栃木と福島の県境に位置する「簑沢彼岸花公園」では、秋になると、彼岸花が咲き誇り、実った稲の金色と真っ赤な彼岸花のコントラストに、感動する景色が広がります。近くには、史実や『奥の細道』にも出てくる「白河の関跡」もあります。
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彼岸花ってどんな花?
名前の由来は諸説ありますが、秋彼岸の時期に花を咲かせることから、彼岸花と名付けられたと言われています。中国揚子江周辺から伝来した花で、他にも別名が多数ありますが、曼珠沙華(まんじゅしゃげ/まんじゅしゃか)と、呼ぶのは有名ですね。
彼岸花というと赤い花のイメージが強いですが、オレンジやピンク、白い彼岸花もあります。球根には毒があることから、モグラやネズミ除けのために、田んぼのあぜ道や、墓所に植えられることが多かったようです。
簑沢(みのさわ)彼岸花公園とは?
栃木県内有数の彼岸花群生地となる簑沢彼岸花公園は、昔、源義経や弁慶一行が奥州平泉へと向かった、旧東山道(通称:義経街道)沿いにある公園で、とちぎのふるさと田園風景百選にも認定されています。また、この地域には、『奥の細道』の松尾芭蕉や西行などの足跡も多く残り、歴史ファンには、見逃せない場所でもあります。
彼岸花群生地の面積は、6,000㎡もあり、簑沢彼岸花公園として、散策路も整備され、休憩用のベンチなども設置されています。以前から、周辺のあぜ道に彼岸花は咲いていたそうですが、地域住民の皆さんの手により、毎年株分けをし、少しずつ増やされて、現在のような環境が整えられたそうです。
また、この季節に訪れる鑑賞者のため、赤い彼岸花と黄金色に輝く稲穂のコントラストを楽しんでもらおうと、わざわざ稲穂の刈取りを遅らせているそうです。地区住民の方々の愛情を感じるお話ですね。
彼岸花の見ごろと駐車場について
簑沢の彼岸花の見ごろは、例年9月中旬から10月中旬が、ベストシーズンとなっていますが、季節により変動しますのでお出かけの際は、各自ご確認ください。
公園下に、5~6台程度の駐車スペースはありますが、道が狭くなっていますのでお気を付けください。
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彼岸花鑑賞の前後に立ち寄りたい「白河の関跡」
公園から北へ車で10分程の場所に、白河の関跡があります。面積約58,000㎡、標高410mほどの丘陵があり、その頂には、白河神社が祀られています。平安時代には、源義経が兄・頼朝の挙兵を知り、鎌倉に向かう道中に詣で、勝利を祈願したと伝えられています。
白河神社は、2022年夏の甲子園で、宮城代表の仙台育英高校が優勝したことで大注目を浴びました。100年以上の歴史を誇る甲子園大会で、春夏を通じて東北の代表校が優勝したことはありませんでした。神社では、25年前ほどから甲子園に出場する東北6県の出場校に、白河の関を越えて優勝を願う「通行手形」を毎年送り続けてきたそうです。東北人の悲願である‟白河の関越え”を果たしたことで話題になりました。
奥州三古関の1つに数えられ、関所として名高い場所ですが、その名が広く知られたのは、関所としての役目を終えた後、みちのくの玄関口として、都人の憧れの地となり、西行や松尾芭蕉、曽良など多くの文化人が、この地を訪れるようになってからのことでしょう。
1783年には、「寛政の改革」を実行した松平定信が藩主となり、ここに居城が築かれました。その後、1868年の戊辰戦争の際には、奥羽列藩同盟軍と新政府軍との間で、およそ100日間にも及ぶ戦いが繰り広げられた場所でもあります。
このように、歴史の波に翻弄されてきた地も、今では神社と空堀、いくつかの碑がある程度ではありますが、静かで厳かな雰囲気を味わいながら、古に想いを馳せながら散策するのも良いと思います。