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日朗が幽閉された土の牢
土牢に続く道
花のお寺として穏やかな雰囲気の光則寺ですが、境内の奥には歴史に揉まれた人々の痕跡を残すように土牢があります。
山門側から見て、境内の右奥にある石段を進んでいきます。
石段を登っていくと、先ほどまで花を愛でていた本堂の高さをぐんぐんと追い越し、すっかり本堂の屋根が見える高さまで登ります。土牢は光則寺の裏山にあるという感じで、しばらく登って振り返ると、完全に光則寺の庭園が見渡せてしまいます。
階段を登りきると「日朗」が幽閉されていたと言われる土の牢が現れます。
非常に大きな牢です。土というより岩をくり抜いたような牢で、がっしりとした太い角材でその入り口をふさいでいます。土牢の中は、ところどころ壁面がくずれたのか、床に砕けた石が転がっていて、荒れた雰囲気です。
土牢の歴史
この荒涼とした牢に閉じ込められていたのは「日朗」という人でした。
日郎は、日蓮宗を興した「日蓮」の弟子でした。幽閉されたきっかけは、日郎本人の非によるものではなく、日蓮に端を発する事件からでした。
日蓮は、鎌倉時代に「立正安国論」という書をかきあげます。当時幕府で働いていた「宿屋光則」という人に、この書を渡し、幕府を動かしていた北条時頼に「ぜひ渡してほしい」とお願いします。
しかし、この書がきっかけで、日蓮と日朗の不幸が始まります。実は立正安国論は、この時代に既に浸透していた浄土教を批判したもので、これが世間の怒りを買ってしまうのです。
世間の怒りをかった日蓮は、とらえられ島流しとなりました。日蓮から「書を北条時頼に渡して」と頼まれた宿屋光則が、監視役として日朗の身をあずかることになりました。
その時に、日朗を幽閉したのがこの土牢です。土牢に日朗を幽閉し監視するという立場の宿屋光則でしたが、日朗と交流を深めるうちに、日朗を慕うようになりました。
時がたち日朗が許されると、宿屋光則は自分の土地に寺を建立し、日朗を迎えいれました。それがここ光則寺です。
宿屋光則が建立したから「光則寺」なのですね。ちなみにこの辺一帯のことを「宿屋」とも言います。宿屋光則の当時のこの地における影響力がうかがい知れますね。
宿屋光則と石碑群
それでは土牢を後にして、来た道を戻りましょう。途中には宿谷光則のお墓もあります。戻りつつ、このお寺を興した宿谷光則にも手をあわせていきましょう。
山門の前には、光則寺が宿屋光則の家であったことを示す石碑が建っているんですよ。お帰りの際にぜひ見てみてくださいね。
こんなふうに光則寺は、過去の出来事を石碑として随所に残しているのも特徴です。
土牢の傍らには、日蓮が日朗に送ったといわれる手紙「土牢御書」の石碑が建てられています。離れていても弟子を思いやる、日蓮の気持ちが伝わってきますよ。
本堂前には、立正安国論を北条時頼に渡したとされる経緯が記された石碑も立っています。
参拝客に花を愛でるだけでなく、この光則寺に刻まれた歴史もしっかりと知ってほしい-と言う気持ちが伝わってきますね。
庭園と池
土牢の歴史を学んだあとは、もう一度光則寺の自然を楽しんで、この旅を締めるとしましょう。
土牢から境内に戻ると、庭園と池のあるエリアがあります。
景観美にこだわる光則寺では、池がよく眺められるように、池をぐるりと囲んだ小道が作られています。しかも、奥に従って高くなっているので、いろんな高さから楽しめるんですよ。本当にどこまでもこだわりを感じさせる庭園づくりに感動してしまいます。
池のまわりの小道を歩いていると、ところどころ自らの季節を終えた花びら達が、足元に散っているのが見えます。こんなところも花の寺ならではという感じの風情で、やっぱりまた来たい!と思ってしまいます。
足元だけではなく頭上では、土牢のある裏山の木々と、光則寺の草木に誘われて、鎌倉の鳥たちが青い空の中を軽やかに飛んでいく姿も見えます。なんだか贅沢な時間だなあ~と唸る景色を満喫できますよ。
おわりに
いかがでしたか?鎌倉の花の寺「光則寺」。
落ち着いた所にあるので、一人でゆっくり静かな時間を楽しむも良し。とっても多くのお花があるので、お花好きの方を誘って季節を楽しむのも良し。
自分にあった楽しみ方で光則寺を散策してみてくださいね。