この記事の目次表示
アブハジア首都スフミのみどころ
それでは、ナゴルノ・カラバフ(アルツァフ共和国)、沿ドニエストル(トランスニストリア)に続き、未承認国家の第三弾、アブハジアの首都スフミをご紹介します。
Freedom Square
外務省から歩いて数分の場所にある、スフミの街中心の大きな広場です。
筆者の訪ねた年は、アブハジア独立25周年だったため、大きな垂れ幕が掛かっていました。まるで旧ソビエト連邦の政権誇示のようです。
- Freedom square
- アブハジア / 広場
- 住所:freedom square sukhumi地図で見る
植物園(Botanical garden)
こちらもスフミの中心にある、コーカサス地方で最も古い大きな植物園です。
街の喧騒から離れ、リラックスするにはちょうどいい公園です。アブハジアは亜熱帯気候なのだと分かる植物が多くあります。250ルーブル(350円ほど)の入園料が必要です。
アブハジア戦争の犠牲者記念碑
こちらは、アブハジア戦争で亡くなった方々の慰霊碑です。
慰霊碑前での余談
筆者がここで写真を撮っていたところ、観光客らしき女性に声をかけられました。そして、「こんなに多くのロシア人が亡くなったのよ」「本当に痛ましい」「ジョージア人は野蛮だから」と仰いました。どこから来たのか尋ねると「ロシアのソチ」とのことでした。紛争当時、アブハジアには多くの人種が混在して住んでおり、戦時中はアブハズ人とロシア人だけが犠牲になったわけではありません。歴史認識というものは、自分の都合の良いように解釈されるものだと、ここで改めて感じました。
- アブハジア戦争の犠牲者記念碑
- アブハジア / モニュメント
- 住所:Sukhmi地図で見る
海沿いプロムナード
海沿いに4Kmほど、長いプロムナードが続いています。
観光客だけでなく、地元の人々も多く寛ぐエリアです。観光案内所では、スフミから地方観光地へのツアーも多く出ています。伝え遅れましたが、アブハジアの言語はロシア語です。ここも、読めそうで読めないキリム文字。
プロムナード沿いにはレストランやショップ、ホテルも並び朝から晩まで人通りがあります。
また、プロムナードにはアブハジアの彫刻家アルキップ・ラバクア(Arkhip Labakhua)のブロンズアートが点在しています。
ニカとグラモフォン
レコードに針を落とす少女像。
ペンギン哲学者
遠くから見ると、子供が台の上の本を読んでいるように見えます。
廃墟
上述したように、26万もの人々がアブハジアを追われたため、スフミに限らず、中心地から市外や地方に至るまで廃墟が目立ちます。筆者が訪ねた時点でアブハジア戦争から25年が経過しているので、廃墟となった建物は窓が割れ、屋根は崩れ、人が住んでいたはずの家の中は無造作に草が生え、もはや人の住めるような状態ではなくなっています。
最近では、これらを芸術的に撮る写真家が「美しい廃墟」として紹介しているサイトがあります。時代の背景にある、難民の悲しい現実までも的確に捉えており、一見の価値ありです。
アブハジアへの行き方
アブハジアは、日本のパスポートではジョージアからのみのエントリーとなります。アブハジアへのボーダーがあるズグディディに近い空港は、クタイシかバトゥミです。両者とも国際空港ですので、中東やヨーロッパを経由して直接入国ができます。空港からズグディディまでは、タクシーかマルシュートカで行きます。
さいごに
ジョージアとアブハジアのボーダー間には美しいPatara Enguri川が流れています。この川が州境です。
そして、ボーダー間のジョージア寄りには、銃の先が縛られたこのモニュメントがありました。ジョージア人の「無益な争いはもうやめよう」という願いが込められています。
そのような願いもありつつ、祖国に帰ることの許されない26万の避難民の望郷の思いは強く、また、ジョージア側、アブハジア側ともそれぞれジョージア軍とロシア軍が常時待機している状態です。
2020年9月、未承認国家のナゴルノ・カラバフ(アルツァフ共和国)で起きたアルメニアとアゼルバイジャンの領土紛争再燃では、双方に一万人近くの民間人、軍人の犠牲者があったとされています。このように、未承認国家は領土や民族問題を抱え、あっという間に戦争に発展してしまう危うさ脆さが付きまといます。
完全に和解し、双方とも何の許可もなく行き来できるようになるまで、彼らにとっての心底平穏な日々というものはやってこないように思われます。いつか、こんな風にロシア人(アブハズ人)とジョージア人がアブハジアでチェスをする光景が見られることを祈るばかりです。