アフリカの中西部に位置するアンゴラは、2002年の内戦終結後、豊富な地中資源により目覚ましい発展を遂げた国です。特に、首都ルアンダは世界一物価の高い都市として注目されていた時期がありました。この記事では、首都ルアンダの見どころと、世界一高い物価といわれた理由を実際に現地で確認します。
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アフリカ大陸の国アンゴラの場所
アンゴラ(正式名:アンゴラ共和国)は、アフリカ大陸の中南部に位置する国です。国土は日本の3倍以上あり、砂漠からサバンナ、熱帯雨林まで有する大自然の宝庫です。
- 出典:www.openstreetmap.org© OpenStreetMap contributors
首都は、大西洋沿いのルアンダに置かれています。赤道に近い場所にありますが、寒流のおかげでそれほど暑くなく、一年を通して過ごしやすい気候です。
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アンゴラの歴史
先史時代からポルトガル植民地へ
西暦1世紀ごろから、バントゥー系をはじめとする多種の民族が住んでいた現在のアンゴラは、14世紀に北部の民族がコンゴ王国を建国すると、15世紀後半にポルトガルが進出して国交を結びます。そして、のちにアンゴラ南部を奴隷確保の目的で侵略したポルトガルが、アンゴラ一帯を植民地化します。
ポルトガルからの独立と内戦時代
20世紀に入り第二次世界大戦が勃発すると、ヨーロッパ諸国の植民地となっていたアフリカ大陸の国全体に独立機運が高まり、大戦終了後、多くのアフリカ諸国で独立戦争が始まります。
アンゴラも1961年に独立戦争を決起。1975年に悲願を達成し400年におよぶポルトガル植民地時代が幕を閉じたものの、そのまま内戦状態に陥ります。30年近く経った2002年に終結しますが、その間、実に30万を超える地雷が国土全体に埋められました。
内戦終結後の闇と光
地雷撤去作業
アンゴラの国土に満遍なく広がった地雷危険区域は、2007年時点で3,277か所にも及びました。日本は積極的に撤去作業を支援し、2018年までに1,416か所まで減っています。アンゴラ政府は、2025年までの地雷0を目標に掲げ日々地雷撤去に勤しんでいますが、依然として1,000か所以上の危険区域が存在しています。
人を無差別に殺害する目的で、これだけの広範囲に地雷を埋める狂気も相当ですが、それ以上の年月と労力、費用をかけての撤去に、戦争と人間の愚かさを感じずにはいられません。
内戦終結後の目覚ましい発展
一方、豊富な原油やダイアモンドなどの地中資源を背景に、アンゴラは大きく経済発展しました。
石油生産の急激な上昇によってもたらされた目覚ましい成長率は、2007年に23.4%と世界最高を記録します。
また、内戦で急激に悪化したインフレ率ですが、2000年以降は順調に低下を続けています。1999年に300%だったインフレ率は、2007年には11.8%まで低下するなど著しい進展を遂げます。
さらにアンゴラは、ダイアモンドの産出国でもあります。地球上には4,000以上の鉱物が存在していますが、その中でも高価とされる5つの鉱物のうちの一つがダイアモンドです。装飾品として用いられる宝石はもちろん、硬度に優れる側面から工業品として使用されるなど用途が多岐にわたる希少な鉱物です。
2020年時点でのダイアモンド産出金額上位を見ると、
- 1位 ボツワナ
- 2位 ロシア
- 3位 カナダ
- 4位 ナミビア
- 5位 アンゴラ
と、アンゴラは世界で堂々の5位。政府歳入のほとんどが原油とガス、ダイアモンドの3本柱で占められ、アンゴラ経済に貢献する産業の一つです。
それではこれより、首都ルアンダの様子を観光名所と合わせてご紹介します。
首都ルアンダの中心部
長期に渡った内戦で、破壊された都市部の建物は次々と建て直され、現在は高層ビルの建設ラッシュです。現場のバリケードには中国語が目立ち、一帯一路政策に依存している様子が伺えます。
Assembleia Nacional(政府機関)
こちらはルアンダの政府機関です。こちらに限らず、政府機関の建物はどれもとても立派で、その外観はまるで宮殿のよう。地中資源などを当てて一時的に大きな収入があると、政府系の建物ばかりがとにかく豪華絢爛になるという典型的な国です。しかし、周辺の一般の建物と明らかに見た目が乖離し、「潤う政府と貧しい国民」という構図が一目瞭然です。
- Assemblela National
- アンゴラ / 建造物
- 住所:Luanda Angola Assemblela National地図で見る
Memorial Agostinho Neto(ネト記念公園)
アンゴラ独立戦争を指導し、独立後に初代大統領に就任した「アゴスティニョ・ネト」の記念碑のある広々とした公園です。ネトは、独立戦争に際して当時のアメリカ大統領ケネディはじめ各国にその目的を訴え、キューバのチェ・ゲバラの支援を取り付けるなど尽力し、独立後はカストロ議長と強い親交を保つなど外交力を発揮しました。
Fortress Sao Miguel(サンミゲル要塞)/世界遺産
下の写真のアンゴラ国旗のふもとに位置する要塞は、1576年に建てられたポルトガル植民地時代の要塞です。奴隷貿易の主要な玄関口ともなりました。現在は、戦車や戦闘車両、武器、大砲が展示された軍隊博物館も併設されています。
手前の大きな建物はショッピングモールです。
Museu da Moeda(コイン博物館)
こちらは、街の中心部にあるコイン博物館です。どの国でも、当地通貨の歴史を展示する博物館はありますが、アンゴラのコイン博物館は少し変わっています。
展示されている通貨には、ポルトガル侵入以前に使われていたカタツムリの殻や貝殻、動物の骨、歯、植物の根で作られた塊が見られます。どうやらそれらを交換手段として使用していたようです。のちにコンゴ王国が発足すると、それらは棒状に成形された塩や石、象牙へとグレードアップします。
日本も、古代は物々交換ながら塩や米が用いられていたこともあり、土地特有の通貨は、その国を知る上でも興味深いです。