エディルネは、ギリシアとブルガリアに国境を接するトルコ西端の街。オスマン朝時代に帝都として栄えたこの街には、世界遺産のセリミエ・モスクのほか、ユチュ・シェレフェリ・モスク、エスキ・モスクという3つの見逃せないイスラム寺院があります。
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エディルネとは?
古代のローマ皇帝ハドリアヌス帝が街造りを行ったのが起源で、彼の名前にちなんで古くはハドリアノポリスと呼ばれていました。その後はアドリアノープルと呼ばれるようになり、1453年にメフメト2世がイスタンブールにオスマン帝国の首都を移すまで、エディルネは約90年間にわたり都として栄えました。イスタンブールからは長距離バスで約2時間半~3時間で行くことができます。
イスタンブールからエディルネへのバスでの移動方法はこちらの記事を参考にしてみてください。
ミマール・スィナンの最高傑作「セリミエ・モスク」
エディルネの中心部には、絶対に訪れておきたい3つのモスクがあります。そのうちの一つは、トルコ史上最高の建築家といわれるミマール・スィナンの設計による「セリミエ・モスク」です。1569年から約6年の歳月をかけて建てられた、トルコ随一の美しさを誇るモスクで、設計当時スィナンは80歳を超えていたというから驚きです。
巨大ドームが造る壮大な空間
モスクの大ドームは、イスタンブールのアヤソフィア寺院の大ドームをわずかに超える直径31.5メートルという大きさ。スィナン自身が最高傑作と言った理由が存分に伝わってくる見事な美しさです。大ドームは象の足のように太い8本の柱と、さらに5つの半ドームでようやく支えられるほどの大規模なものです。
逆さのチューリップを探そう
トルコの国花であるチューリップ。モスク内部にはそれぞれ色や形、大きさが異なる101のチューリップが描かれているのですが、ひとつだけ逆さまに描かれたチューリップがあるのです。
なぜスィナンがひとつだけ逆さまのチューリップを描いたのかについては諸説ありますが、このモスクの敷地にはもともとチューリップ畑があり、用地買収になかなか応じなかった地主のひねくれた性格を表現している、という説が有名です。
長い歴史の中であまりにも多くの人に触られて擦り減ってきたので、現在はチューリップの部分に透明のカバーが設置されています。
ユチュ・シェレフェリ・モスク
セリミエ・モスクと併せて見学しておきたいのが、「ユチュ・シェレフェリ・モスク」です。このモスクはセリミエ・モスクよりも歴史が古く、1447年のムラト2世の時代に完成したものです。設計を手掛けたのは、ミマール・スィナンの師にあたるミュスリヒッディン・アーで、当時のオスマン朝建築の中では傑作とされているほどの出来栄えです。
ミナーレが特徴的
「ユチュ・シェレフェ」というのは3つのバルコニーという意味で、4つあるミナーレのうち南西にあるミナーレにバルコニーが3つついているため、この名前で呼ばれるようになりました。ねじった不思議な形のミナーレにも注目です。
- ユチュ・シェレフェリ・モスク
- トルコ / 社寺・教会
- 住所:Sabuni Hükümet Cad. 22100 Merkez/Edirne Merkez/Edirne地図で見る
エスキ・モスク
3つ目のモスクは「エスキ・モスク」です。「エスキ」とは古い、という意味で、その名の通り、エディルネで最も古いモスクです。1403年に建築が始められましたが、途中の政変のために建設がストップしてしまい、1414年になってようやく完成しました。
壁面のカリグラフィーは圧巻の美しさ
エスキ・モスクは、ほかのモスクの構造とは少し変わっています。内部には大ドームがなく、いつくものドームによって屋根が構成されており、そのため床には何本もの柱が刺さっています。
柱の各面や壁に大きく描かれたカリグラフィーは迫力満点。それぞれの柱の前で祈る人が後を絶ちません。天井がほかのモスクより低く、採光のための窓も小さく少ないのですが、そんな薄暗い空間にも趣があります。
おわりに
エディルネを訪れたら、必ず見学しておきたいモスクを3つご紹介しました。どのモスクにもそれぞれの特徴があり、異なる時代や設計者によって造り上げられたそれぞれのモスクの違いを感じることができるはずです。エディルネに来たらぜひ立ち寄って、オスマン帝国時代の建築美を堪能してみてはいかがでしょうか。