高村光太郎の妻、智恵子の生家が、福島県二本松にひっそりと佇んでいます。智恵子が愛した故郷二本松は、今も昔のままの姿。多感な智恵子を育んだ安達太良の自然や周辺の散策スポットをご紹介。二人の深い夫婦愛に触れてみませんか?
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高村光太郎&智恵子夫妻とは?
幼い頃から成績優秀で芸術的感性を発揮していた智恵子は、明治44年、平塚らいてうによって創刊された初の女流文学雑誌『青鞜(せいとう)』の表紙を担当します。
その年の暮れ、詩人であり、歌人、彫刻家、画家でもあった高村光太郎と出会い結婚しますが、46歳の夏に統合失調症の兆候が現れ、以降入退院を繰り返しながら53歳の時に肺結核で亡くなります。智恵子亡き後、光太郎が、詩集『智恵子抄』を刊行。そこに描かれた深く純粋な夫婦愛が、多くの読者に感動を与えました。
【1】智恵子大橋
『智恵子抄』の「樹下の二人」に書かれた「あれが阿多多羅山(あだたらやま)、あの光るのが阿武隈川」の風景が一望できる場所に智恵子大橋がかけられています。
黒御影石の上部には、智恵子が晩年、よく折っていた折鶴をかたどったオブジェが飾られています。晴れていれば、智恵子が愛した「ほんとの空」に出会えるかもしれません。
【2】智恵子の生家
自分の人生を自分の意志で選び、ひたむきに真実を求める女性だった智恵子。彼女が育ったのは、自然に育まれた二本松の造り酒屋でした。
復元された生家には、新酒の醸成を伝える杉玉が下がり、豪商であった様子をうかがい知ることができます。2階には、智恵子の部屋も。
【3】智恵子記念館
生家とあわせてぜひご覧いただきたいのが、生家の裏手にある智恵子記念館。ここには、雑誌『青鞜』の表紙のデザイン画をはじめ、晩年、病に侵された智恵子が没頭した紙絵作品がエピソードと共に展示されています。一進一退する病と、それに呼応するように生まれる作品。そんな中でも根底にある夫への変わらぬ愛が伝わってきます。智恵子の純真無垢な精神から紡ぎ出された作品の数々は感動ものです。
- 智恵子の生家・智恵子記念館
- 福島 / 博物館 / 女子旅
- 住所:福島県二本松市油井字漆原町36地図で見る
- 電話:0243-22-6151
- Web:http://www.city.nihonmatsu.lg.jp/page/page001066.h...