愛媛県宇和島市にある宇和島城は、数多くの城の築城に関わり築城名手とうたわれる藤堂高虎(とうどうたかとら)が手掛けた城として、また日本に12箇所だけ残る現存天守(江戸時代、またはそれ以前に建設され現在まで保存されている天守)としても貴重なお城です。標高74mの山頂に建つ天守からは宇和海が見え、山や海といった自然を取り入れた城であることがよく分かります。今回は、そんな宇和島城の見どころをご紹介します。
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宇和島城ってどんな城?
宇和島城は、1596年から6年間かけて藤堂高虎(とうどうたかとら)によって築城されました。現在、城周辺は埋め立てられているので海から隔てられていますが、築城当時は城周りの約半分が海に面していました。
海と山、自然を効率的に使ったその外周は五角形の形をしており、一説には敵から逃走経路を見にくくするためにこのような縄張り設計をしたとも言われています。
藤堂高虎の後、冨田氏、そして伊達政宗の息子である伊達秀宗が入城し、その後明治時代まで伊達家の居城となりました。
現在残る天守は1666年に再築された2代目で、石垣や櫓なども伊達家により修築されてはいますが、基本的な城構えは築城当時のものが踏襲され今に残っています。
築城名手 藤堂高虎とは?
1556年近江国に生まれた高虎。足軽として浅井氏に仕えたのを最初に、その後織田家、豊臣家、徳川家など次々と仕官先を変え、最終的には足軽から伊勢32万石の大名へと上りつめました。
築城技術にたけ、宇和島城をはじめ今治城、伊予大洲城の築城、また江戸城、伊賀上野城、大阪城の修復など、数々の城建築に携わっています。これだけ多くの築城に携わっていたことからも、権力者にその技術が認められていたことがよく分かります。
見どころ1:貴重な武家屋敷門を通って城内へ
宇和島城天守のある城山への登城口は南側と東側の二箇所です。それぞれの入口は多少離れてはいますが、いずれの登城口にも貴重な遺構である門が置かれていますので、行きと帰り違う登城口を使っていただきたいです。
南側 上り立ち門
城山南側に位置する「上り立ち門」は、天守同様江戸時代から現存しています。かつては、南側から天守まで7つの門が存在していたようですが、現在残っているのはこの上り立ち門のみ。
武家の正門とされる藥井門(やくいど)形式で、現存する藥井門では最大クラス。またそれだけでなく、創建時代が藤堂高虎時代まで遡るとも言われ、日本最古の藥井門の可能性がある貴重な門です。
東側 藩老桑折(はんろうこおり)氏武家屋敷門
東側には、藩老桑折氏の屋敷地に残されていた門があります。昭和27年に譲渡され、現在の場所に移築されました。宇和島市内では、貴重な武家屋敷の建造物となっています。
見どころ2:多彩な植物が生い茂る城山
天守は、標高約74mの山頂にあります。登り口である「上り立ち門」、「武家屋敷門」いずれからも、天守までは約15分~20分ほど歩いて登らなければなりません。
城山には450種もの草木が生い茂り、石垣や階段が苔むした姿は自然と一体になった美しさを備えています。視界の開けない草木の中を歩いていると、まるで城を攻める武将気分。ただし、苔の生えた階段は非常に滑りやすくなっているため、足元には充分ご注意を!
見どころ3:約350年前の姿をとどめる現存天守
現在の天守は、築城当初のものではなく伊達家二代目宗利が3重3階に再建し、1671年に完成したものです。1860年と1960年(昭和35年)に改修を行っていますが、往時の姿をとどめており、日本に現存する12天守の一つに数えられ国の重要文化財にも指定されています。
天守内部は、角度が急な階段や木組みの柱など、現存天守ならではの当時の姿を間近で見ることができます。
見どころ4:藤堂高虎特有の高石垣
宇和島城は、高虎が初期に手掛けた城です。高虎の築城の特徴として、高い石垣が上げられますが、これは宇和島城から始まったもの。
石垣一つ一つの石は小さいですが、細かく積み上げられた様を目の前にすると、力強さと守りの固さを感じることができます。
- 宇和島城
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- 住所:愛媛県宇和島市丸之内1地図で見る
- 電話:0895-22-2832
- Web:http://www.city.uwajima.ehime.jp/site/uwajima-jo/