静岡県小山町の富士山東口本宮 冨士浅間神社は、富士山登山道須走口の起点にあり、須走浅間神社とも呼ばれています。1000年以上もの間、富士を登山する多くの人々を見守り続けた長い歴史があり、世界文化遺産である富士山の構成資産にも登録された神社です。富士山・御殿場・箱根を結ぶ国道138号線のそばにあり、自動車でのアクセスも良いので観光に取り入れやすく、穴場的なパワースポットでもあります。今回は、この神社をご紹介しながら、知っていると参拝が少し楽しくなるかもしれない歴史についても触れてみたいと思います。
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富士山東口本宮 冨士浅間神社(須走浅間神社)の由緒
富士山は歴史上、何度か噴火していますが、中でも大規模な噴火だったとされるものの1つが800年(延暦19)と2年後の802年をあわせた「延暦大噴火」です。この時、噴火がおさまるようにと祈願するための斎場がこの須走に設けられました。
願い通りに噴火が止んだため、807年(大同2)、斎場跡地に神を祀って建てられたのがこの神社の始まりとされています。
今も昔も、幹線沿いに建つ神社
富士山へ向かう国道沿い
こちらは、神社の駐車場の写真。駐車場の裏手が、小田原から富士五湖や富士吉田へと続く国道138号線で、箱根・富士五湖と観光スポットをつなぐ幹線道路です。道路の向こう側には「道の駅すばしり」、そして富士山登山道の須走口もあります。晴れた日には、大きくて見事な富士山が見えるのです!
鎌倉往還
駐車場から門に入るすぐ手前に、鎌倉往還の看板が。「こんなところに鎌倉への道?」と意外に思われるかもしれません。
鎌倉時代の甲斐には、「甲斐源氏」という有力な一族の本拠がありました。源氏といえば、鎌倉幕府の将軍も源氏ですが、この甲斐源氏は源頼朝の4代前に分かれた一族です。ちなみに、戦国大名の武田信玄もこの甲斐源氏の宗家になります。
甲斐の武士が「いざ鎌倉」の時のために、そして流通を考えた経済面でも、鎌倉への道は必須だったのでしょう。
また、古代からこのあたりには、東海道から分岐した官道(国家が管理する道)である「甲斐路」が通っていました。その道筋は詳しくわかっていませんが、鎌倉往還はその甲斐路とほぼ同じ道筋を通っていると考えられています。
このように、富士山東口本宮 冨士浅間神社は、古代から人々が行き交う重要な幹線沿いに建っているのですね。
表参道入り口の大鳥居
駐車場側にある入り口から入ってもいいのですが、正式な入り口は、ここから神社の右手にまわって少し離れた場所にある「表参道入り口」。ここには、写真にある大鳥居があります。
古来から、富士山へ登山する人の正式な参拝は、「正門である大鳥居から入って拝殿で登山の無事を祈り、終わったら裏の駐車場側の門から出て、須走口の登山道から富士登山をする」という形だったそうです。
お時間があれば、ぜひ鎌倉往還を歩いて、表参道に入る大鳥居から入ってみてください。
表参道から拝殿までを歩く
表参道を入ると右側に社務所があり、2階は神社の資料館になっています。御朱印や祈祷の申し込みもこちらが受付です。
歩いていくと、左手に龍の手水舎、そして正面に朱塗りの神門が見えてきます。
この門の前にある狛犬は、少し変わった形をしています。ごつごつした溶岩石でできた塚の上から見下ろす親と、麓から見上げる子の狛犬。古来からの言い伝え「獅子の子落とし」の「獅子はわが子を千尋の谷に突き落とす」の形を表現しているそうです。
神門を抜けると正面に拝殿が見え、拝殿の屋根を超えたバックには富士山の姿も現れます。なんとも神々しい雰囲気です。
参道をさらに歩いて行くと、再び手水舎が。駐車場側の裏門から入る人は、こちらで手を清められます。
近くの立て札には、清めの作法が書かれているので、作法をよく知らない筆者は思わず凝視。こちらのお水は富士山の湧水から取られているとのことで、汲んで持ち帰る人もいるそうです。
筆者が訪ねた時は1月だったので、拝殿には初詣として参拝する人が多い時期でした。富士山遙拝所という看板もありますね。参道から見えたように、この拝殿の向こうにちょうど富士山があるはずです。