レプティス・マグナは、リビアの首都トリポリの東約120kmに位置する古代ローマの都市遺跡です。この都市は紀元前10世紀にフェニキア人によって築かれ、レプティス出身のローマ皇帝セプティミウス・セウェルスの治世に多くの壮麗な建築物が建設された壮大なローマ遺跡です。
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レプティス・マグナの歴史
レプティス・マグナは、リビアの地中海沿岸トリポリの南東120kmに位置する古代ローマ時代の考古学遺跡です。もともと「レプティス」という名称でしたが、チュニジアに同名の都市があったこと、また町があまりにも繁栄したため「マグナ(偉大な)」が加えられました。
町の起源は紀元前10世紀。現レバノンのティルスやシドンのフェニキア人によって建設されたものがベースとなっています。この頃、ワディ・ラブダ河口の天然の港により、地中海およびサハラ砂漠を横断する主要な貿易の要衝として成長し、肥沃な沿岸地域の農業生産の市場となりました。その後、紀元前6世紀末にカルタゴ人が定住し、さらに紀元前46年にローマ帝国に編入されます。
193年、レプティス・マグナで生まれ育った「セプティミウス・セウェルス」がローマ皇帝(在位紀元193-211年)になると、彼は故郷の都市開発に多額の投資を始めます。セウェルスが故郷に惜しみなく注ぎ込んだ富により、レプティス・マグナはアフリカ大陸でカルタゴとアレクサンドリアに次ぐ最も重要なローマ都市の1つとして変貌しました。現在この地に残っている建造物のほとんどはローマ時代のセプティミウス・セウェルスの治世に遡ります。
その後、数世紀にわたり国境の不安定化が進みますが、363年の壊滅的な侵略とローマ帝国の経済的困難が深刻化したことでレプティスは衰退し始めます。642年のアラブ人の征服後、レプティスの都市中心地としての地位は事実上失われ廃墟となりました。そして、大部分は砂漠の砂に埋もれます。
砂に埋もれたままだったレプティス・マグナは1920年代、古代遺跡都市としては驚くほど良い保存状態でに発見されます。そして当時、リビア考古学庁とイタリアの考古学者のグループが遺跡の保存と研究に取り組み、以来、世界で最も美しいローマ建築の「歴史的宝石」といわれ称賛されています。
尚、1969年から2011年までのカダフィ政権下では、リビアにほとんど観光客はいませんでした。1982年にユネスコ世界遺産に指定されたのち、2003年になってようやく初めての観光ビザ発行を開始しましたが、2011年にNATOが反乱軍を使ってカダフィ政権を倒し、国を何年にもわたる混乱に陥れたこともあり、再び観光客がこの地域を訪れることが禁止されました。このため現在に至っても、この遺跡はリビア国外ではほとんど知られていませんでした。
2024年3月末よりリビア政府によってe-VISAの発行が始まり、再びリビアに観光客が戻り始めています。それでは、リビア最大の見どころレプティス・マグナをご紹介します。
レプティス・マグナの歩き方
20世紀初頭まで砂に埋もれていたレプティスは、リビアに対する欧米のさまざまな侵略にもかかわらず比較的良い状態で遺っています。特に市場、バシリカ、フォーラム、円形劇場、凱旋門は、地中海で最も保存状態の良いローマ遺跡の一つです。
セプティミウス・セウェルスの凱旋門(The Arch of Septimius Severus)⑤
ビジターセンターをから遺跡へ向かうと最初に見えてくるのがセプティミウス・セウェルスの凱旋門です。
198年、ローマ皇帝セプティミウス・セウェルスが東の大国パルティアに勝利したことを記念して建造されました。
4つのアーチを持つ四面門は、北アフリカとオリエント建築様式が混在し、セウェルスとその家族の壮麗さを表現するレリーフが刻まれています。
また、柱頭に植物文様のあるギリシャのコリント式が使用されていて、さまざまな文化が一つの建築物に見られるのが特徴です。
劇場(Theater)⑥
レプティス・マグナの劇場は、古代ローマ時代の壮大な建築物の一つです。
この劇場は紀元前1世紀に建設され、約1万5千人を収容できる規模を誇ります。劇場は半円形の観客席と舞台から構成されており、当時のローマ建築の技術と美学を示しています。
劇場の遺跡は現在も良好な状態で保存されており、訪れる観光客にとっては必見のスポットです。
特に、劇場の背後に広がる地中海の景色は圧巻です。
トリオンファーレ街道(Via Trionfale)⑦
セプティミウス・セウェルスの凱旋門から続く海沿いの古いフォーラムへ続く街道です。
市場(Market)⑨
レプティス・マグナの市場は、古代ローマ時代の商業活動の中心地でした。この市場は、都市の経済活動の重要な拠点であり、食料品や日用品、工芸品などが取引されていました。紀元前8年ごろ、この街の富裕層であったハンニバル・タパピウス・ルファスによって建設されたことが、ここにある二つの碑文に新ポエニ語で記されています。商店や倉庫の跡が残っており、当時の商業活動の様子を垣間見ることができます。柱廊の3つでは食料品、穀物、オリーブオイル、ワインなどを販売していた形跡があります。特にこの辺りはオリーブの産地で、オリーブオイルは産業の一角だったそう。
建物の多くは精巧に装飾され、魚屋台にはイルカやグリフィンの彫刻がありました。こちらには船の装飾がされています。
中央市場の屋台は2つの円形の建造物があり、八角形の土台に円形上のイオニア式の柱が並んでいます。
これらの屋台は配膳カウンターが備えられており、中央には水を張って生きた魚を保管し新鮮な魚を売っていたようです。
こちらは、計量カウンターが置かれています。様々な大きさの穴が開いた石板は、様々な重さのシリンダーが入っており、液体の計量のため使用されていました。
また、市場の周辺には公共広場やフォーラムもあり、都市の社会生活の中心地として機能していました。
カルキディクム(Chalcidicum)⑩
カルキディクムは、古代ローマの建築物の一部で、通常はバシリカやフォーラムに付随する列柱廊やポーチを指します。レプティス・マグナのカルキディクムは、都市の重要な公共空間の一部を形成していました
パレストラ(Palaestra)⑬
パレストラは、古代ギリシャ形式のトレーニング場で特に男性が体を鍛えるために使用されました。柱廊に囲まれた運動場とその周囲に浴場や更衣室、談話室を備えています。現代のFittnesのようなものでしょうか。日々、体を鍛えていた古代人の様子が浮かびます。
パレストラは、ギリシャ語の「gymnos(裸)」に由来し、運動を行うための開放的な空間を意味します。ここでは、レスリングやボクシングなどの競技が行われ、市民の健康維持や社交の場として重要な役割を果たしていました。
ハドリアヌス浴場(Hadrianus Baths)⑭
レプティス・マグナのハドリアヌス浴場(Hadrianic Baths)は、古代ローマ時代の壮大な公共浴場の一つです。この浴場は、ローマ皇帝ハドリアヌスの治世に建設されました。
浴場は、典型的なローマの浴場の設計に従っており、冷水浴(フリギダリウム)、温水浴(テピダリウム)、熱水浴(カリダリウム)などの異なる温度の浴槽が配置されています。社交やリラクゼーションの場として機能していました。
トイレ
現代の洋式トイレの原型ともいえるトイレです。この下は常時、水が流れるよう設計されており、古代の水洗トイレともいえると思います。
ラコニカ(laconica)
ローマ・テルマエの乾いた発汗室です。日本でいうサウナようなもの。ミストサウナのように水蒸気を含んだ仕組みの部屋もあったようです。
セウェルス・フォーラム(Severan Forum)⑯
セウェルス・フォーラムは、レプティス・マグナの中心的な公共広場で、セプティミウス・セウェルス帝の治世に建設されました。このフォーラムは、都市の政治、商業、社会活動の中心地として機能していました。ローマ皇帝となったセプティミウス・セウェルスは、自らの故郷レプティス・マグナをローマに匹敵する壮大なスケールで建築事業を計画し、その規模と壮大さにおいて本拠地ローマのフォーラムさえ凌駕していました。壁で囲まれたこの建物は、幅100メートル。奥行60メートルで、三つの側面には背の高いアーケード付きの柱廊があり、商店や玄関が置かれていました。
玄関となる部分はチポリン大理石の円柱アーチで造られ、その上にペンテリックス大理石が載せられていました。ペンテリックス大理石はギリシャにあるパルテノン神殿に使用されたものと同じ大理石です。
フォーラムの遺跡には、美しいメドゥーサのレリーフが数多く残っており、各アーチにはゴルゴンとスキュラのメダリオン飾られていました。ゴルゴンはギリシャ神話の怪物で、海神フォルキスとケトの3人の娘ステンノ、エウリアレ、メドゥーサのことをいいます。
こちらはセウェルス広場にある神殿です。恐らくセウェルス家に捧げられ、神殿の建物を載せた基壇は広場から6メートルの高さにあり、27段の階段で到達してフォーラム全体を見下ろすことができました。神殿自体はアスワン産の赤い花崗岩の柱で造られ、人間と巨人の戦いを描いたレリーフが彫られた白い大理石のアーキトレープを支えていました。
列柱⑱と神殿(ニンファエウム)⑲
レプティス・マグナのニンファエウム(Nymphaeum)は、水の妖精ニンフを祀るための泉や神殿です。この施設は、古代ローマ時代に建設され、かつては美しい噴水があり、人々が涼を求めて集まる場所でした。
ニンファエウムは、装飾が施された建物で、2階建ての構造を持っていたことが分かっています。壁には神像やレリーフが飾られており、当時のローマ建築の美しさを伝えていました。列柱のある通りと神殿(および噴水)は、この町で印象的な建造物です。これらは、3世紀にセプティミウス・セウェルスが故郷を訪れたことを記念して建設され、現在のローマより以東のどの噴水や列柱通りにもここに匹敵するものはなかったそうです。
また、セプティミウス・セウェルスは、中心街からレプティス・マグナの港に至る記念碑的な道路として、ハドリアヌス浴場近くの広場で終わる列柱通りの建設を命じました。この通りの設計は、セプティミウス・セウェルスのシリア人の妻、ユリア・ドムナが考案したとされています。
列柱通りは、幅20.5メートルの道路の両側に125本の白いシポリン大理石の柱を立て、その長さは400メートル近くに渡りました。
オールド・フォーラム(Old Forum)㉓
オールド・フォーラムは、セウェルス帝のフォーラム一部として建設された建物の一つです。ローマ帝国のキリスト教化が進む中で、古代ローマの公共広場を教会として再利用したり、商取引所や裁判所としても使われていたバシリカもあります。バシリカは、216年 (セウェルス帝の死後5年後) に息子のカラカラによって献堂されました。レプティスで建設された最も壮大な建物の1つでした。長さ160メートル、幅69 メートルのこの建物は、3廊式の列柱ホールです。
第二次世界大戦中、イギリス空軍はここにレーダー基地を建設しようとしましたが、イギリスの考古学者であるモーティマー・ウィーラー大佐とジョン・ワード・パーキンス少佐の介入によりこの場所は救わたのだそうです。そこで発見された芸術作品の多くは、近くのレプティス・マグナ博物館やトリポリの歴史博物館であるアル・サラヤ・アル・ハムラ(城)に展示されています。
(2024/5時点でレプティス・マグナ博物館は閉館中)
ビザンティン・ゲート(Byzantine Gate)㉗
レプティス・マグナのビザンティン・ゲートは、東ローマ帝国(ビザンティン帝国)時代に建設された門です。
この門は、都市の防御を強化するために建設され、レプティス・マグナの重要な出入口の一つとして機能し、厚い城壁と堅固な構造を持ち、侵入者から都市を守る役割を果たしていました。
ビザンティン・ゲートは、現在でも、その遺跡は良好な状態で保存されており、当時の防御建築の技術と技巧の素晴らしさを感じさせる落とし石のゲートはどの角度から見ても直角です。
セウェルス・バシリカ(Severan Basilica)㉘
セウェルス・バシリカは、レプティス・マグナの最も有名な建築物の一つです。このバシリカ(裁判所や集会所として使用された建物)は、セプティミウス・セウェルス帝の治世に建設され、都市の再開発プロジェクトの一環として建てられました。
ローマのトラヤヌスのフォルムをモデルにしており、長さ92メートル、幅38メートル、高さは30メートルの巨大な建物です。エジプト産の紫色の花崗岩で作られた円柱で区切られた三つの身廊(ナーヴ)に分かれています。両端にはアプス(半円形の祭壇)があり、裁判や公的な集会が行われていたと考えられています。
フォーラムには、壮大なバシリカや神殿があり、特にセウェルス帝の巨大な神殿が有名です。この神殿は、エジプト産のピンク色の花崗岩を使用した豪華な円柱で飾られていました。(2024/5現在は立入禁止)
柱の上にあるアーキトレープには、セプティミウス・セウェルスの統治下での着工と、息子のカラカラ帝による206年の完成が刻まれています。メインホールの両端にある後陣は、両側の柱に美しい彫刻が施されています。
このバシリカは当初、レプティス・マグナの最も重要な政治的建築物でしたが、4世紀ビザンチン帝国の時代に教会として使用され、聖母マリアに捧げられました。南の後陣に祭壇が追加され、隣接する部屋には洗礼堂とプールが追加されています。
トラヤヌス帝の凱旋門
セウェルスが皇帝となる以前、ローマ皇帝トラヤヌス(在位紀元98-117年)は、レプティスをコロニアル(完全な市民権を持つ共同体)に指定しています。この凱旋門は、レプティス・マグナ出身のローマ皇帝セプティミウス・セウェルスが、トラヤヌス帝に敬意を表して建設を命じました
円形闘技場(Amphitheatre)
円形闘技場は、162年にマルクス・アウレリウス帝の時代に建設され、約1万6千人を収容できました。この闘技場では、剣闘士の戦いや猛獣との戦いが行われ、多くの市民が熱狂しました。
競馬場
古代ローマ時代の壮大な競馬場(ヒッポドローム)です。この競馬場は、戦車競技や馬術競技が行われる場所で、約2万人を収容できる規模を誇っていました。都市の東側に位置し、海岸の傾斜を利用して建設されています。観客は、ここで迫力ある競技を楽しむことができました。
レプティス・マグナの行き方
2024/5時点、個人旅行による外国人単独入場は難しいです。現地ツアーを利用してドライバーとガイドと一緒に行くことをお勧めします。
首都トリポリ発着のツアーは100~300US$まで様々あります。筆者の選んだツアーはこちら。95US$(およそ15,000円) ガイドの造詣が深いうえ、とても親切です。
リビアへの行き方
日本からリビアへの直行便はありませんので、近隣エジプトのカイロか、トルコのイスタンブルを経由して行きます。
リビのビザは現在こちらよりオンラインでe-VISAの取得が可能です。e-Visa取得方法を書いていますので、もしよければこちらもご参考にしてください。