじっくりと眺めたい平和の象徴「スタリ・モスト橋」
ボスニア語で「橋を守る人」という意味を持つ「モスタル」。そのことからも、いかにスタリ・モスト橋がこの町のシンボルとして昔から大切にされてきたかがわかるはずです!オスマントルコ朝支配下の時代である1566年に9年間もの歳月をかけて建造されたスタリ・モスト橋は、その建築技術とアーチ型の美しさをじっくりと眺めていたいほどの完成度です。
ゆったりとカフェやお食事をしながら想いを馳せる
スタリ・モスト橋を中心に、周辺には美しい景色を眺めながらゆっくりとお茶をしたり、お食事のできるカフェやレストランが点在しています。スタリ・モスト橋周辺はすべて石畳なので、足が歩き疲れたときはもちろん、絶景を目の前に想いを馳せるお気に入りのスポットを探してみるのもおすすめです!
注意点として、スタリ・モスト橋周辺のみならず、モスタル全域で未だにクレジットカードを使用できるお店が少ないため、カードでの支払いを考えている場合には、事前にカードが使用できるか確認するのがベターです◎ただし、クレジットカードを使用して現金を引き出すことができるATMはあちこちに設置されているため、安心です。
異文化が融合したオリエンタルな雰囲気の町歩き
民族それぞれの文化が融合したモスタルは、ヨーロッパなのにヨーロッパとは思えないような独特のオリエンタルな雰囲気が魅力の町でもあります。スタリ・モスト橋を中心として、時計台やミュージアム、教会、モスク、レストランやお土産物店が軒を連ねる美しい町並みも訪れる人を虜にしてくれます。
あちこちに点在するお土産物店では、トルコでよく見かけるようなデザインの陶器やランプがたくさん並んでいます。
トルコ雑貨のなかで特に人気のトルコランプも、トルコよりリーズナブルなお値段で買うことができるかも?ぜひチェックしてみてはいかがでしょうか。
お気に入りのベストフォトポイントを見つけてみて!
とにかく美しい景色が広がるスタリ・モスト橋周辺だから、町歩きを楽しみながらお気に入りの写真スポットを見つけるのがおすすめです◎特に、深緑のネレトゥヴァ川の美しさは必見です!
訪れる季節によっては、地元の子どもたちが川遊びをしていたり、25mの高さを誇る橋の上から地元の若者や旅行者が川へ飛び込んでいる姿を見ることもできます。
おわりに
いかがでしたか?まだ日本人にはあまり馴染みのない国、ボスニア・ヘルツェゴビナの世界遺産の町「モスタル」をご紹介しました。日本人旅行者にも人気のクロアチア・ドブロヴニクからは日帰りで足を延ばすこともできるモスタルだから、ぜひ少し足を延ばしてモスタルが併せ持つ紛争の傷跡と平和の大切さを絶景とともに肌で感じてみてはいかがでしょうか。