NHK大河ドラマ『八重の桜』で舞台となった江戸時代末期の福島県会津若松市。その歴史の中でよく知られているのが、悲劇的な運命をたどった白虎隊でしょう。その白虎隊が最期を遂げた地が、この飯盛山(いいもりやま)です。この記事では、飯盛山にある見どころをご紹介します。
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白虎隊士の墓
飯盛山で定番の見学ルートは、周遊バスのバス停や市営駐車場から、まず白虎隊士の墓を目指すことです。正面の長い階段を登って進むか、階段がつらいかたは、有料の「飯盛山スロープコンベア」を利用しましょう。料金は大人250円、こども150円となっています。
登りきった所に、少し広い空き地と「白虎隊十九士の墓」があります。白虎隊は16歳から17歳の武家の男子で編成された隊でした。この白虎隊の墓地の横には、同じ戊辰戦争で戦って討ち死にしたり自刃した女性の霊を慰める「会津藩殉難烈婦碑」もあります。会津の戊辰戦争は、少年や女性も参戦し亡くなった壮絶な戦争だったのです。
会津の町並みを見渡せる「白虎隊自刃の地」
白虎隊十九士の墓がある空き地から右手にある道を歩いていくと「白虎隊自刃の地」へ着きます。途中には、自刃した白虎隊士の中で唯一人救われた飯島貞吉の碑も。自刃の地では、白虎隊の少年の石像が、鶴ヶ城(若松城)の方向を眺めています。
自刃の地は飯盛山の中腹にあり、会津の市街を見渡すことができる眺望スポットです。最近では、白虎隊の少年たちは、今後のことを激論した末に自刃したといわれています。ですがよく知られているのは、城下で起こっていた火事を、城が燃えていると勘違いしたことで観念し、自刃したという話です。実際にこの地に立って市街地を眺めてみると、確かに城は見えにくいかもしれません。
会津さざえ堂(円通三匝堂・えんつうさんそうどう)
墓地へ戻って階段を少し下り、右側の売店の下にある細い道を行くと、「会津さざえ堂」があります。正式には「円通三匝堂」という名称です。1796年(寛政8年)に建築された仏堂で、国の重要文化財となっています。
拝観料をおさめて内部へ入ると、螺旋状のスロープで上り下りします。これが行きと帰りで同じ道を通らない、不思議な構造なのです。とある雑誌で特集された「死ぬまでに見ておくべき100の建築」の1つにも選定されています。内部の拝観料は、大人400円、高校生300円、小中学生200円となっています。
- さざえ堂
- 福島 / 建造物 / 観光名所 / パワースポット / 歴史的建造物
- 住所:福島県会津若松市一箕町八幡弁天下1404地図で見る
- 電話:0242-22-3163
- Web:http://www.sazaedo.jp/
傷を負った白虎隊が抜けてきた「戸ノ口堰洞穴(とのぐちせきどうけつ)」
さざえ堂を過ぎてさらに階段を降りると、神社奥に水の流れている池のような場所が見えてきます。ここにある洞穴が「戸ノ口堰洞穴」です。ここは猪苗代湖から会津若松への水を通すために開削された水路の出口で、猪苗代湖畔での戦いに敗れた白虎隊が、この洞穴を抜けて城の見えるこの地までたどり着いたといわれています。
この戸ノ口堰の水路は、江戸時代初期の1623年(元和9年)、会津藩2代藩主の時に工事が始められました。財政難などで何度か中断しましたが、時には私財を投じてまで工事を行い、改修や延長を続けて、鶴ヶ城(若松城)の城下まで水を届ける重要な水路となりました。苦労を重ねて水を得てきた人々の歴史を感じられます。
幕末の刀や弾の跡が残る「旧滝沢本陣」
飯盛山の麓にあり、参勤交代や領内巡検の時などに会津藩主の休息に利用された施設が「旧滝沢本陣」です。国指定史跡で、中でも主屋と座敷は国の重要文化財となっています。内部の見学は、大人300円、高校生250円、中学生150円、子供100円の料金です。なお、冬季の見学は予約が必要です。
内部には銃弾が貫通した跡や、刀の傷が残されています。幕末の戊辰戦争の時はここに陣が置かれていたためで、白虎隊もここで命を受けて猪苗代湖まで出陣していったとされている地です。茅葺き屋根の趣のある建物ですが、当時の戦闘の跡が生々しく残されています。
白虎隊の史跡など、見どころたくさんの飯盛山
飯盛山には他に「白虎隊記念館」や「白虎隊伝承史料館」といった資料館もあります。白虎隊に関心がある方が楽しめるのはもちろん、そうでない方でも、古建築や街の眺望といった魅力的なスポットを楽しむことができる飯盛山。ぜひ訪ねてみてください!