世界中で人気を博し、2020年8月に日本でシーズン4の放送が始まったトルコの宮廷歴史ドラマ『オスマン帝国外伝』。ドラマの舞台であるトルコのイスタンブールで、皇女ミフリマーに関連するスポットをリサーチしました。
この記事の目次表示
【1】幼少期を過ごした「トプカプ宮殿」
ミフリマーは1522年頃、時の皇帝スレイマンとヒュッレム妃とのあいだに生まれました。スレイマン大帝とヒュッレム妃のあいだにはミフリマー以外の子供もいましたが、ミフリマー以外は全員男の子でした。
唯一の娘として、スレイマンから大変可愛がられたというミフリマーは、幼いころはヒュッレム妃に連れられてトプカプ宮殿のハレムで時間を過ごしました。
メフメト2世がトプカプ宮殿の建設を開始した当初、ハレムは現在のベヤズット地区の旧宮殿にありましたが、スレイマン大帝の時代にハレムがトプカプ宮殿に移されました。豪華絢爛な皇帝の間には、父を訪れるためにきっとミフリマーも足を踏み入れたことでしょう。
【2】17歳で結婚!夫のモスク「リュステム・パシャ・ジャーミィ」
1539年、ミフリマーは17歳のときにリュステムと結婚します。ヒュッレム妃の息子たちのうちの誰か一人を次代のスルタンにするためには、大敵であるマヒデブラン妃とその息子ムスタファの勢力を抑える必要がありました。そのためには自分の娘ミフリマーとリュステムを結婚させて、国政を影ながら操作する必要があったのです。
リュステムは、ミフリマーと結婚したことによりスレイマン大帝の「義理の息子(ダマト)」になり、大宰相という地位にまで登りつめることに成功しました。その権力を証明するために建てさせたモスクが、エミノニュ地区にある「リュステム・パシャ・ジャーミィ」です。
- リュステム・パシャ・ジャーミィ
- イスタンブール / モスク
- 住所:Rüstam Paşa Hasırcılar Cd. No:62 34116 Fatih/İstanbul地図で見る
【3】イスタンブールにモスク建設を指示!「ミフリマー・スルタン・ジャーミィ」
当時、オスマン宮廷には専属の建築家がいました。その長を務めていたのが、のちにトルコ史上最高と評されるミマール・スィナンです。ミフリマーは、スィナンにモスクとそれにともなう複合施設を街に建設するように命じました。そうして1548年に完成したのが、アジア側のユスキュダルにあるモスク、1570年に完成したのが旧市街の西端エディルネカプにあるモスクです。
ミフリマーはペルシア語で「月の光」を意味します。どちらのモスクも、ミフリマーの女性らしさを表現しつつも、皇女という権力の強さをも感じさせるデザインです。また、スィナンの想像力の豊かさ、年々増す技術の高さも感じることができるモスクです。
- ミフリマー・スルタン・ジャーミィ(ユスキュダル)
- イスタンブール / モスク
- 住所:Mimar Sinan Mahallesi 34664 Üsküdar/İstanbul地図で見る
- ミフリマー・スルタン・ジャーミィ(エディルネカプ)
- イスタンブール / モスク
- 住所:Karagümrük Mh. 34091 Fatih/İstanbul地図で見る
【4】ミフリマーが眠る「スレイマニエ・ジャーミィ」
異母兄弟のムスタファの処刑や、弟ジハンギルの死、母ヒュッレム妃の死、夫リュステムの死、弟バヤジットの処刑など、相次いで身内を失くしたミフリマーは、スレイマン大帝のそばについて、皇帝の晩年におけるよき相談役になり、ヒュッレム妃に代わって帝国の政治にも干渉しました。スレイマン大帝が亡くなった1566年から12年後にミフリマーも他界し、人生に幕を閉じました。
ミフリマーの棺は、スレイマン大帝のためにスィナンが建てた「スレイマニエ・ジャーミィ」の敷地内の霊廟に置かれています。スレイマン大帝には多くの子息がいましたが、ミフリマーはスレイマン大帝が眠る霊廟内に棺が置かれた唯一の息女なのです。
- スレイマニエ・ジャーミィ
- イスタンブール / モスク / 観光名所
- 住所:Profesör Sıddık Sami Onar Caddesi 16/1-25地図で見る
おわりに
ミフリマーに関連するスポットは、どれも皇女の立場を示すかのような華々しさを放っています。そして、その多くが世界遺産に登録されているイスタンブール歴史地区内にあるため、見ごたえ抜群です。イスタンブールを訪れたら、ミフリマーの生涯を辿るように、関連スポットを巡ってみてはいかがでしょうか。