日本のみならず世界中で話題となったトルコの宮廷歴史ドラマ『オスマン帝国外伝』の舞台であるトプカプ宮殿のハレム。ハレムでの暮らしの様子を交えて、特に重要な部屋(間)と歴史的背景を徹底解説します。
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トプカプ宮殿のハレムとは
トプカプ宮殿はトルコ最大の都市イスタンブールの旧市街にある宮殿です。1453年にコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を攻略したオスマン帝国のメフメト2世が建設を開始し、オスマン帝国の政治と文化の中心として栄えました。ハレムは宮殿の一角にあります。ハレムはオスマン帝国のスルタン(皇帝)とその家族、妻、母皇后などが居住する特別な区域です。
ハレムの歴史的背景と生活
ハレムは16世紀のスレイマン大帝の時代に重要な機能を持つようになり、この時期からハレムは単なる居住空間から政治や権力の中枢の一部として機能するようになりました。ハレムでの生活は非常に規則が厳しく、階級制が存在していました。スルタンを頂点に、スルタンの母(ヴァリデ・スルタン)、スルタンの男児を出産した妃(ハセキ・スルタン)、その他側室、そしてそれぞれに仕える侍女、宦官が生活していました。
ハレムの建築構造
ハレムは多くの部屋と廊下から成り立っており、迷路のような複雑な構造になっています。時代が経つごとに増改築されたためこのような構造になっています。部屋は階層ごとに分けられており、位が高い人が住む部屋ほど豪華な装飾が施されています。外の世界とは断絶されているハレムには、憩いの場としての中庭がいくつかみられます。
奴隷寮
Koğuş(コウシュ)と呼ばれる部屋は、主に奴隷や侍女、宦官などが居住するための場所です。これらの居住区は、ハレム内で働く人々が集団で生活するための宿泊施設として機能していました。 大人数が共同で生活するための大部屋形式になっており、ベッドやその他の基本的な生活必需品が配置されていました。スルタンや高位の妃たちの部屋とは対照的に、装飾は控えめで、必要最低限の設備が整えられていました。
音楽学校
Meşkhane(メシュクハネ)は、ハレムの女性たちが音楽を学び、練習するための部屋です。この部屋は、ハレム内での文化的活動や教育の一環として重要な役割を果たしていました。有名な音楽家や教師がハレムに招かれ、女性たちに直接指導を行いました。これにより、ハレムの音楽水準は非常に高いものとなりました。メシェクハネでは楽器の演奏のほか、声楽の訓練も行われました。 女性たちはウード、カヌーン、ネイ、タンブールなどの伝統的なトルコ楽器の演奏を学びました。音楽は宮廷の催しや儀式で演奏されることが多くスルタンに直接お披露目をすることも多々ありました。
噴水の間
Şadırvanlı Sofa(シャドルヴァンル・ソファ)は17世紀にもたらされたキュタフヤ産のタイルで壁面が覆われた非常に華やかなホールです。ここはハレムの入り口にあたり、スルタンが外出するときはここで馬に乗って外出の準備をしたといいます。また宦官の監視所でもあり、宦官の部屋はアーチ型天井の上階部にありました。トプカプ宮殿のランドマークともいえる正義の塔にも、この噴水の間からアクセスすることができます。
ヴァリデ・スルタンの間
Valide Sultan Dairesi(ヴァリデ・スルタンの間)はスルタンの母(ヴァリデ・スルタン)が居住するための部屋です。ヴァリデ・スルタンはハレムにおける女性の中で最も地位が高い人物です。奴隷寮とは打って変わった豪華絢爛な装飾が施された部屋は、ヴァリデ・スルタンの権威を表しています。ヴァリデ・スルタンはハレム内で最も権力を持つ人物であり、時代によってはスルタンに勝る権力を握っていました。そのため、宮廷政治においても重要な役割を果たしており、宮廷の重要な決定がここで行われることもありました。政治面以外でも、 ヴァリデ・スルタンは、多くの訪問者やハレム内の女性たちを迎えることが多くあり、この部屋で公式な会見や私的な面会が行われました。
皇帝の間(スルタンの間)
Hünkar Sofası(ヒュンキャール・ソファス)はスルタンが使用する大広間です。スルタンは 16 世紀後半まで、メフメト2世によって建てられたハレムの外にある私密室に滞在していました。ムラト3世がハレムに最初のスルタンの部屋を建てた後、スルタンはハレムの自分の部屋で夜を過ごしました。スルタンが公式な会見を行うときにもこの部屋が使われることもあり、重要な儀式や会議もこの部屋で行われました。同時にスルタンの私的な空間であったこの部屋は、スルタンが家族や側近たちと集まって食事を楽しんだり、音楽や舞踏のパフォーマンスを楽しむための社交の場としても機能しました。
ムラト3世の間
III Murat Has Odası(ウチュンジュ・ムラト・ハス・オダス)はムラト3世が使用した部屋です。この部屋は、彼の個人的な居住空間およびプライベートな活動の場として設けられました。ハレムでスルタンのために建てられた最初のスルタンの部屋であり、宮殿で最大の寝室です。1578年にミマール・スィナンによって建てられ、 スィナンによって到達したオスマン帝国の建築と芸術の頂点と装飾の深い味わいを示しています。16世紀のイズニックタイルが大広間の壁一面を覆う壮大な構成となっています。
マーベイン回廊とギョズデの部屋
Mabeyn Taşlığı ve Gözdeler Dairesi(マベイン・タシュルー・ヴェ・ギョズデレル・ダイレスィ)はマーベイン(ハレムとハレム以外の宮殿を繋ぐスルタンのための部屋)に直結する回廊とそこに住むスルタンのお気に入りの側女(ギョズデ)のための居住区です。 ハレム内の様々な重要な部屋やエリアを結ぶ通路として機能しており、スルタンがプライベートな部屋からハレムの他の部分に移動する際に通ります。一方ギョズデはスルタンの特別な寵愛を受けた側室であり、ハレム内で特別な地位を持っています。大部屋形式ではなく個室が与えられて、家具や装飾も豪華なものが使われます。木造の建物で、中庭に面していくつもの部屋があるのが分かります。この部屋の中には病棟も含まれていました。
おわりに
ハレムには大小含め400ほどの部屋があります。しかし私たちが見学することができるのはそれらのうちのほんの一部です。公開されている部分が限られており、まだまだ謎に秘められた部分が多いハレム。改修工事が終わると、以前公開されていなかった部分が公開されたりもするので、一度ハレムを訪れたことがあるかたも、数年後にまた訪れてみると新たな発見があるかもしれません。(記事内の写真すべては筆者が2022年に撮影したものです)