ベネズエラ
ベネズエラ観光
南米有数の世界都市である首都と広がる大自然

【ベネズエラ】世界の危険都市上位?首都カラカス

取材・写真・文:

東京在住
訪問エリア:191ヶ国

2023年6月27日更新

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ヌエストラ・セニョーラ・デ・アルタガルシア(Nuestra Señora de Altagracia)

ベネズエラの作家や政治家、南米出身の名家など、南米の著名人の住んだ建物です。2001年からはベネズエラの歴史研究機関となっています。

  • 写真:toshelIglesia de Altagracia
ヌエストラ・セニョーラ・アンタガルシア
ベネズエラ / 建造物
住所:Nuestra Señora de Altagracia caracas地図で見る

ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・メルセデス(Nuestra Señora de Las Mercedes)

こちらの教会は、カトリックの寺院で1960年8月2日、官報によって国の歴史的建造物とされました。

  • 写真:toshelIglesia Nuestra Senora de Las Mercedes
ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・メルセデス
ベネズエラ / 教会
住所:Avenida Este 5, Caracas 1010, Distrito Capital, ベネズエラ地図で見る

国民議会・連邦立法宮殿

カラカス中心部にある国会議事堂は、白亜の壁と黄金のドームが輝く宮殿です。新しく建て直されてはいますが、元の建築物をそのまま再現した美しい建物です。中庭の噴水や内部の装飾が素晴らしいそうですが、現在、入館は制限されています。

  • 写真:toshelカラカス中心部の国民議会・連邦立法宮殿
  • 写真:toshelカラカスの政府機関建物

経済危機が去り、政権が落ち着いたら、また見学が出来るようになるかもしれませんね。

  • 写真:toshelカラカス中心部の国民議会・連邦立法宮殿
国民議会
ベネズエラ / 建造物
住所: parlament caracas地図で見る

ボリバル美術館(生家/Museo Bolivariano)

南米において、「シモン・ボリバル」の名を知らない人はまずいないのではないでしょうか。あまりにも有名な彼は、南米大陸のアンデス5ヵ国(現ベネズエラ・コロンビア・エクアドル・ペルー・ボリビア)をスペインから解放し、独立に導いた偉大な革命家、軍人、政治家、思想家です。

  • 写真:toshelボリバル美術館内ーボリバル自画像

南米の英雄シモン・ボリバルの生家は、カラカスの街の中心部にあり、現在は美術館が併設され観光名所の一つとなっています。

  • 写真:toshel

壁に掲げられた小さな石碑には、「人々は愛を込めてこの聖地を慈しみます。国の最初の幕開けはここから始まりました。1810年4月19日、太陽が輝きだす。」と書かれています。

  • 写真:toshel

1810年4月19日、カラカスは植民地からの解放を求め、議会を設置しました。これを発端として14年間にわたる独立戦争が始まるのです。

それではこれより、館内の様子をご覧いただきながら、シモン・ボリバルの生涯を辿っていきたいと思います。

シモン・ボリバルの生い立ち

シモン・ボリバルは、1783年にベネズエラのカラカスのこの家に、アメリカ大陸屈指の名家の子として生まれます。

  • 写真:toshelボリバル生家

幼くして両親を亡くしましたが、資産家ボリバル家の男子として様々な教育を受けます。

  • 写真:toshelボリバル生家

13歳の1799年には、叔父を頼ってスペインへ渡り、さらなる思想教育を受け成長します。19歳の時、スペインで出会ったマリアと結婚しベネズエラのカラカスの生家へ二人で帰国したものの、わずか一年でマリアが黄熱病により死去してしまいます。

  • 写真:toshelボリバル美術館内ーシモン・ボリバルとマリアの結婚式の様子

失意のなかで再びヨーロッパへ戻り、しばらくナポレオンに仕えますが、ナポレオンの戴冠に疑問を感じ始めた1806年、ベネズエラ出身のフランシスコ・デ・ミランダがスペインからのベネズエラ解放戦争を始めると、ボリバルは祖国ベネズエラの独立と、スペインの植民地となっている全ての国の解放と統一という壮大な夢の実現を志すようになります。

  • 写真:toshelボリバル生家

ベネズエラの解放と第2代、第3代大統領

1807年にベネズエラへ帰国したボリバルは、1811年にベネズエラ第一共和国を樹立し、スペインからの解放を試みます。しかし、カラカス大地震によって街の2/3が壊滅状態となり混乱すると、1812年に再びスペイン軍に占領されてしまいます。

  • 写真:toshelボリバル生家
  • 写真:toshelボリバル生家

その後、スペインとの徹底抗戦を誓う「カルタヘナ宣言」により復活を遂げたボリバルは、カラカスを再び奪回し、ベネズエラ第二共和国を宣言して自ら大統領になりました。しかし1814年にまたしてもスペイン軍に占領されたボリバルは、ジャマイカへ亡命。

1815年に現ハイチに軍事的援助を求め、1816年に再びベネズエラに上陸したものの劣勢となり、今度はハイチに亡命。1817年に再々度、スペイン軍を攻略し見事にカラカスを解放したボリバルは、ベネズエラ第三共和国を宣言し再び大統領に就任します。

  • 写真:toshelボリバル美術館内ー解放者の100周年記念メダル

コロンビア解放と初代大統領

故郷ベネズエラをスペイン軍より奪還すると、ボリバルはその勢いに乗りボゴタ(現コロンビア)へ向かいます。1821年に憲法起草のために召集されたククタ会議で初代大コロンビア共和国(ベネズエラ含む)の大統領として指名を受け、コロンビアもスペインから奪還します。

  • 写真:toshelボリバル美術館内ーボリバルの当時の服装

エクアドル解放

ボリバルは更に勢いを増し、スペインの統治下にあるキト(現エクアドル)、ペルー方面の解放へ向かいます。1822年、ボリバルはエクアドル方面のスペイン軍攻略を本格化させます。1822年5月にピチンチャの戦いで勝利を収めたボリバルの部下、アントニオ・ホセ・デ・スクレの率いる部隊と合流し、翌日にはキトに入城を果たしてスペイン軍を壊滅状態にし、エクアドルを解放します。

  • 写真:toshelシモン・ボリバルの着用した服

ペルー解放と第8代大統領

1823年9月にはペルーへと移動し、リマの東山地に陣地を築いていたスペイン軍と対峙します。部下のスクレを総司令官に据えてスペイン攻略を開始した際、ボリバルは病に倒れ戦線を離脱しましたが、スクレが1824年12月9日、アヤクーチョ(現ペルー)の戦いで大勝しスペインを降伏させました。ペルーの第8代大統領に選出されたボリバルは、コロンビアとペルーの大統領を兼任することとなります。

  • 写真:toshelボリバル美術館内ーボリバルの過ごした部屋の様子

ボリビア解放と初代大統領

さらにさらに、ペルーから進軍したスクレが、高地ペルー(現ボリビア)を支配していたスペイン軍を制圧し、1825年4月に解放。1825年8月、高地ペルー(現ボリビア)共和国議会は、独立におけるボリバルとスクレの功績を称え、国名をボリビア、首都名をスクレと定めました。

1825年8月、ボリバルは新生ボリビア共和国の初代大統領に選出され、なんと、コロンビア・ペルー・ボリビアの3か国の元首を兼任することとなります。

  • 写真:toshelボリバル美術館内ーボリバルの年譜

独立戦争の終結とシモン・ボリバルの晩年

ボリビアの解放で、スペインに占領されていた南米大陸アンデス5ヵ国のすべてが独立し、およそ300年におよぶスペイン植民地時代が終わりました。独立戦争が終結すると、1830年1月、生涯を南米の解放と統一に捧げたボリバルは、自身の政治的な役割の終焉を悟り、全ての地位を放棄します。

  • 写真:toshelボリバル美術館内ー見学するベネズエラ軍の軍人たち

そして、ヨーロッパへと向かうため南米大陸を去ることを決意しました。しかし、その移動中、ボリバルの危機を何度も救ったスクレが、選出されたエクアドル大統領の任に就く寸前に暗殺されたことを知り、深い喪失感に襲われます。

  • 写真:toshelボリバル美術館

彼の死が精神的に堪えたのか、ボリバルはコロンビアの港町サンタ・マルタまで来たところで、急に腸チフスが悪化しヨーロッパ行きを取りやめます。そして、サンタ・マルタで療養生活をしていた同年12月17日、南米解放の英雄は47年の激烈な生涯に幕を下ろしたのです。

  • 写真:toshelボリバル美術館
シモン・ボリバル美術館
ベネズエラ / 美術館
住所:Museo Bolivar caracas地図で見る

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地球旅~現在191ヵ国~
行ったことのない国を中心にひとり旅しています。他国の歴史、文化、宗教、遺跡、そしてそこに住む人々の考え方に興味があります。

車の運転が好きなので、海外ではドライブ旅を楽しんでます。普段は会社員です。

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