沢山の寺院が並ぶ鎌倉の中で、鎌倉幕府が定めた鎌倉五山に名を連ねる「寿福寺」。鎌倉幕府の中核を担った北条政子のお墓があるなど、鎌倉を興した人々に多くのゆかりがある場所でもあります。寿福寺を訪れる前に、政子の人となりや、寺との関係を知っておくと、散策の楽しみ方がぐっとUPしますよ。また寿福寺では、私たちの生活に欠かせない意外なモノとの繋がりや、鎌倉ツウなら見ておきたい鎌倉一の美しさを誇る石畳なども、押さえておきたいポイントです。本記事では普段なかなか見ることができない、限定公開の場所もご紹介します。
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隠れ寺「寿福寺」とは?
寿福寺は、神奈川県鎌倉市にある禅寺です。鎌倉には数多くの寺院がありますが、その中でも、鎌倉幕府によってオフィシャルに制定された「鎌倉五山」と呼ばれるお寺があります。
鎌倉五山は、名が示すとおり5つあり、「第1位 建長寺」「第2位 円覚寺」「第3位 寿福寺」「第4位 浄智寺」「第5位 浄妙寺」と位と共に制定されました。
ここ寿福寺は第3位のお寺で、鎌倉幕府を起こした源一族と、私たちの生活に欠かせないあるモノに、とってもゆかりのあるお寺なおんです!
では、どういったゆかりがあるのかご紹介していきましょう!
源一族ゆかりのお寺
寿福寺のあるエリアは、もともとは鎌倉幕府を興した源頼朝のお父さんのお屋敷がありました。
頼朝が鎌倉にやってきたときに、お父さんのお屋敷があった場所に家を建てよう!(つまりここに幕府を興そう)と思いましたが、この場所は既にお父さんの菩提を弔うためのお堂があったのだそう。そして、幕府を構えるには少し土地が狭かったので、別の所にしたのだそうです。
ただ、この土地への思いは受け継がれ、頼朝が亡くなると弔いのために、妻の北条政子がこの地にお寺を創建しました。
創建当時は七堂伽藍(しちどうがらん)の立派なお寺でした。この四文字熟語みたいな「七堂伽藍」とは、お寺に主要な建物がある、という状態を表す言葉です。
きっと当時は、お坊さんが勉強する場所、住居、食堂、トイレなどのお堂が境内に建ち並んでいたのでしょう。残念ながらその歴史の中で、お堂は火災により焼失してしまいました。現在建っているお堂は、江戸時代に再建されたものです。
お茶ゆかりのお寺
そしてここは、もう一つのゆかりがあるお寺でもあります。
鎌倉は禅宗が盛んな土地でした。ですが、禅宗は鎌倉以外の地域では、まだまだ受け入れられていないものでした。その時代に、「禅宗を世に広めることが、国家が栄えるのには重要ですよ。」と世に説いた人がいます。
明菴栄西という人で、禅宗を広めようと発したことから、既に栄えていた従来のお寺から非常に強い反発にあいます。そのため、禅宗を受け入れていた鎌倉に逃れざるを得ませんでした。
この栄西を鎌倉で温かく迎え入れてくれたのが北条政子です。タイミング的に、栄西は寿福寺の住職につくことになりました。
ちなみに、この栄西という人。私たちの生活にとっても欠かせないモノを日本に広めてくれた人だって知ってますか?
実はお茶を日本に伝来させた人なのです。中国で修業していた栄西は、日本に帰ってくる際にお茶の種を持ち帰りました。これが日本各地に広まっていったと言われているんですよ。お茶の作り方、効能などを書いた書物も残してくれているので、私たちのお茶文化を作ってくれた人なんですね。
難易度の高い「寿福寺」
寿福寺はなかなか難易度の高いお寺として知られています。理由は、特別公開の時期を除いて、公開されるエリアはごくわずかだから!!
でも鎌倉五山第3位にふさわしい厳かさを漂わせているので、鎌倉を深いところまで知ってみたい!という人はぜひチャレンジしてみるべきお寺でもあります。
今回は、通常いつでも見ることができるエリアに加えて、特別公開エリアもご紹介します。まずは、通常エリアからご紹介しましょう。
鎌倉一の美しさを誇る石畳
寿福寺の前の道路から、少し奥まったところに総門があります。
総門からは次の門である中門まで、まーっすぐに参道が伸びています。両サイドには、高い木々が、頭上からの陽光をやわらげてくれています。自然に守られるように、厳かなお寺への参道が続いています。
何か、普通のお寺に比べて明らかに異なる気品が漂っています。
何だろう?とその正体を確かめるようにじいっと観察してみると、そのまっすぐ続く石畳がとってもキレイなことに気づきませんか?
実はここ、鎌倉で「最も美しい石畳」と言われているのです。この独特な形状は、桂敷きという技法のもの。両サイドの秩序だった平な石畳に守られるように、中央のアクセントとなる石畳が印象的ですね。
さあ、鎌倉一美しい石畳をゆっくり歩いていきましょう。ここ寿福寺は鎌倉の繁華街から少し離れているので、人々の生活の物音からも遠く、静寂に包まれています。
鎌倉五山の荘厳さをじっくりと、自分のペースで静かに楽しめるのが寿福寺の素晴らしいところ。静寂にちょっとしたアクセントを加えるように、頭上では小さな鳥たちがバサバサと楽しそうに小枝を揺らしています。
中門が見えてきました。中門には「寿福金剛禅寺」と寺号が掲げられています。
な・ん・と、一般公開で見られるエリアはここまでです!!参道だけしか一般参拝できないという、思わず「え~っ!」と声を出してしまうほどのストイックさ。
でもなぜか気になる、閉ざされているからその先に行ってみたくなる、そんな通の心をくすぐるお寺でもあります。
境内のエリアで一般公開されているのは中門までですが、裏山の墓地も一般公開されていますので、一旦そちらに周ってみましょう。
墓地までの道
中門のすぐ左側にある境内出口から、一旦道路に出ます。
境内のすぐ後ろには、立派な竹林が青々と茂っています。
この竹林を右手に、坂道をずんずん登っていくと、突き当りにゴツゴツした岩があらわれました。ここは墓地へ続く階段があるのですが、現在通行止めとなっています。
施錠された岩場の左側に並行するように道路があるので、そこをぐんぐん行くと、お墓が見えてきます。
現代の四角いお墓を囲むようにして、山の岩肌に横穴を掘るように沢山のやぐらが作られています。
数々のやぐらが並ぶ最奥に、寿福寺の創健者である北条政子のやぐらがあります。