下鴨・北白川・平安神宮
下鴨・北白川・平安神宮観光
銀閣寺までつづく自然豊かな哲学の道のまわりに社寺が点在

くろ谷 金戒光明寺

くろたに こんかいこうみょうじ

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金戒光明寺の山門
市内を一望できる「山門」は天気の良い日には、大阪のあべのハルカスまで見渡せる山門上からの眺望は絶景です。

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金戒光明寺(黒谷さん)
新選組発祥の京都守護職跡

もともと法然上人によって浄土宗がひらかれた金戒光明寺。 幕末に京都守護職の本陣が置かれた場所として有名で、会津藩や新選組発祥の地として知られているほかにも、「五劫思惟阿弥陀仏」や、源平合戦の熊谷直実、平敦盛にちなんだ石碑等々

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熊谷直実の鎧掛けの松 金戒光明寺

熊谷直実が、法然上人を
尋ね、方丈裏の池で鎧を洗い、此の松に掛け、その後熊谷直実は出家をしました。

平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。武蔵国熊谷郷。熊谷直貞の次男。鎌倉幕府御家人。

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お江 (崇源院)

大阪の大融寺町の茶々さんのお墓に行きましたので、此処は矢張り、浅井長政の三姉妹のお江さんのお墓(供養塔)にお参りにとやって来ました。此処は京都市左京区の黒谷さん(金戒光明寺)に有ります。

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お江 (崇源院)

お江さんは徳川秀忠の正室で、浅井長政の三姉妹の末娘です。
姉に茶々・初が居ます。

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お江 (崇源院)

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金戒光明寺の石仏
石仏「五劫思惟阿弥陀如来坐像」

五劫思惟(ごこうしゆい)

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金戒光明寺の石仏
「五劫思惟阿弥陀如来坐像」

五劫思惟(ごこうしゆい)の阿弥陀仏は、通常の阿弥陀仏と違い頭髪(螺髪らほつ)がかぶさるような非常に大きな髪型が特徴です。
「無量寿経」によりますと、阿弥陀仏が法蔵菩薩の時、もろもろの衆生を救わんと五劫の間ただひたすら思惟をこらし四十八願をたて、修行をされ阿弥陀仏となられたとあり、五劫思惟された時のお姿をあらわしたものです。
五劫とは時の長さで一劫が五つということです。
一劫とは「四十里立方(約160km)の大岩に天女が三年(百年という説もある)に一度舞い降りて羽衣で撫で、その岩が無くなるまでの長い時間」のことで、五劫はさらにその5倍ということになります。
そのような気の遠くなるような長い時間、思惟をこらし修行をされた結果、髪の毛が伸びて渦高く螺髪を積み重ねた頭となられた様子を表したのが五劫思惟阿弥陀仏で、全国でも16体ほどしかみられないという珍しいお姿です。
落語の「寿限無寿限無、五劫のすり切れ」はここからきています。
金戒光明寺の五劫思惟阿弥陀仏は、特にめずらしく石で彫刻された石仏で、江戸時代中頃の制作と思われます。

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金戒光明寺の石仏
「五劫阿弥陀如来坐像」 

五劫思惟(ごこうしゆい)

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京都花手水 金戒光明寺

しかし、此の花手水を担当する花屋さんは花の入れ替えに大変だね😓

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京都花手水 金戒光明寺

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〰️Kyoto🇯🇵〰️
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