『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルのひとりとされている源融(みなもとのとおる)公ゆかりの寺、太融寺(たいゆうじ)。境内には、豊臣秀吉公のご側室・淀殿の墓や、縁結びの神様として知られる白龍大社などがあり、女性にもたいへん人気のある観光スポットです。大阪・梅田駅から徒歩10分圏内と、わずかな空き時間で気軽に立ち寄ることが出来るため、通勤途中や、出張の合間に訪れるビジネスマンの姿もよく見られます。今回はそんな太融寺の歴史をはじめ、知られざる境内の見どころをご紹介します。
この記事の目次表示
太融寺(たいゆうじ)とは
821年(弘仁12年)、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が創建した真言宗の寺院で、山号は佳木山、院号は宝樹院、ご本尊は千手観音菩薩です。
嵯峨天皇の皇子であり、光源氏のモデルの一人とされている源融(みなもとのとおる)公が、七堂伽藍(講堂・僧房・食堂など寺を構成する主要な七つの建物のこと)を建立した経緯から、その名をとって寺名にしたといわれています。
かつては「北野の太融寺か、太融寺の北野か」といわれるほどの広大な敷地を誇りましたが、戦災での焼失によりだんだんと規模が縮小され、現在の本堂、大師堂、宝塔など20余棟は戦後に復興されたものです。
境内には淀殿の墓や芭蕉の句碑などの史跡もあり、繁華街の中にあるとは思えないほど静かな時間が流れています。
太融寺の見どころ
史跡・淀殿の墓
1615年(元和元年)5月、大阪城の落城により秀頼公と共に自刃した淀殿の遺骨は、秀頼公の元家臣である片桐且元により拾い集められ、大坂城外の弁天島に祀られました。
しかし、1877年(明治10年)11月、その場所に陸軍の砲兵工廠(兵器工場)が建つこととなったため、豊臣家に縁の深い太融寺に墓所が移される運びとなり、現在に至ります。改葬当時は九輪塔の墓石でしたが、戦火により現在は六輪になっています。
白龍大社
淀殿の墓の横に、彼女の墓所を守るかのように建っているのが雌神をお祀りする白龍大社。
今は太融寺の境内の外になってしまいましたが、近くに雄神の龍王大神を祀ったお社もあり、白龍と龍王が夫婦なことから、縁結びの神様としても人気のあるお社です。
女性は太融寺境内の白龍大社に、男性は境内外の龍王大神にお参りしましょう。
一願不動明王
太融寺で密かなパワースポットとして人気があるのが、何でも一つだけ願いを聞き届けてくれるという、一願不動明王です。
現在の一願不動明王は2代目で、初代は昭和20年の空襲で被害を受けて横たわっていたものが発見されたため、「一願堂 奥之院」として、瀧の奥の洞窟に安置されています。
マニ車
マニ車とは、側面にマントラが刻まれた円形の筒の中にロール状の経文を納めたもので、手で時計回りにまわすことによって、お経を一巻お唱えするのと同じ功徳が得られます。
太融寺が属する「おおさか十三仏霊場会」が、ネパール・パタン市の学校建設を援助した経緯から、両国の友好のシンボルとしてネパールより贈られたものです。
芭蕉の句碑
全国を旅して、多くの歌を残した松尾芭蕉。大阪にも多くの歌碑が残っていますが、その中の一つが太融寺の境内にあります。
「白菊の 目に立ててみる 塵もなし」。
この歌は、1694年(元禄7年)9月29日、大阪の女流門弟、斯波園女(しばそのめ)の招きをうけ、現在の北浜にあったといわれる園女亭で開催された歌会の席で、貞節な招待主を白菊に託して詠んだものです。
アクセス
太融寺
〒530-0051 大阪府大阪市北区太融寺町3-7
☎︎06-6311-5480 太融寺HP
拝観時間
8:00~17:00 (年中無休)
交通案内
JR大阪駅、阪急・阪神・地下鉄梅田駅から東へ(扇町通)300m右側
- 太融寺
- 大阪 / 寺 / パワースポット
- 住所:大阪府大阪市北区太融寺町3-7地図で見る
- 電話:06-6311-5480
- Web:http://www.evam.ne.jp/taiyuji/