世界屈指の産油国にしてハイパーインフレーションに陥った南米の国ベネズエラ。かつて、スペイン植民地から独立へと導いた英雄「シモン・ボリバル」の生まれ育った街でもある首都カラカスを、現状とともにご紹介します。
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南米ベネズエラ
ベネズエラは、南米大陸の北部に位置する連邦共和制国家です。南米大陸でも指折りの自然の宝庫で、世界遺産のカナイマ国立公園をはじめ、アマゾン川流域の生物多様性や、カリブの美しい海、島々など、壮大な自然を有しています。
原油埋蔵量は世界最大と言われており、1950年代にアメリカ合衆国、ソ連に次ぐ世界第三位の産油国となりました。原油価格高騰の恩恵を受け高成長が続き、1980年代前半まで南米の最富裕国でした。
首都カラカスの中心地は、その頃に建てられた多くの高層ビルが立ち並び、一角だけ見るとまるでニューヨークのマンハッタンのよう。石油で湧き栄えていた黄金時代の面影を残しています。
未曽有の経済危機ハイパーインフレーション
しかし、1980年代に入ると原油価格の下落や失政により、経済状況は徐々に悪化の一途を辿ります。特に2010年代に入ってからは、ハイパーインフレーションが慢性化しています。
インフレが1,000%になると、現金の価値は1/10になります。これまで100円で購入できていた物が1,000円になります。2018年、ベネズエラのインフレ率は1,698,488%と発表され、この対応策として政府は同年8月に通貨を5桁切り下げるデノミネーションを実施しました。しかしその後、たった5か月でインフレ率が2,680,000%まで悪化してしまい、この天文学的数字で「世界史上最速のハイパーインフレーション」を達成しています。
あまりに酷い通貨の暴落を受け、社会主義的な政策を継続していたマドゥロ大統領も自由主義を認めざるをえず、2019年の9月にインフレ率が改善したものの、依然として高いインフレ率を維持しています。
資源の呪い
このような経済危機に陥っているにも関わらず、ベネズエラは輸出収入の90%以上を未だ原油に依存しています。「資源の呪い」に取り憑かれて必要な投資を怠ってきたため、国土が広いにもかかわらず農牧業の生産性は低く、食料品を含む生活必需品の多くを輸入に頼っています。
また、国内産業も貧弱で、唯一の輸出売上である石油部門が雇用するのは就労人口の0.5%と、ごく一部の層に富が集中し国内の貧富の差は激しくなる一方です。このため、ベネズエラは職のない膨大な貧困層を抱えています。
ベネズエラの思わずクスっと笑える奇抜な政策
これらの経済危機、食糧危機に、ベネズエラ政府は数々のちょっと珍しい政策を打ち出していますので、一部をご紹介します。
国家が発行した世界初の仮想通貨ペトロ
このハイパーインフレの打開策の一つとして、マデゥロ大統領は2018年10月、石油・天然ガス・金などの資源で裏付けされた独自の仮想通貨「ペトロ」を、国家が発行する通貨として世界で初めて運用開始しました。そして、パスポート受領の唯一の支払い手段としたほか、公務員退職者への一時金や、年金の支給をペトロで行うことで利用の促進を図っています。
しかし、ペトロを導入している国内小売業は、2020年現在500社弱と少なく、苦戦を強いられているもよう。そもそも、国民のスマホ所持率が低く、街はガラパゴス携帯で電話をしている人が多い印象です。ペトロを完全に普及させるには、まずはその課題をクリアする必要がありそうです。
「我々はウサギ愛を捨てなければならない」
未曽有の経済危機に見舞われたベネズエラの食糧危機は深刻さを増し、多くの国民にとって肉を食べることが贅沢となりました。国民の約75%が平均8.9キロ体重を落としたとの調査結果もあり、「国民の動物性タンパク質不足は切迫した課題だ」とするマドゥロ大統領は2017年、安価な「ウサギ」を食用に繁殖する計画を打ち出します。そして、政府は「ウサギ計画」を成功させるため、
「国民はウサギ愛を捨てなければならない」
と強く主張しました。何故なら、貧困地区を対象にウサギを食用としてテスト的に配給したところ、住民たちはペットとして名前を付け、一緒に寝るなど可愛がってばかりいるからなのだとか(ソースはこちら)。微笑ましいですね。
ウサギ計画に失敗した政府は、次なるタンパク質摂取手段として、ヤギの食用計画を画策しているのだとか。
ベネズエラの首都カラカス
ベネズエラを訪れる日本人のほとんどが、カナイマ公園など地方の観光地へ流れるため、首都カラカスに訪れる日本人はごく少数です。カラカスは、ベネズエラの主要な国際空港から車で40分ほどと距離があり、また、街は治安が悪いと思われているため、空港へ着いてもそのまま飛行機を乗り換えて地方都市へ向かってしまうのです。
しかし、カラカス市内は文化的な建築物が多く、何といっても南米の英雄「シモン・ボリバル」の生まれ育った町ですので、一見の価値ありです。
それではこれより、カラカスの市街観光地と「シモン・ボリバル」の生涯について、写真を交えながらご紹介します。
カラカス近郊のスラム街
まずは、近郊の国際空港からカラカス中心部へ向かう途中の山間に広がるスラム街です。
世界中に大小様々存在するスラム街は、一般的には貧困層が密集して住んでいる場所とされており、中南米最大といわれるカラカスのスラム街は、山の斜面に張り付くように家が建てられています。
スラム街と聞くと暗いイメージをもたれれ方も多いと思われますが、カラカスのスラムは簡易な建物ながら壁がパステルカラーに塗られ、遠くから眺めると彩りの良い一つの芸術作品といってもよい景色です。
首都カラカス中心部
経済危機や治安の悪化が取り沙汰され、ちょっと笑える政策ネタのあるベネズエラですが、首都カラカスは極端な貧困などとは無縁に感じられます。街には人が溢れ、映画館に並ぶ列やアイス屋さんがあったり、カフェで寛ぐ人々、公園で座って談笑する人々などで街は穏やかです。
それでは、カラカスの中心部を歩いて観光してみます。
サンタ・キャピラ大聖堂(Basilica Menor Santa Capilla)
サンタキャピラの大聖堂は、1568年に建立されたカトリック教会です。1641年の地震によって完全に崩壊し、以降も度重なる地震により建物は何度も再建、修復されました。現在の建物は、1883年にパリのサンシャペルを参考に建てられています。
ファサードにネオゴシック様式の要素がある大聖堂は、尖った針のようなアーチが印象的です。尖っているにも関わらず優しいフォルムに感じられるのは、色と装飾の影響でしょうか。
内装は豪華に装飾されており、正面には大きなバラ窓と祭壇。
1979年に国定史跡に指定された、街の象徴的な教会の一つです。
- サンタ・キャピラ大聖堂
- ベネズエラ / 教会
- 住所:Santa capilla caracas地図で見る
カラカス大聖堂(メトロポリタン大聖堂/Cathdral Metropolitana de Merida)
カラカス大聖堂(メトロポリタン大聖堂)は、ローマカトリックメトロポリタン大司教区のカラカス本拠地です。大聖堂の地下室にある聖三位一体の礼拝堂は、後ほどご紹介するシモン・ボリバルの両親の埋葬地です。かつては、シモン・ボリバルの若い花嫁もここに埋葬され、ボリバル自身の遺骨も1842年から1876年までここに埋葬されていましたが、その後、パンテオンナシオナルに厳粛に移送されました。