1995年まで内戦状態にあったボスニア・ヘルツェゴヴィナ。東と西の文化が交わる美しい街・モスタルに残る内戦の記憶「スナイパータワー」では、紛争の悲惨さに直面した人々の未来への意志を感じることができます。
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1995年まで内戦をしていた国、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
今回ご紹介する「スナイパータワー」があるのは、ボスニア・ヘルツェゴビナの古都モスタル。山に囲まれた美しい街の中を流れるネレトヴァ川には、モスタルの繁栄と紛争の象徴であるスタリ・モスト橋がかかっています。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナは1993年〜1995年の間、ユーゴスラビアからの独立運動を契機とした内戦状態に突入し、このモスタルでも多くの人々が亡くなりました。
一見美しい街並みのいたるところで20数年前の戦いの形跡を垣間見ることができ、一般の家々の壁や柱にも、銃弾の跡が生々しく残っています。
内戦の象徴、スナイパータワー
モスタルの中心地から歩いて15分ほどの場所に、スナイパータワーと呼ばれる廃墟があります。内戦時、この建物の中にスナイパーが潜み、通りを歩く人々を次から次へと狙撃していたことからそう呼ばれています。
スナイパータワーは大通りに面している建物の中で唯一の高い建物で、素人目にもあそこからなら道行く人を狙いやすそうだなという印象を受けます。
元々はオフィスビルとして使われていたこのビルですが、スナイパータワーと化したことにより、ビルの前の道路にも、銃弾の跡がくっきり。ボスニアではこの銃弾の跡が当たり前のことなのか、通行人はいたって普通に弾痕の上を歩いて行きます。
スナイパータワーの中の様子
正面から裏へ回り、スナイパータワーの中へと入ってみましょう。壁の下には足場用にブロック片が置かれていて、誰でも自由に立ち入ることができるようになっています。
中は完全に廃墟となっており、床にはゴミや崩れた壁の破片などが散乱していました。
今にも崩れ落ちそうな階段を登って上階に上がることもできます。
上層階にはこの場所が内戦前には普通に使われていた場所であることが生々しく伝わってくる証拠もたくさん。当時の書類が散乱し、一部トイレなどの設備もそのまま残されています。
廃墟に描かれた平和の言葉とアート
紛争の象徴であるスナイパータワーの壁や床には、様々なメッセージやアートが描かれており、それらの中には平和を求め、二度と同じことを繰り返さないという人々の決意も見受けられます。その中から、いくつか紹介します。
「I HAVE TO KILL HER BOYFRIEND(私は彼女の彼氏を殺さなければならない)」
内戦の結果、多くの若者も命を落としたそうです。昨日まで隣同士で暮らしていた異なる民族が殺し合いを始めた結果、悲しい運命を辿った恋人達もたくさんいたそうです。
「RATE THIS PLACE @TRIPADVISOR (トリップアドバイザーで、ここを評価しよう:星三つ半)」
個人的に一番皮肉が効いているなと思った落書きがこちらです。綺麗なものを見るだけが旅ではないはず。歴史を知り、自分ごととして考えて初めて、その場所で起こった出来事を味わえるということではないでしょうか。
「Be a better person and the Universe will become a better place(善き人であれ。さすれば世界はより善き場所へとなるだろう)」
一人一人が、善人になるように努めれば少しはマシな世界になるのでしょうか。スナイパータワーは、静かにわたし達に問いかけてきます。
「HELP ME UP(私を起こして)」
倒れた壁と下から伸びてきた蔦を合わせたアート。描かれてから少し時間が経っているのか、蔦の一部は倒れてしまっていましたが、壁を必死に持ち上げているように見える蔦が、「絶対起き上がるぞ」というボスニアの人々の強いメッセージを表しているように感じます。
スナイパータワーは、新しい世界の見方に気づける場所
スナイパータワーの上部に登って際立っているのは、建物の外の世界との温度差です。今でも弾丸と砲弾の跡が残るスナイパータワーですが、すぐ目の前には、平和を取り戻した街の様子と青空が広がっています。
紛争のイメージが強いボスニア・ヘルツェゴヴィナですが、実際に訪れてみて感じるのは、これから自分たちの国を作っていくぞという人々の硬い意志。悲しい歴史を背負った人々だからこそ見せることができる未来への希望を、このスナイパータワーからも感じることができます。
美しい場所を訪れる旅もいいけれど、少し足を伸ばして、違った目線から世界を見渡して見るのも必要なことではないでしょうか。ボスニア・モスタルにあるスナイパータワーは、新しい世界の見方を教えてくれる、素晴らしい場所の一つです。