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勝龍寺城跡(勝龍寺城公園)

しょうりゅうじじょう/勝竜寺

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勝龍寺

勝龍寺城の後に参拝しました。
龍神に勝ったとのことから改名された真言宗のお寺ですね。
2024.4.21
勝龍寺城

細川忠興、ガラシャ夫妻ゆかりの城。
明智光秀最後の城。
ここのキリシマツツジも綺麗で景観が良かったです。
2024.4.21
勝竜寺城跡
勝龍寺城は、西国街道や京都に通じる要衝に、防衛拠点として築城された。築城は、応仁、文明の乱が起きた室町時代。平安時代に建てられた勝龍寺の一部がこの地の合戦に登場し、戦国時代になると城下町も発展、信長の家臣、細川藤孝によってより堅固な城へと改修され、京都盆地を主に西側地域を支配の拠点となる。


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勝竜寺城跡
”天下分け目の天王山”で知られる「山崎の戦い」で秀吉軍に敗れた光秀は、勝龍寺城に退却し”最期の夜”を過ごしました。光秀が坂本城を目指して脱出したと伝わる勝龍寺城の北門には、当時の石垣や門の礎石が今も遺ります。

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勝竜寺城跡
勝龍寺城は、明智光秀の娘であり、細川忠興の正室でもあった「細川ガラシャ」のゆかりの城でもあります。
天正6年(1578年)、明智光秀の娘・お玉(後の細川ガラシャ)は、織田信長のすすめにより、16歳で勝龍寺城城主・細川藤孝の嫡男・忠興に嫁ぎました。
その後2年間、勝龍寺城で幸福な新婚時代を過ごしたといわれ、歴史とロマンを秘める城として全国的に知られています。

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勝龍寺城跡
細川ガラシャゆかりの地

天正6年(1578)に明智光秀の娘玉(細川ガラシャ)が15歳で織田信長の薦めで、細川藤孝(ふじたか)の嫡子忠興(ただおき)もとへ嫁いだお城で勝龍寺城です。

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勝龍寺城跡
細川ガラシャゆかりの地

玉はその生涯は、波瀾万丈ですが、玉は特に波瀾に満ちた短い人生です。

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勝龍寺城跡
細川ガラシャゆかりの地

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