1453年、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール旧市街)を陥落させ、東ローマ帝国を滅亡させた「征服王」とも称されるオスマン帝国第7代皇帝、メフメト2世に関連するスポットをご紹介します。
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【1】ルメリ・ヒサル
古代ローマ帝国の難攻不落の都市といわれるコンスタンティノープルを陥落させるためには、まずはボスポラス海峡を制することから、と考えたメフメト2世は、現在のイスタンブールのヨーロッパの新市街側に巨大な要塞(ヒサル)の建造を命じました。
メフメト2世に仕えていた高官が競うように要塞内に塔を建てたので、各塔にはそれぞれの高官の名前が付けられています。ルメリ・ヒサルの対岸には、バヤジット1世が1395年に建造したアナドル・ヒサルがあります。
【2】エディルネカプ
東ローマ帝国の帝都コンスタンティノープルを、海側からではなく陸側から攻め落としたメフメト2世は、帝都を囲むテオドシウスの城壁のエディルネカプという門から市内に入場しました。
エディルネカプは、イスタンブール旧市街の北西に位置する門で、エディルネカプ駅下車後にすぐに見える城壁にある門です。近くにはスレイマン大帝の娘ミフリマーが建てたモスクがあります。
【3】アヤソフィア
市内に入場したメフメト2世が向かったのは、コンスタンティノープルにあるギリシア正教の大本山として崇められていた大聖堂、アヤソフィアでした。ローマ帝国のみならずキリスト教世界の信仰の中心の場であったアヤソフィアを、メフメト2世はイスラム教の寺院(モスク)にすると宣言しました。
トルコ共和国の時代になるとアヤソフィアは博物館として一般公開されるようになりましたが、2020年7月より、再びモスクとされ、現在に至ります。
- アヤソフィア
- イスタンブール / 建造物 / モスク
- 住所:Ayasofya Meydanı 1 34122 Cankurtaran İstanbul Turkey地図で見る
- Web:https://muze.gen.tr/muze-detay/ayasofya
【4】グランド・バザール
メフメト2世は、アヤソフィアを代表とするイスラム宗教施設の運営費を賄うために市内に多くのバザールを造りました。最も有名なものは1457年頃から造り始められたグランド・バザールです。
メフメト2世が造った際は、イチ・ベデステンとサンダル・ベデステニという小さな市場でしたが、のちのスレイマン大帝の時代にさらに拡大され、現在では中東最大規模の屋根付き市場として知られるようにまでなりました。
- グランド・バザール
- イスタンブール / 市場・朝市
- 住所:Fatih, Beyazıt Mh.地図で見る
- Web:http://www.kapalicarsi.com.tr/
【5】ファーティフ・モスク
コンスタンティノープルを陥落させた偉業から、メフメト2世はファーティフ(征服者)という異名で呼び親しまれました。彼は自らの権力を示すために、ローマ帝国の皇帝が眠る聖使徒大聖堂があった場所に自らの名をとったファーティフ・ジャーミィ(モスク)を建設させました。
モスクの周囲には、キュッリエという複合施設も設置しました。複合施設の中にはメドレセという神学校も設けられ、帝国内の各地から人々を集めよせ、イスラム教育を施すとともに、イスタンブールの人口の回復も促したのです。
敷地内にはメフメト2世の霊廟もあり、現在も多くの人が訪れ、魂の平安祈っています。
- ファーティフ・ジャーミィ
- イスタンブール / モスク
- 住所:Ali Kuşçu Mahallesi Hattat Nafiz Cd. No:6 34083 Fatih/İstanbul地図で見る
【6】トプカプ宮殿
メフメト2世は、現在のグランド・バザールの近くに宮殿を造りましたが、のちにトプカプ宮殿を建造し、オスマン帝国の文化や政治の中心としました。
スルタン(オスマン帝国の皇帝)が代わるたびに増改築されたこの宮殿は迷路のような構造になっており、新市街にドルマバフチェ宮殿が完成するまで、スルタンやその家族が住まいました。現在は博物館として一般公開されています。
おわりに
メフメト2世に注目してイスタンブールの街並みを眺めてみると、この街を代表するあらゆる歴史的建造物が彼に由来していることに気づかされます。そしてその多くは、世界遺産に登録されているイスタンブール旧市街(歴史地区)にあります。イスタンブールを散策するときは、メフメト2世に関連する歴史スポットに注目しながら、この街の奥深さを味わってみてはいかがでしょうか。