遠い昔、世界の中心が地中海にあった時代、レバノンは東西貿易の交差点となる重要な位置にあり、繁栄の極みにありました。古くから数多くの王様や将軍が、この土地を挙って支配し、その富や名声を誇示したといいます。これらの時代に建築された数々の遺産は、ローマ帝国の史実を語る上でもとても重要とされています。今回は、これらの遺跡を含む、「レバノンの3B」といわれる観光地、ベイルート、ビブロス、バールベックをご紹介します。
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レバノンが「中東のパリ」「中東のスイス」と呼ばれる所以
中東に位置しながら地中海性気候のレバノンは、夏カラッとして冬温暖。他のアラブ諸国と違い、春には花々が咲き乱れ、冬にはレバノン山脈の山々が雪に覆われるなど、日本と同じく四季折々の景色を望める景観豊かな国です。
レバノンの地中海沿岸は、平坦な土地が南北に延びており、一年を通して過ごしやすい陽気。首都ベイルートなどは高級ブティックやホテル、オープンカフェが立ち並び、まるでフランスのパリのよう。「中東のパリ」といわれる所以が分かる光景です。
また、レバノン山脈に代表される山の多い国土は、アラブ諸国のなかで唯一砂漠のない国でもあり、山間にある標高約900mのベカー高原は、レバノン人の食を支える穀倉地帯として、他のアラブ諸国にはない緑の風景が広がっています。雪を抱いた山々と、緑の広がるその景観は「中東のスイス」と呼ばれる所以となっています。
過去レバノンを襲った度重なる悲劇
他のアラブ諸国と違い、地中資源の全くないレバノンは、70年代前半まで自由経済体制の下、中東で最も重要な商業、金融センターとして繁栄しました。当時は、各国の中東本部や通信社、商社が軒を連ね、商業都市としての地位を確立していたのです。
しかし、その状況は長くは続きませんでした。70年代後半に始まった内戦は、繁栄を極めた首都ベイルートを戦場と化し、15年もの長きに渡って続き、これらの地位から陥落。
内戦終結後、故ハリーリ前首相の下で復興事業を急速に進めましたが、80年代のイスラエル侵攻、そして、2006年のイスラエルによる空爆で、再び首都ベイルートのダウンタウンが戦場となると、多くの民兵や市民が犠牲となります。これにより、完全に疲弊しきってしまったレバノンは、政治的緊張状態に陥り、経済は長きにわたり停滞し続けました。
しかし、国内に非常に魅力的な観光資源を抱えるレバノンは今、確実に復興の道を歩み始めています。
「中東のパリ」と呼ばれる首都ベイルート
長く続いた戦争で、文字通り「がれきの山」と化したベイルートですが、現在は、「中東のパリ」と呼ばれた過去の名誉を取り戻すべく、すさましい勢いで復興し、もとのベイルートの姿を再現しつつあります。
ベイルートの観光は、遺跡や宗教建築、高級ブティック、カフェの立ち並ぶバブ・イドリス地区、高級レストランからカジュアルなファストフードの店まで立ち並ぶ西海岸のラウシェ地区、高級ホテルが集中するハムラ地区に分かれており、それらの街をぐるりと囲うように歩道の敷かれた海岸通りがあります。
バブ・イドリス地区(ダウンタウン)
観光客が最も訪れるバブ・イドリス地区(ダウンタウン)は、オープンカフェや高級ブティック、ホテルの立ち並ぶエリアです。
地元ビジネスマンも多く、ランチミーティングでワインを傾ける光景もよく見ます。
アラブのイスラム教国ではほとんど公にないアルコールも、ここでは気軽に飲めることも楽しみの一つです。
Archeological Site
ダウンタウンのほぼ中央に、ローマ遺跡があります。
ただ放置されているだけのように見えるこの遺跡ですが、ここにローマ帝国が存在したことを確かに想起させるローマ列柱が並び、その遺跡を取り囲うように、重要な宗教建築物が配置されているのは感慨深いです。
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ムハンマド・アミーン・モスク(Muhammad Al Amin Mosque)
ダウンタウンのローマ遺跡東側にある真新しいモスクは、ムハンマド・アミーン・モスクです。
2008年に完成したばかりのこのモスクは、ラピスラズリ色のドームが印象的です。4本のミナレットは70メートル近くもあり、ハムラ地区ではどこからでも見えそうです。
内装は明るいオレンジを基調としており、シャンデリアも豪華。
ベイルートのダウン単修深部にありながら、静かで神聖な場所です。
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ハリーリ前首相の霊廟(Hariri Mausoleum)
そのすぐ隣には、ラフィーク・ハリーリ前首相霊廟があります。レバノンの首相を3度に渡って務め経済再建を軌道に乗せたハリーリ前首相は、2005年2月に暗殺されるまで、ダウンタウン一帯の再開発も自ら率先して進めていました。
暗殺現場となった場所に、彼の遺体とともに犠牲になった人々も祀られており、いまだに弔問に訪れる人々で後を絶えません。
2018年4月現在、レバノンの首相は彼の息子であるサード・ハリーリ氏が務めています。
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セント・ジョージ・グリーク・オーソドックス教会(Saint George Greek Orthodox Cathedral)
その隣にある大きな教会は、セント・ジョージ・グリーク・オーソドックス教会です。
博物館を併設しているこのギリシャ教会は、内戦時に破壊され、内部のフレスコ画も崩壊してしまいましたが、現在は修復されています。
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エミール・マンサール・アッサフ・モスク(Emir Mansour Assaf Mosque)
その隣にはまたモスクがあります。
夜のライトアップがとても綺麗ですよ。
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セント・ジョージ・マロニエ教会(Saint Georges Maronite Church)
そして、その隣はぐるりと遺跡を一周して辿り着く、セント・ジョージ・マロニエ教会です。ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に大きく影響を受けたこの教会は、内戦時に大打撃を受け、崩壊したまま放置されていました。しかし、内戦後の1997年に完全に修復され、元の教会のデザインに戻っています。
アラブ諸国はほぼ、イスラム教を国教とする国ですが、レバノンはイスラム教とキリスト教の共存する国です。この一角は特にイスラムモスクとキリスト教会が混在しており、うまく協調されている様が良く分かります。
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フルーツ天国
海の幸や山の幸を存分に堪能でき、食材豊富なレバノンでは、採れたてフルーツを山のように積んでベイルートのダウンタウンで売る光景がよく見られます。
大きな街角には、レバノン軍が戦車を置いて警備に当たっていますが、その戦車の前でフルーツを売るなど、日本では考えられない光景ですね。