日本人にとってベラルーシは、距離も遠く情報も少ない「よく分からない国」ではないでしょうか。ロシアのニュースを目にすることはあっても、ベラルーシのニュースを耳にすることはほとんどありません。実際、日本人旅行者が観光地のトピックを調べようとしても、範囲は狭く情報は限られています。そんな未知の国は、自分で歩き回って知るしかありません!
この記事の目次表示
緑のベールに包まれた未知の世界ベラルーシ
ベラルーシの首都ミンスクの国際空港に降り立ち、市内中心部へ向かう道中、目に映る青い空と広大な緑地は、誰もが恍惚となるのではないかと思われます。この雄大な自然の景色は、地平線まで続きます。「こんな美しい国がまだあったのか」と、147カ国を旅してきた筆者も仰け反るほど!そして、その土地のもつ「気」も、他国とは明らかに違うように感じました。
しばらく緑の水平線を走ると、見えてくるのは栄光の丘。ドイツ戦争におけるミンスク解放の記念碑です。
ここを超えると、民家がポツポツと現れ、
そして、いよいよミンスクの中心部へ向かいます。
市内へ入っても道幅は変わらず、街の緑も多く、何しろ整然としており「何て優雅なのだろう!」と、ここまでだけでも筆者は感動に包まれていました。
しかし、この感動的な美しさの裏には、長きに渡り暗く影を落とした過去が数多くありました。街のご紹介の前に、少しベラルーシの歴史をご紹介します。
ベラルーシ共和国の歴史
ベラルーシ共和国は有史以来、モンゴルの侵攻やリトアニアによる併合、ポーランドへの同化やロシア帝国の支配など、何かと侵略・併合支配された苦難の連続する歴史でした。
1917年のロシア革命の際に一瞬独立しますが、1919年には結局ソビエト連邦に加盟。そして、1939年の第二次世界大戦下ではドイツナチスとソ連の激戦区となり、市街は完全に壊滅状態となりました。また、アウシュビッツに次ぐ第三のナチス収容所を有していたベラルーシでは、20万人が虐殺されたという黒歴史もあります。
さらに、ようやく戦争の痛手から復興したかに見えた1986年には、チェルノブイリ原発事故が起こり、わずか16Kmしか離れていないベラルーシのゴメリ州などは、南風に乗った汚染物質により甚大な被害を受けています。高濃度汚染地域からの移住を余儀なくされ、農業や畜産業などが全面的に禁止されたほか、原発事故に関連するとみられる病気によって人口が激減するなど、近年に至るまで心の落ち着かない日々が続きました。
ヨーロッパ最後の独裁国
また、1990年に旧ソビエト連邦が崩壊し独立したあと、1994年にロシアの意思を継ぐように大統領選挙に当選し、今現在もその座にあるアレクサンドル・ルカシェンコは、より一層独裁色を強めています。
このような状況も手伝ってか、「ほぼ鎖国」状態にあったベラルーシは、他国の個人が旅行するには手続きが煩雑で、なかなかに壁の高い国でした。このため、「未知の国」とされてきましたが、現在(2018年12月)74カ国(日本含む)の国民に国際空港からの入国時のみアライバルビザを提供し、30日間の滞在が許されるようになりました。
少しずつ門戸を開きはじめたベラルーシ。旅人にとっては、どんな国なのか気になりますね。
ベラルーシの首都ミンスク中心部
ミンスクは、市内中心部に観光スポットが多く集まっているため、主要な場所は徒歩で回れます。ここでは、このあとすぐにご紹介する「聖霊大聖堂」を基点に、美しいミンスクの市街中心部をご紹介します。
聖霊大聖堂
スヴィスラチ川沿いの小高い丘の上に建つ聖霊大聖堂は、二つの搭をもつ緑屋根の正教会です。1633年にカソリック教会の修道院として建てられましたが、1852年にロシア正教の教会になりました。
この壮大な大聖堂の内部には数々のイコンが飾られており、その中で最も有名なものは「ミンスクの聖母」です。1482年に現キエフがモンゴルに襲われた際、このイコンは川に投げ捨てられたのですが、なぜか上流のミンスクへ流れ着いたとか。この出来事以来、奇跡を起こすイコンとして信じられています。
こちらの出入り口を入って左側にありますので、お見逃しなく!
※教会内は撮影禁止
St.Losif Roman Catholic Church
そのすぐ先にはカソリック教会。この美しい教会の地下には、隣接する建物への地下通路があるとか。ロシア時代の名残を感じるエピソードですね!
- St. Losif Roman Catholic Church
- ベラルーシ / 社寺・教会
- 住所:St. Losif Ramae Catholic Church地図で見る
Cathedral of Saint Virgin Mary
先ほどの聖霊大聖堂と外観は似ていますが、当初は1710年に住宅として建てられたものでした。1732年に上部の2つの搭の建設が始まると、1747年に教会となり、1773年に大聖堂になりました。
しかし、1920年には車のガレージとなり、その後は倉庫として使われ、さらにその後にスポーツ複合施設となりました。それでも、一度は教会となったこの建物の前では、道行く人が祈り続けるなどし、1993年、再び教会として修復が始まったという奇異な歴史をもっています。
戦争の影響もあったのかも知れませんね。
- Cathedral of Saint Virgin Mary
- ベラルーシ / 社寺・教会
- 住所:ミンスク地図で見る
十月広場
さらにまっすぐ歩いていくと、十月広場があります。
敷地内には共和国宮殿や、ドヴォレツ・クリトゥリというカルチャーセンターがあります。珍しく、ローマ調の建築物です。
こちらでは様々な演劇を催しているほか、広場で度々集会が行われているようです。
サーカス
十月広場を左に見て坂を下りていくと、サーカスの建物があります。
こちらもロシアらしいですね。筆者は「サーカス=ロシア」という印象の強い世代ですので、ベラルーシへ来て「サーカス」と聞くと、改めてロシア色の強い国なのだと感じます。
- サーカス(ミンスク)
- ベラルーシ / エンターテイメント
- 住所:サーカス ミンスク地図で見る
勝利広場
サーカスを右に見ながら、広い通りをさらに進むと、勝利広場へ行き着きます。
第二次世界大戦にてソ連が勝利した記念の広場で、高さ40メートルのオベリスクがそびえています。
オベリスク前には、戦死者を偲ぶ火が絶えず燃えており、周りの壁面には命を落とした多くの軍人たちの名前が刻まれています。
戦争の勝利の裏にはいくつもの失われた命があり、それは果たして「勝利」と言っていいものなのか、少なからず疑問も抱かせます。
トラエツカヤ旧市街地区
聖霊大聖堂の北方、スヴィスラチ川にかかる橋を渡ると、トラエツカヤ旧市街区があります。
「トラエツカヤ」とは、「聖三位一体」の意味で、かつてここにあった教会に由来した名称です。
戦争で焼け野原になったこの地域でしたが、学生ボランティアたちの手によって当時の商家などがそっくり再現されました。現在は、カフェやお土産屋さんの並ぶ、ほっこりした街並みで、夜になっても地元の人々や観光客で賑わっています。