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弁慶石

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弁慶石 (武蔵坊弁慶)

源義経に仕えていた弁慶が幼少の頃、三条京極界隈に住んでいた時に愛でていたと伝えられる石です。ビルの1階にある大きな石で少し不自然な感じもしましたが、町名も「弁慶石町」となっていて弁慶にゆかりがあることを知ることができます。

此の弁慶石は「国宝上杉本」にも描かれて居ます。

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弁慶石 (武蔵坊弁慶)

武蔵坊 弁慶は、平安時代末期の僧衆。源義経の郎党。 『義経記』では熊野別当の子で、紀伊国出身だと言われるが詳細は不明。元は比叡山の僧で武術を好み、五条の大橋で義経と出会って以来、郎党として彼に最後まで仕えたとされる。

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弁慶石 (武蔵坊弁慶)

「義経記」や「弁慶物語」などの軍記に記されたエピソードであり、どこまでが事実でどこまでが伝説なのかわからないところがあります。同時代における最も信ぴょう性の高い歴史書「吾妻鏡」には義経の部下のひとりとして記されているだけであり、「武蔵坊弁慶(弁慶法師)」という人物が実在したことは確かですが、出自はおろか何をした人物なのかも全く記されていません。そのため、各種伝説における「武蔵坊弁慶」が、実在した「武蔵坊弁慶」と同一人物なのかどうかは不明です。

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弁慶石 (武蔵坊弁慶)
「上杉本洛中洛外図屏風」
の中に弁慶石が描かれて居ます。
力自慢の町衆が集まり持ち上げる様子が、

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弁慶石 (武蔵坊弁慶)

米沢藩上杉家に受け継がれた「京の都」の日
「上杉本洛中洛外図屏風」は、天正2年(1574年)に織田信長から上杉謙信へ贈られたと伝えられ、以後米沢藩上杉家に伝来したという由来を持ちます。平成7年に国宝に指定されました。 筆者は桃山時代を代表する画家・狩野永徳(かのうえいとく)です。京の都を一望し、洛中(市中)と洛外(郊外)の四季と、そこに暮らす人々の生活風俗を描き込んだものです。上杉本と呼ばれるこの上杉家伝来の屏風は、数ある洛中洛外図の中でも初期に属するもので、豪華に、そして細やかに描かれています。

そんな中に弁慶石が描かれて居ます。

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📍Kyoto,Japan

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